第七幕:マスターの一番長い日(4)
その後も彼女の体調を窺いつつとりとめもない話をしてたんだけど、ふと壁の時計を見上げると、時刻はぼちぼち夜の10時を回ろうかというところだった。思ったよりも元気そう……というか食事を取らせてからだいぶ顔色も良くなってきたし、もうそろそろおいとました方が良さそうだな。
「じゃあ俺、そろそろ帰りますんで」
「えっ?」
途端にナユタさんの全身から立ち上る、レイと同じ色の紫。不安の感情だ。
あらまあ。これは困っちゃったねどうも。
「…………あ、そう、ですね」
「心細いなら、もう少し居ますけど」
「えっ?で、でも、あんまり甘えてもご迷惑ですし……」
「だってまだ元気なさそうじゃないですか。どっか痛いとか苦しいとか熱があるとか、あります?」
体温とか測らせた方がいいかな?全然用意してなかったから、この家にあるといいんだけど。
とか思ってキョロキョロしてたら、ナユタさんが目に見えて慌てだした。
「……えっ?い、いえ、大丈夫です!ホントに!もう平気ですから!」
「強がったらダメですって。独りになるのが不安だったらそう言ってくれていいんですよ。迷惑とか考えないでいいですから、辛い時くらい頼って下さい」
立ち上る感情が目まぐるしく変わる。
だが、しばらくすると一色に落ち着いてきた。
「も……もう少しだけ、居てもらっても、いいですか……」
消え入りそうな声で、彼女がポツリと呟く。
甘えるのが恥ずかしいのか、それとも甘え慣れてないのか。
まあ、どっちもな気がする。
「いいですよ。眠るぐらいまでなら」
そう言ってやると、安堵の感情が漏れてきた。
「実のところを言うと、俺ひとりで来たのは、ナユタさんに安心して欲しかったからなんです」
「…………えっ?」
「ナユタさんは所長、ってか司令とは付き合い長いみたいだし、こういう時って大抵はあの人が来てたんじゃないですか?」
「……ええ、まあ。そうですね……」
「でも、上司に見舞われるのってやっぱり緊張するじゃないですか。特に所長って自他共に厳しい人だし、あの人の前じゃ全然気が抜けないっていうか」
まあ割とポンコツ化するけどね!
「まあ……はい……」
「ナユタさんも女性なんだから、本当はレイかユウを連れてくるべきだとは思ったんです。レイは19歳、ユウは18歳でもう成人してるし、夜に連れ歩いても問題はないはずですし。
でもあの子たちはfiguraだから、どうしたってナユタさんには仕事を意識させちゃうでしょ。魔防隊の関係者って意味でも、秘密の共有者って意味でも」
「…………。」
「でもその点俺なら関係者と言えば関係者だけど、入ってまだ日も浅いし、何より魔術師じゃないですし。異性だってのがアレですけど、自分の部屋っていうプライベートな空間に入り込んでも一番仕事を感じずに済むんじゃないかと思ったんですよ」
「…………そう、ですね」
ナユタさんの感情が“無”になった。
今までにも何回かあったから特に驚きはしないけど、この人といい所長といい、感情消すのホント上手いよな。魔術でそういう事も出来たりすんのかね?
「今日1日、ナユタさんの分まで色々仕事してつくづく思い知りました。貴女が普段どれだけ周囲の様々な事に細やかに気を配ってお膳立てして、陰ながらサポートして支えてくれていたかって。本当マジで尊敬しますよ。
でも、そんなナユタさんを気遣って支えてあげてる人って誰も居ないじゃないですか。以前にも倒れられてどれだけ大変だったか思い知ってるはずの所長ですら、特に何の対策もしてないって言うし。
それじゃナユタさんがあまりにも可哀想だと思ったんです」
彼女の感情がちょっと揺らいだ。
珍しいな、“無”になったら割と鉄壁な人なのに。
「今回ナユタさんがこうなったのも、そうやって誰にも気遣って支えてもらえない中で、仕事上の緊張感を切らした瞬間に“落ちた”んだと思いますし、その意味では一旦仕事を忘れてもらうのが一番いいんじゃないかなと思って。
じゃないと、本当の意味で骨休めにはならないでしょ?だからせめて俺くらいは貴女を気遣って支えてあげなきゃなって。今夜くらいは心身ともに完全にオフになってもらおうって。そう思ったんです」
これは嘘偽りのない、本心。
孤独を抱えてるのって、それでも頑張ってるのってfiguraの子たちだけじゃないんだって、見てれば判っちゃうんだよね。
幸か不幸か他人事ではないだけに、なおさらね。
「…………ごめんなさい。ありがとう、ございます」
それだけ呟いて、ナユタさんは俯いてしまった。
安堵に加えて、喜びと嬉しさの感情が彼女から溢れてくる。
お節介になるだけかとも思ったけど、喜んでくれたのなら、包み隠さず全部話した甲斐があったってものだ。
身体をずらして、ナユタさんの隣にそっと移動した。
少し身じろぎしたけれど、彼女はそれ以上逃げようとはしなかった。
背中側から彼女の肩に手を回して軽く抱き寄せるようにして、安心させるようにポンポンと、軽く二度叩く。
敢えて彼女の方を見ないようにして、前だけ向いておいた。
「ホントに大丈夫ですからね。こないだも言いましたけど、何かあったら遠慮なく甘えてくれていいんですから。だから大丈夫ですよ」
「はい…………」
小さく頷いて、彼女は身体を預けてきた。
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