第六幕:マスターの一番長い日(3)
「ど、どうぞ……」
通された部屋は、女性の一人暮らしにしては物も少なく飾り気も少ない部屋だった。広さは充分ありそうだったし、特に散らかってたり、男に見られて困りそうなものがあるようには見えなかった。
ナユタさんはパジャマ姿にカーディガンを羽織っていたが、何だかひどく居心地悪そうだ。まあ同僚、それも男にプライベート空間を侵されるってのもあんまり心地いいものじゃないだろう。それぐらいは他人事ながら分かる。
普段は事務所規定の制服姿でいつでもキリッとパリッとしてる姿しか見せない彼女の、初めて見るプライベートの姿に、何だかちょっとドキッとさせられる。
でもこの調子だと、おそらく普段から誰も部屋に入れてないんだろうな。
「すいませんね。もう少し早い時間ならユウかリンでも連れてこれたんですが。今日ちょっと忙しかったもんで、こんな時間にしか来れなくて」
「いえ、その。休んでしまってごめんなさい……」
「いや、それは仕方ないですよ。ナユタさんだってロボットじゃないんですから。まあ、午前中はちょっとバタバタしましたけど、一応何とかはなりましたんで大丈夫ですよ」
頑張り過ぎたらまた倒れるから、って言ったそばから倒れたことに関しては、この際何も言うまい。本人が一番よく分かってることだろうし。
「本当、ごめんなさい……」
「大丈夫ですって。それより、ちゃんと食べてますか?一応、色々と腹に入れるもの買ってきたんですけど」
「ええと、それは……」
と、その時。
くぅ~、と小さな可愛らしい音。
ナユタさんが耳まで真っ赤になった。
「どれ食べます?一応、簡単に作れて保存も利くやつを選んでいくつか買ってきたんですけど。食べたいもの、俺作りますよ」
最近のコンビニは何でも揃ってるから便利なんだよな。お湯入れるだけで簡単に作れるお粥とか、レンジで温めるだけで食べられるおかずとかたくさんあって、しかもなかなかお安いし味も悪くない。
コンビニで買ってきたレジ袋の中身を見せると、彼女は少し考えてから、お粥を選んだ。
「桝田さんが、作ってくれるんですか……?」
「作るって言ってもこれインスタントですけどね。台所、借りますね」
断ってから席を立ち、キッチンに行って鍋を取り出して、少し水を入れてから火にかける。ナユタさんの部屋のはIHコンロがふた口のシステムキッチンタイプだ。ただIHなのをいいことにほとんど物置きと化してしまっていたので少し片付けさせてもらった。
何となく、っていうかこれ間違いなく普段から料理とかしてなさそうな感じだよな。一応調理用具と食器がひと通り揃ってるから、最初は自炊するつもりだったんだろうけど。まあお湯はケトルで沸かせるし、普段は仕事が忙しくて部屋にはほとんど寝に帰るだけなんだろうし、家で料理しなくても仕方ない。
ゴミ袋も見当たらないあたり、普段の食事は全部外で済ましてるのかもな。だとすれば、部屋に買い置きの食材などもないという事になる。冷蔵庫もあるけど、中身ほとんど入ってなさそうな気がする。
もし本当に誰も部屋に上げてないのなら完全に自分だけの空間だから、おそらく忙しさにかまけて普段からほとんど掃除もやってなかったんじゃないだろうか。だとしたら、それで部屋も散らかしっぱだったのかもな。
そう考えると、上げるまで時間を欲しがったのも当然か。
…てことは、そこのクローゼットの中は?
