〖閑話4〗少女たちの緊急会議
「……あれ、マスターは?」
ガレージの方から響いた、重く低い排気音が遠ざかって聞こえなくなったあたりで、リビングにリンが降りてきた。
リビングには悠が出て行った時のまま、ユウとマイとミオが残っている。そこにリンが加わった形だ。
「マスターでしたら、ナユタさんの御見舞いに行かれましたよ」
三階からリビングに直接降りて来られる階段の方に顔を向けて、ユウはそう答えてやった。
「そうなんだ?じゃあさっきのウルサイのって」
「はい。おそらくマスターがご自分のお車を使われたものかと」
「……あー、もしかしてガレージの隅に置いてあったあの車?」
「そうですね。いつの間にか見知らぬ青色の乗用車が置いてありましたけど、見かけるようになったのはマスターが私達のところに来て下さってからなので、おそらくそうなのではないでしょうか」
「…………ねえユウ」
「はい?」
「アンタ、なんか不機嫌じゃない?」
リンはこう見えて、人の心情に敏感なよく気のつく少女である。まあ空気を読むのはちょっと苦手だが。
「いいえ?そんな事ありませんよ?」
「うわめっちゃ怒ってる」
「ええっ、ゆ、ユウさん!?わたしまた何かやっちゃいましたか!?」
「ぜーんぜん、怒ってなんかいませんよ?そしてマイさん?何でもないですからね?」
「ひ……ひぃぃ!」
「マイ、こういう時のユウに触れてはダメよ。しばらく経つか原因が除去されたら収まるから、それまでどうにかやり過ごすのよ」
うっそりと微笑まれてマイが涙目になり、横からミオが小声で忠告している。そんな彼女も「ミオさん?」と微笑まれて「な、何でもないわ!」と慌てて首と手を振って誤魔化した。
それを見たリンは「ちょ、アタシみんなを呼んでくるから!」と言い残して、慌てて階段を駆け戻って行った。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「えー、では、ただ今より緊急会議を始めたいと思います」
時刻は夜の8時半過ぎ。夜も更けた寮棟二階のリビングに、〖Muse!〗に所属するアイドルたちが集まっていた。司会を務めるのは、最年少14歳のサキである。
なお集まったのは全員ではない。9人のうち、リーダーのレイだけが唯一この場にいない。
「なおレイさんはいつものルーティン通りすでに就寝していますので、もう起こしませんでした」
レイは最年長の19歳だが、公私問わず自身の全てをアイドル活動に捧げてしまっているので、1日の生活スケジュールが全てルーティン化されていて滅多な事ではそれを崩さない。中でも朝6時の起床と夜8時の就寝は、アイドルとしての仕事以外ではほとんど崩した事がない。そのため、特に仕事を終えたあと寮に戻ってからは全体リーダーとして皆の先頭に立つ場面がほとんどない。
彼女のルーティンを崩させると機嫌が悪くなったり翌日の仕事に支障をきたしたりするため、仕事以外の場面では18歳のユウが主に皆をまとめている。
そのユウはといえば。
「レイさんには事後報告しておけばそれで構いませんから」
相変わらずうっそりと微笑むだけである。
「ひぃぃ」
「ユウちゃん、顔が怖いよ〜」
「何でもないって、私言いましたよね?」
普段と様子が全く異なるユウの圧にマイが怯え、ハルが彼女と抱き合いながらも抵抗を試みる。そしてユウに微笑みを返され青ざめている。
「わーん!ユウちゃんが怒ってる〜!」
「ややややっぱりこれ、怒ってますよね!?」
ユウは普段は穏やかでおっとりしていて雰囲気がゆるふわで、ファンの間でもMuse!の癒やし枠などと呼ばれているが、稀に怒ると物凄く怖くなることを付き合いの長いメンバーはみんな知っている。この場でそれを知らないのはマイだけだ。
だがマイ以外の彼女たちにしたって、ユウが今何に怒っているのか分からない。それゆえの緊急会議である。
