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第8話 凍土に灯るWの焔、未来への序章

 グスタフとその一味が地下牢に投獄されてから数日が過ぎ、アールディーン城には嵐の後のような、しかし確かな希望に満ちた静けさが戻りつつあった。ヴィオレットは、侍従長アルフォンスからグスタフの尋問に関する報告を日々受けていた。老獪なグスタフは容易には口を割らなかったが、彼の持ち物や騎士団による周辺調査から、今回の事件における伯爵令嬢ロザリア・フォン・ヴァインベルクの明確な関与を示す証拠は、着実に集まりつつあった。


 見るも無残に破壊された温室だったが、その修復作業は驚くべき速さで進んでいた。それは、ヴィオレットの的確な指示と、何よりも領民たちの自発的な協力の賜物だった。彼らは、今回の事件でヴィオレットとエリナが示した勇気と姉妹の絆、そしてエリナの力がもたらした奇跡(炎の蓮華の開花と、暴走ではない生命の息吹)を目の当たりにし、二人の若き侯爵令嬢への信頼と敬愛を一層深めていたのだ。

 修復作業の中心には、ヴィオレットの傍らで、以前のような怯えた様子ではなく、少しおどおどしながらも一生懸命に指示を出したり、小さな瓦礫を運んだりするエリナの姿があった。領民たちはそんなエリナを「我らが小さなお姫様」「奇跡の光の乙女」と呼び、温かい眼差しで見守っていた。


 エリナの魔力は、あの日を境に質的な変化を見せていた。暴走の危険性は薄れ、むしろ彼女が心を込めて触れる草花は生き生きと輝きを増し、枯れかかった薬草さえも蘇らせるほどの、優しい生命エネルギーとして発現し始めていた。特に、温室の中央で凛と咲き続ける一輪の炎の蓮華は、エリナが近づくと嬉しそうにその真紅の花弁を揺らし、周囲に温かなオーラを放つのだった。

「お姉さま」ある日、エリナは修復作業中の温室で、真剣な眼差しでヴィオレットに言った。「私、この力を、もっともっと上手に使えるようになりたいです。そして、お姉さまや、アールディーンの人たちのお役に立てるようになりたいのです」

 その言葉に、ヴィオレットは目頭が熱くなるのを抑えきれなかった。かつて心を閉ざし、自らの力を恐れていた妹が、今、自らの意志で前を向こうとしている。

「ええ、エリナ。必ず道はあるわ。あなたの力を正しく導き、育んでくれる師を、私が必ず見つけ出して見せる」

 ヴィオレットは、エリナの成長を心から喜び、そのための具体的な方策を練り始めた。


 一方、ヴィオレット自身もまた、休むことなく次の一手を模索していた。執務室の机には、中央ヴァルヘイム王国の地図と、有力貴族たちの勢力図、そして「禁書庫の異世界文献」から抜き出した様々な技術情報が広げられている。ロザリアとその背後にあるヴァインベルク公爵家の力は強大だ。今回の妨害は退けたものの、彼らが諦めるはずがない。

(ただ守るだけでは、いずれジリ貧になる。こちらからも打って出て、彼らの牙城を崩すための布石を打たねば…)

 ヴィオレットは、領内の情報網の再編と強化、騎士団の装備更新と特殊訓練の導入、そして異世界の知識を応用した新たな通信技術や防御システムの開発計画を密かに立て始めた。その瞳は、かつての「氷の魔女」とは異なる、深謀遠慮を秘めた為政者のそれだった。


 そんな慌ただしい日々の中にも、姉妹だけの穏やかな時間は確かに存在した。修復が進む温室の一角、二人で大切に世話をする炎の蓮華の前で、ヴィオレットはぽつりぽつりと、これまで誰にも語らなかった転生前の孤独や後悔、そしてエリナへの本当の想いを言葉にした。エリナもまた、涙ぐみながら、姉に対する長年の誤解や不安、そして心の奥底にあった深い愛情を打ち明けた。言葉を重ねるたびに、二人の魂はより強く結びついていくのを感じた。

「これからは、どんなことも隠さずに話し合いましょう。嬉しいことも、悲しいことも、困難なことも、全部二人で分け合って、一緒に乗り越えていくのよ」

 ヴィオレットがそう言ってエリナの手を握ると、エリナは力強く頷き返した。その笑顔は、まさに太陽のように輝いていた。


 しかし、平穏は長くは続かない。

 ある日の夕刻、侍従長アルフォンスが、ヴィオレットの執務室に緊急の密書を携えて駆け込んできた。それは、ヴィオレットが王都に放っていた密偵からもたらされた情報だった。

「ヴィオレット様、王都にて国王陛下の健康不安説が公然と囁かれ始めております。それに乗じ、ヴァインベルク公爵家が、次期国王選定への影響力を増すべく、露骨な権力掌握に動き出したとの由…」

 中央の政情不安。それは、地方領主であるアールディーン家にとっても決して他人事ではない。むしろ、ヴァインベルク家の台頭は、ヴィオレットとエリナにとって最大の脅威となり得る。


 その報せと時を同じくして、修復された温室で、エリナが世話をしていた炎の蓮華が、これまで見たこともないほど鮮烈な真紅の光を放ち始めた。エリナがその花にそっと手を触れると、彼女の脳裏に、まるで走馬灯のように、遠い王都の不穏な光景――玉座の間で繰り広げられる権力闘争、暗躍する見知らぬ紋章を持つ者たちの影、そして、何故か自分と姉によく似た銀髪の女性が悲しげに微笑む姿――が、断片的に、しかし鮮明に浮かび上がってきたのだ。

「お姉さま…何かが…何かが始まろうとしています…大きな、嵐のようなものが…」

 エリナは、ヴィオレットに駆け寄り、震える声でそう告げた。


 ヴィオレットは、エリナの言葉と、彼女の瞳に宿る新たな力(それは予知に近いものかもしれない)の兆候、そして王都からの不吉な報せを結びつけ、背筋に冷たいものが走るのを感じた。アールディーン領を守り抜いた戦いは、ほんの序章に過ぎなかったのかもしれない。より大きな、王国全体を揺るがすような動乱の渦が、すぐそこまで迫っている。


 ヴィオレットは、窓の外に広がる、夕焼けに染まるアールディーンの雪景色を見つめた。そして、傍らで不安げに自分を見上げるエリナの手を、強く、しかし優しく握りしめた。

「ええ、そうね、エリナ。でも、恐れることはないわ。私たちは、もう一人ではないのだから」

 彼女の瞳には、かつての氷のような冷たさはなく、決意と慈愛に満ちた炎が揺らめいていた。

「私たちの力で、このアールディーンを、そしてその先にあるものを守り抜きましょう。たとえ、どんな困難が、どんな強大な敵が待ち受けていようとも」

 エリナもまた、姉の力強い眼差しに応え、決意に満ちた表情で深く頷いた。

 凍てつく北の地に咲いた一輪の炎の蓮華のように、二人の侯爵令嬢の物語は、過酷な運命に抗い、愛と知略と勇気をもって未来を切り拓いていく――。


 その戦いは、まだ始まったばかりである。


 (第一部 完 / To Be Continued...)

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