--それ以上は考えたらダメ。
念のため、この鍋も食器も1回洗っとくかな。
洗剤とスポンジはあったので鍋とお碗をざっと洗い、改めて鍋に水を入れて沸かす。
ほぼ沸騰したところでお粥の袋を開けて、中から乾燥剤と同封のプラスチックスプーンを取り出し、袋の中に刻まれている目盛りまでお湯を注いだ。あとは簡易チャックになってる袋を閉じて、決められた時間だけ待てばいい。
時間がきて、袋を開けると大量の湯気といい香りが立ち上る。
すげえな、ホントに出来てら。
先ほど洗ったお碗に移して、プラスチックスプーンと一緒にベッドに座ったままのナユタさんの元へ持って行く。コンビニで買ってきたペットボトルのお茶もテーブルに並べた。
「ちょっと熱いかも知れませんけど」
「あ、ありがとうございます……」
食べさせてやろうかともちょっと考えたけど、さすがにそれは自重した。この部屋に入ってからずっと女の子の顔になってるし、これ以上恥ずかしい目に遭わせたら本当に明日も休んでしまうかも知れん。こっちとしてもそれじゃ困る。
時間をかけて彼女はお粥を平らげた。
少しだけ顔色もよくなったように感じる。
「もしかしなくても、今日はほとんど何も食べてなかったんでしょ?」
「…………はい。ごめんなさい……」
「謝んなくていいですってば。俺も経験ありますけど、一人暮らしで寝込んだ時って本当に辛いですからね。動けないし食えないし、買い置きしてなくても買いに行けないし」
「……。」
「誰か看病来てくれる人がいればいいんですけど、友達も誰も連絡つかないとか時間が取れないとか、普通にありますからね」
「……。」
なんか、言えば言うほどナユタさんの心の傷を抉ってる感じしかしない。
話題変えた方がいいなこれは。
「ところで俺、明日以降の予定が全然分かんないんですよね。タブレットありますか?」
「あ、そうですね。タブレットは、その、私のバッグの中に……」
ナユタさんが普段使ってるバッグはテーブルの脇に無造作に置いてあったので、手元に引き寄せて彼女に渡した。こういうのも男に勝手に中を触られるの、女子は嫌がるから迂闊に触らない方がいい。
彼女はバッグを受け取ると、中からタブレットを取り出した。
「あ……所長からメール……」
「連絡つかないって言ってましたよ。
だからこうしてやって来たんですけどね」
「本当、ごめんなさい……」
「いいですって。動けなかったら返信も出来ませんからね」
スケジュール表を開いてもらって、持ってきたUSBを挿してコピーを取ってもらい、それを自分のタブレットに挿して移し替える。
これで、とりあえずは明日のスケジュール調整に困ることはないからひと安心だ。
「今度のライブのスタッフに関してはだいたい連絡取れましたんで、ほとんど問題ないですから。安心して下さいね」
「はい、ありがとうございます……」
「あと、ソラチさんがマイの歌声を聴きたいって連絡してきたんで、デモ録って聴いてもらって、新曲の手直しも早速してもらいました」
「あ……。ソラチさんには元々、今日のレッスンでマイちゃんのデモ歌を録ってお送りする予定で話がついてたんです。代わりにやって下さって、ありがとうございます」
「ああ、そうだったんですね。ものの1時間ぐらいですぐ手直ししてくれて、マイもずいぶん歌いやすいって気に入ってました。
音源ありますけど、聴きます?」
「あ、はい、聴きたいです」
自分のタブレットに挿したままのUSBを開いて音楽プレーヤーを起動して、ソラチさんに送った手直し後の新曲をマイが歌ったものを、ふたりで改めて聴いた。
「ホントだ。かなり違いますね」
「ね、良くなってるでしょ。ソラチさん、ちょっとマイの地声と歌声を聴いただけでここまで調整してくれるなんて、すごいですよね」
「彼にはMuse!の楽曲をほぼ専属で作って頂いてるんです。Muse!の人気を影で支えて下さってる、居なくてはならない大事な人です。もしもあの人の作る曲がなかったら、Muse!はここまで人気になっていたかどうか……」
「そんな大事な人なら、俺も一度挨拶に伺った方がいいですかね」
「……いえ、ソラチさんは誰とも会いません。必要以上に関わりを深めないように気を使ってらっしゃるので。顔を知ってるのも所長だけです」
「そうなんですか。なんかユウも同じような事言ってましたけど。⸺なんか深い事情でもあるんですかね?確か魔防隊の関係者の人ですよね?」
「…………そのあたりは、色々あるんです。すみません」
んー、あんまり深堀りしないほうが良さそうな感じだな。
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次回更新は15日です。




