後日譚 温室に満ちる陽光と、小さな手のひら
あの日、絶望の淵で奇跡のように咲いた一輪の炎の蓮華は、今では修復された温室の中央で、女王のように誇らしげに真紅の花びらを広げていた。その周囲には、領内の職人たちの手で美しく再生されたガラス窓から柔らかな陽光が降り注ぎ、様々な種類の草花が、まるで歌うように生き生きと芽吹き始めている。
事件からひと月ほど経った、穏やかな日の午後。
エリナは、小さなジョウロを手に、甲斐甲斐しく植物の世話をしていた。彼女がそっと手のひらをかざすと、萎れかけていた若葉がみるみるうちに元気を取り戻し、鮮やかな緑色に輝き出す。その様子を、少し離れた場所でヴィオレットが、柔らかな微笑みを浮かべて見守っていた。
「お姉さま、見てください! このお花、新しく咲いたんです」
エリナが、ヴィオレットの手を引いて指さしたのは、露草のように可憐な、澄んだ青色の花だった。
「まあ、本当に綺麗。まるで、あなたの瞳の色を映したようね、ヴィオレットお姉さま」
エリナは無邪気にそう言って笑った。その屈託のない笑顔は、かつての「氷の侯爵令嬢」の心を、じんわりと温めていく。
「ふふ、そうかもしれないわね。では、あちらの赤い花は、きっとエリナの色だわ」
ヴィオレットは、炎の蓮華へと視線を移した。それはエリナの生命力そのものを象徴するかのように、力強く、そして優雅に咲き誇っている。
二人は手を取り合い、ゆっくりと温室内を散策した。
「ここには、薬草をたくさん植えたいのです。そうすれば、病気の人たちを助けられるかもしれないから」
「あちらの陽当たりの良い場所には、甘い果物がなる木を植えましょうか。冬が厳しいアールディーンでも、きっと美味しい実をつけてくれるわ」
エリナの提案に、ヴィオレットが優しく応える。これから二人で育んでいく未来の計画が、温室の温かな空気の中で、次々と形になっていくようだった。
「この温室ができてから、毎日がとても楽しいです、お姉さま」
ふと、エリナが足を止め、心からの笑顔でヴィオレットを見上げた。その瞳は、かつての不安や怯えが嘘のように、きらきらと輝いている。
ヴィオレットは、そっと屈んでエリナの肩に手を置き、その小さな頭を優しく撫でた。
「私もよ、エリナ。あなたと、この温室のおかげで…まるで、ずっと凍てついていた私の心にも、ようやく春が訪れたような気がするわ」
その言葉は、飾りのないヴィオレットの真実の想いだった。
窓から差し込む午後の陽光が、姉妹の姿と、色とりどりの花々を優しく照らし出す。エリナの小さな手のひらから溢れる生命の力が、温室全体を希望に満ちた穏やかな空気で満たしていく。
凍える北の地に生まれた、温かな聖域。
それは、二人の侯爵令嬢が手を取り合って掴み取った、かけがえのない日常の輝きだった。
そして、この温室から、アールディーンの新たな物語が、ゆっくりと、しかし確実に芽吹いていくのだろう。