32,希望。
〈赤の使徒〉の館から出ながら、シアは一考していた。
〈理の王〉の狙いとは何か。〈赤の使徒〉に命じていたのが〈理の王〉、すなわち妹ならば、何かしら狙いがある。
赤魔汚染は、放っておけばさらに広がり、いつかは〈平地〉も脅かしていただろう。
混沌の主が生きていたら、赤魔汚染に対抗できる信徒を作ろうとしたかもしれない。それが成功したかどうかは、《汚染創造》と《改造》。二つの【恩恵】の、どちらが格上だったかによる。
とにかく主以外の領域、たとえば前領主の支配地域は、汚染に抗えなかっただろう。
となると、そこにあるのは絶望か。人類の絶望。それが欲しいのか、妹は。
では、ひとつ反対の兆しを作ってみるべきか。
妹の注意を引き、向こうから姿を現すよう誘導するには。何かしらの嫌がらせが必要かもしれない。
シアがそこまで考えたとき、館の外、遮蔽物の影からレナに跳びかかられ、危うくダガーで喉を斬られかけた。
紙一重で躱しつつ、距離を取ろうとする──だがレナはそれを見越し、ダガーで連続して斬りかかってきた。
切っ先が、シアの左眼球の少し先で止まる。
レナはダガーを引き下げて、淡々と言った。
「この先に、セーラ様がお待ちだ」
「そうか」
本気で殺すつもりだったのか。妙な好奇心から尋ねてみたくなったが、ふいにどうでもよくなる。そこでシアは、鞘から抜きかけていたブロードソードの剣身を戻し、レナについて歩いた。
やがて待機していたセーラと合流。
「シア様。いろいろと文句も言いたいところですが──まあ、意味がないことですから、別にいいです。レナが助けだしてくださいましたし、そこも織り込み済みだったのでしょう。それに脱出時、シア様が巡回兵たちを皆殺しにしていてくれたので、障害なく外に出られました」
「だろうな。セーラ。さっそくだが、一仕事してもらおう。先ほどの集落に戻り、赤魔汚染が消えることを伝えるんだ。あなたたちは自由だと」
「はぁ。消えるのですか? まだありますけど」
と、セーラが近くの赤魔汚染を指さす。じっと凝視すれば、カタツムリの速度で移動しているのが分かるだろう。
「消える。赤魔汚染を創り出していた〈赤の使徒〉を殺し、【恩恵】を奪った。創り出せるということは、消せるということだ。それも生み出すときは、一度に出せる量に制限があるが、消すときは、範囲を指定するだけでいいようだ」
「では、もう消してしまえばいいのではないですか?」
「それだと、劇的効果に欠けるだろう」
「はぁ?」
きょとんとしているセーラを連れて、集落に戻る。シアたちが無事に戻ってきただけで、集落の人たちには衝撃だったようだ。彼らが一か所に集まると、シアが事前に伝えたように、セーラが高らかに宣言した。
「皆さん──恐怖政治は終わりました! 〈赤の使徒〉は死に、いま赤魔汚染も消えてなくなります! わたしの力によって──」
セーラが右手を振ったタイミングで、シアは《汚染創造》に命じ、集落を囲んでいた赤魔汚染を消失させた。信じられないという顔の人々が、やがて歓喜の声をあげる。
セリフを忘れていたセーラが、慌てて付け足した。
「あなたがたは自由です! そして、わたしの領土に受け入れましょう! 〈平地〉へ!」
長らく〈赤の使徒〉の赤魔汚染に閉じ込められていた人々は、歓びの声を上げ、抱き合っている。このような集落は他にもあるようで、これからしばらく、セーラは巡回することになるだろう。
セーラが、人々から感謝の声と握手を求められる。
セーラはみなに応えてから、くたびたれ様子で、シアのもとに戻ってきた。そして小声で尋ねる。
「指示どおり演じましたが、これの最終目的って、なんなんですか?」
「人々を見ろ。彼らはいま、希望を抱いている。自分たちを救ってくれた、救世主の到来に」
「はぁ。救世主とは、誰ですか?」
「もちろん、お前だろ、セーラ。〈赤の使徒〉を滅し、赤魔汚染を消した。と、みなはお前のことをそう思っているのだからな。希望をもたらし者──これからさらに救世主として成長していくんだ」
〈理の王〉にとって、目障りな存在となるまで。
とまでは、シアは付け足さなかったが。
ところでセーラは、
「面白そうな役回りですね」
と、まんざらでもない様子だった。




