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36,扇動。

 


 朝陽がのぼった。

 ボート伯爵の『処刑』の結果が、公衆の面前にさらされる。


 ボート伯爵が無残に殺された──ログ伯爵家の手によって!


 この噂が、当のログ伯爵の耳に届いたのは、朝食の席だった。


 下僕として近くに控えていたシアは、カビの生えたパンを齧りながら、その様子を伺っていた。護衛の一人がログ伯爵の耳元で囁く。ボート伯爵の件を伝えるために。とたん上機嫌でシチューを食べていたログ伯爵の顔が、一瞬で青くなった。


 そばでミルクを飲んでいたセーラも、その光景を眺めていた。


「おや、我らがご主人様。親友が殺されたことを、ようやく知りましたね。しかも世間では、ログ伯爵家の仕業と噂されていることも」


「ログ伯爵家の紋章入りの旗が、ボート伯爵の死体に五寸釘で打ち付けられていたわけだからな」


「誰も、ログ伯爵家に濡れぎぬを着せようとしている、とは思わないものですかね?」


「思わないんだろうな。いや、仮にそう疑ったとしても、何が変わる? ログ伯爵家が第一容疑者であることに変わりはないんだ。そして何より、安心安泰と思われていた貴族の一人が、無残に殺された。この衝撃こそが、大事なわけだ」


「で、ここからどうされるのです、シア様? またこっそり貴族を殺しますか? で、ボート伯爵のときのように、紋章と五寸釘のセットですか?」


「いや、次の段階に進もう。おれたち下々のものだけでなく、ログ伯爵自身にも『やる気』になってもらわないとな。ところでそのミルク、腐ってるぞ」


「あぁ、どうりで不味いわけですね」


 動き出すと、とんとん拍子で進むものだ。

 シアが狙ったわけでもなく、その日の午後、おあつらえむきの人物が、ログ邸宅を訪れた。


 ガービ伯爵。年齢は50代。ログ伯爵の、死んだ父の友人だ。いまのログ伯爵が爵位を継いでからは、父がわりとして、導いてきたそうだ。ログ伯爵も『おじさん』と呼んで、慕っている。

 これらの情報を、シアは下僕仲間から仕入れてある。


 そんなガービ伯爵は、いつもはログ伯爵に甘い。だが今ばかりは、血相を変えていた。


「コーリー! これはどういうことだ! お前、まさか本当にボート伯爵を殺したのか?!?」


 ところでコーリーとは、ログ伯爵の名前。

 そんなコーリーこと、ログ伯爵は、怯えた様子で弁解した。


「そんな! まさか、このオレがそんなことをするはずがないでしょう! おじさん、ボート伯爵は、オレの親友だったんですよ!」


 隣室で様子をうかがっていたところ、シアの耳元でセーラが囁いた。


「確かに親友、いえ、それ以上でしたよね、あの二人は。穴兄弟というやつです」


「くだらん」とシア。


 ガービ伯爵は納得がいかない様子で、ログ伯爵に詰め寄る。


「本当か? コーリー。正直に言ってくれ。でなければ助けられんぞ。明日にも、〈城主〉は貴族会を開くつもりだ。むろん、議題はお前を、このログ伯爵家をどうするか、だ。いいか、もしかすると、酒に酔って記憶が曖昧なのではないか? 本当に、ボート伯爵を手にかけてはいないんだな?」


「おじさん、オレはそんな間抜けじゃない!」


「いいや、お前は愚か者だ、コーリー!!」


 素晴らしい、とシアは思った。この暴言は、おあつらえむきだ。

 シアは隣室から飛び出し、ガービ伯爵の前へと、ずんずん進みだす。


 ガービ伯爵は驚いた顔で、


「な、なんだ? 下僕が、なんのようだ?」


「貴様、ご主人様を『愚か者』呼ばわりするとは!」


 シアは、ガービ伯爵を蹴り倒す。さらに馬乗りになると、その顔面を殴りだした。眼球が破裂し、鼻が潰れ、耳から血が流れだすまで。それから下あごをつかみ、引きちぎる。シアが立ち上がると、裂けた口から血を吐き、憐れに泣きながらガービ伯爵が這って逃げようとしだした。


 しばし唖然としていたログ伯爵が、突然、半狂乱になって叫ぶ。


「な、なんということを、してくれたんだ、お前はぁぁぁ!!」


 それからシアに斬りかかってくる。

 シアは最小限の動きで躱し、ログ伯爵の手からロングソードを奪い取った。


「ご主人様。あなたは、先ほどのように暴言を吐かれながら、まさか笑って許すつもりだったのですか? あなたのお亡くなりになった父上、先代ログ伯爵が知ったら、嘆かれますぞ。さぁ、トドメはあなたが刺しなさい」


 たった数日の付き合いだが、このログ伯爵が、病死した父親に引け目を感じているのは明らかだった。


 シアはあらためてロングソードの柄を、伯爵の右手に握らせた。ただし剣先は、這って逃げようとしているガービ伯爵へと向けて。


「こ、殺すのか?? お、おれが、お、おじさんを????」


 ログ伯爵は、自分の街区民を虐げ、暴力もよく振るい、気にいった女は誰彼構わず犯すような男だ。しかしシアが見たところ、この男、人を殺したことは一度もない。おそらくこれまでは、護衛や、つるんでいたボート伯爵に手を汚させていたのだろう。


 シアはログ伯爵の耳元で、囁いた。


「いまこそが、好機です、わが主。いまこそあなたは、自分にふさわしい地位に立つときです。いつまで底辺貴族で満足しているおつもりですか? あなたこそが、この城塞都市ドガルを、真に統治するお方。〈城主〉になりなさい。そのための第一歩です。この目障りな老害を殺すのです。──さぁ、とっとと殺せ!!!」


「う、うわぁぁぁぁぁあ!!!」


 頭がおかしくなったように叫びながら、ログ伯爵は、ついに一線をこえた。

 ロングソードを何度も叩きつけ、ガービ伯爵を八つ裂きにしたのだ。

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