「……で?この場にマスターが居ねえのは何でだ?誰か呼んで来いよ」
そんな荒れ模様の空気の中、気だるそうに発言したのはアキである。
「アンタ、さっきの爆音聞いてなかったの?」
「爆音だァ?オレがゲーム中に外の音なんか聞いてるわけねえだろリン」
「……アンタねえ。ゲームするなとまでは言わないけど、せめて音量下げてヘッドホン外してゲームしなさいよね!」
「人の趣味に口出しすんじゃねえ!」
「集団生活に影響出てるから言ってんの!」
「えー、アキさんもリンさんも、本筋から外れるのでケンカなら後でやって下さい」
「リンは相変わらず他人に口出しし過ぎるのね。いい加減改めなさい」
「うるっさいわね!アンタたちも後輩なら、先輩の言うこと聞きなさいよ!」
悠の愛車の派手な排気音を聞いていなかったというアキにリンが噛み付いて、アキが逆ギレした形だが口喧嘩が始まってしまう。それをサキとミオが咎めて、今度はリンが腹を立てた。
「……ハッ。たまたま先に成ったからって偉そうに」
「偉そうに先輩面する前に、歳上の言うこと聞いたらどうなの?」
「ミオとアタシは同い年でしょ!?」
「私のほうが“覚醒”時の年齢が上だもの。何も間違ってないわ」
「……リンさん、アキさん、ミオさん?」
「「「ひっ」」」
そして今度はリンとミオが口論になりかけた所でユウがボソリと口を開いて、3人が揃って震え上がる。
「…………えー、この通り議題は『ユウさんが何に怒っているのか』ですが、」
「サキちゃん?私、怒ってないってずっと言ってますよね?」
「あ……ハイ……」
「んで?マスターはなんで居ねえんだよ?」
「それは……マスターがナユタのお見舞いに行っちゃったからで……」
「ああ!?ナユタって確か一人暮らしだっつう話だよな!?」
「えーっ、マスターひとりで行っちゃったの!?ハルもお見舞い行きたかったのに〜!」
「ちょっと正気ですかユウさん!なんでひとりで行かせたんですか!?」
「だって私は、マスターが留守の間の寮を任されましたから。⸺それが、何か?」
「「「うぐ……」」」
もはや誰の目にも明らかであった。ユウの怒りは男性であるマスターが、ひとりでナユタの、一人暮らしの女性の部屋に行ったからである。
「…………もしかしてユウちゃん、嫉妬してる?」
「ハルさん?どうしてそう思うのですか?」
「ふえぇ〜!」
((((((うわあ……これ絶対ビンゴだ……))))))
ユウ以外の全員の心の声が、寸分の狂いもなくピッタリとハモった。
(えっ、でも、マスターとナユタってそういう仲なの!?てかユウってもしかして……!?)
(嫌らしい!不潔!独り暮らしのナユタさんの部屋に上がり込むとか、マスターやっぱり最低!)
(そっかぁ〜ユウちゃん、マスターのことが……)
(やっぱりマスター、わたしなんかより大人のナユタさんの方が……)
(チッ、マスターの野郎、帰ったらただじゃおかねえからな!)
そしてリンが、サキが、ハルが、マイが、アキがそれぞれ様々な感情を顔に浮かべながら黙り込む。
(マスターのことはまだよく知らないけれど、どうやらずいぶん懐かれてるようね。この短期間に、一体どうやってこれほどまでに彼女たちの心を掴んだというの?)
そんな彼女たちを、まだ悠との付き合いの浅いミオがやや冷めた目で見つめていた。
「……要観察、ね。⸺それはそれとしてハク、寝るのなら部屋に戻ってから眠りなさい。運んであげないわよ?」
「…………ふぇ?」
「あーっ!なんにも言わないと思ったらハク寝てたわけ!?」
「あふぅ……おやすみなさい……」
「だーから寝るんじゃないわよ!起きなさーい!」
そしてやはりミオと同じく悠との付き合いの浅いハクは、ひとりだけマイペースであった。
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次回更新は25日です。
次回が【マスターの一番長い日】最終話になります。




