第38話 竹原修斗
竹原修斗は誰もいない廊下を眺めて扉に背を預けて俯いていました。
「これはこれは、たけはらしゅとさん!」
幼い口調でまだ修斗の名前をうまく言えていないエリスに声をかけられ、修斗は顔を上げます。
『神山エリス、竹原修斗に対して好意的なようです。敵意は全く感じられません』
「え、そんなことまで分かるの?」
自身の脳内情報に驚く修斗。
「ひとりごと、というやつですね? ゆいちお兄ちゃんが、しゅとさんは精神にいじょうがあると言っていました!」
「ええぇ、そういうわけじゃないよ」
神山雄一の情報を信じているエリスに困った表情を浮かべる修斗は肩を落として虚ろな目を細くしました。
「それでは失礼したします!」
うまく言えていませんが、突っ込むことなく修斗は手を振って見送ります。
無垢な深緑の瞳で微笑むエリスが眩しく、修斗は再び俯きました。
「10年くらい経てばいい体になるかも……」
脳内に膨らむエリスの成長した姿に期待を抱いた修斗でしたが、
「って何考えているんだろう、俺」
我に返り、自らの口から出た言葉に呆れてしまいます。
「でも、この情報を使えば女の人の好意とか分かるんだから結構使えるかも。それなら喋りが苦手な俺でもそういうことできるんだ…………違う違う違う!」
一体どれが正しい思考か分からなくってしまった修斗は廊下で首を強く横に振って自分自身を否定。
「あのぉ邪魔なんですけど」
「え、あ、す、すいません!」
腰辺りから聞こえてきた高めの声に壁へと背中を密着させた修斗でしたが、よく見るとそこにはキャミソール姿の少女が買い物袋を両手に立っていました。
「おじさん誰? さっきから女がどうとか言っちゃって、正直独り言ばかりの男は気持ち悪い」
つり目が余計に苛立っているように映り、さらに毒まで吐かれてしまい修斗はあ然。
「お、おじさん……俺、まだ17」
「うっそ、未成年なの? ひどい目をしてるからおじさんに見えちゃった。ごめん、バイバイ」
軽い謝罪を添えて、少女は名乗ることなく廊下を走っていきました。
溜息をついた修斗は壁から背中を離すと気を取り直して、院長室へ歩き出します。
孤児院の2階奥に設置された院長室。
「すいませーん、先生」
2回扉を手の甲で叩くと気だるい返事が聞こえたので、扉を開けてみるとソファーで寛ぐ雄一が院長室にいました。
雄一の前には黒いシングルスーツを着た男性が立っています。
「おぅ竹原、もう体はいいのか? とりあえず、こいつは片桐暦の兄の亮だ」
丸い眼鏡をかけている片桐亮という男性を視界に映すと、
『片桐亮28歳男性。墨田グループの人間で、多数の人身売買に関わっています。害はありませんがクローン開発に協力している為、殺害を推奨します』
脳内から機械音声が響いてきました。
「それで結局何が言いたいんだよ、お坊ちゃんは」
戸惑う修斗を放って、雄一と亮は睨み合っています。
「だからうちの妹に手を出すなと言ってるんです!」
「手なんか出してない。でも学園の男教師なら10人くらいは暦と肉体関係をもってるぞ。そもそも暦の方が男遊びを率先してやっているんだ。こっち側は何も悪くない」
「妹があんな遊びを覚えた原因はアナタでしょう! ヤナギグループの人間と関係をもたせるなんて信じられません!!」
「あいつが選んでしたことだ、俺のせいじゃない」
「いくら高校生でもしっかりとした意思決定なんてできないです! 誘導したのは間違いなくアナタですよ!!」
「あぁもういいか? 亮。幸福の館に戻ってばあさんの援助でもしてやれ。俺は今から竹原と大事な話があるんだって」
ちらっと横目で覗く雄一に、修斗は頷いて返事をします。
苛立ちを隠せない亮は爪が食い込むほどに拳を握りしめて、肩を震わしながら早足で院長室から出て行きました。
扉が閉まる強い衝撃音にビクッとした修斗。
「生真面目で過保護な兄をもつと苦労は絶えないだろうな。それで、何の用だ? お前からちゃんと会いに来るってことはそういうことだろ」
「あの、俺、姉さんと西京さんを助けたいです。墨田を倒して、これ以上姉さんが苦しまなくて済むように」
静かに目を大きく開けた雄一はソファーから立ち上がって、迷うことなく言い放った修斗と対面します。
「随分とはっきり言ったな、寝ている間に何かスイッチでも入ったか?」
「ちょっとだけ考え事を。姉さんは俺と腹違いの姉で、しかも特殊クローン、白狼会会長が父親だったことも知らなかった。俺は何も知らないまま姉さんに守られて生きていました。だから、その、今度は俺が姉さんを助ける為に戦いたいです」
静寂が流れる10秒間、修斗の心は不安に駆られそうになりますがそれでも真っ直ぐに雄一を見上げます。
静かな空間を崩すように鼻で笑った雄一。
「そうか、なら俺も協力するけど今回の恵と西京救出の件については俺とお前だけでやっていくしかない。分かっているんだろう? 奈木がクローンってことは」
「はい……」
「ヤナギグループに知られたら奈木はヤナギに狙われてしまうから俺は単独で行動しているし、サーガのお前にも会わせられない、そこは理解してくれよ。あの子は俺の大事な家族だからな」
優しく目を細めた雄一に安心したのでしょう、修斗は安堵の息を吐いて頷きました。
「けど、恵の方も単独行動だろうな、なにせ確実に覚醒しているサーガ相手だ。墨田も無駄な戦力は減らしたくないさ、まぁ俺も準備をするからとりあえず今は休んどけ」
「はい、ありがとうございます!」
元気よく院長室から出て行く修斗を静かに見送った雄一は小さく溜息をついて、もう一度ソファーに座り込みます。
ポケットに入れていたタバコの箱から1本を取り出そうとした雄一でしたが、院長室の壁に貼られた禁煙という強調された文字が目に入ってしまい、苦笑い。
「やっぱり禁煙、するか」
頼りない決意を呟きながらタバコをポケットから取り出すと一緒に小さな箱が。
箱の中身は透明なダイアモンドの宝石が埋め込まれた婚約指輪でした。
口を半開きに目を細くした雄一はただじっと、婚約指輪を眺め続けました。




