第一幕:ひとまずは平穏無事に
明けましておめでとうございます。
新章開幕です。
ミオとハクの合流から一夜明けて13日、木曜日。
「具合は、良さそうだね」
今日も今日とて、朝っぱらから所長室に呼び出されていた。
「ええまあ、そうですね。ここ2日ばかし体力的には至って穏やかで」
精神的にはともかく、ね。
「それは何よりだ。だが今日も午前中にホスピタルに顔を出しておくように」
毎日ホスピタルに通うのは、予定より早く治っていることをカモフラージュするためだ。
実際のところ、もうほとんど治っていると言ってもいい。残っているのは右肩関節の人工関節部の稼動チェックとか、内腿を含めた筋移植部の接合とか、損傷部位の腱や神経、血管などの回復具合とか、その程度だ。多分、今日行けばギプスは取れるんじゃないだろうか。
…まあ、まだ1週間だから、さすがにギプス外すのは少し早い気がするけど。でも、外さないと仕事復帰できないしなあ。
「それと、今日はファクトリーにも顔を出しておきなさい」
「というと?」
「君の新しい端末が仕上がったそうだ。昼以降なら渡せると聞いている」
ああ、ようやくこれで手元不如意が解消される。なんかすっかり、手元にないと落ち着かなくなってるもんな。
「はい。じゃあ、受け取りに行っておきます。
で、職務復帰の方は……」
「それはギプスがもう少し軽くなってからだが、現状では来週頭から戻ってもらう予定ではある」
来週か。まだもう少し休めって事だな。
でもまあ、マイのデビューライブには間に合いそうだ。
「分かりました。お話は以上ですか」
「ああ」
「では、失礼します」
所長室を退出して、そのまま事務所に顔を出す。
「おはようございます。所長からお話、聞きました?」
「おはようございますナユタさん。やっとタブレットが戻ってくるそうなんで、昼にでも受け取りに行って来ます」
「そうですか、それは良かったですね!」
いやナユタさん、そんな手を叩いて喜ぶようなこと?
「桝田さんの新しいのは最新型だって聞いてます。いいなあ、私も欲しいなあ」
「あ、だったら交換します?」
「えっ?⸺い、いえいえ。桝田さんのは戦闘時の使用を考慮したものになってるそうなので、交換はちょっと……」
あー、そうか。あの時落としてしまってて精密チェックに引っかかったんだっけ、そういえば。
「じゃあ残念だけど交換はナシですね。見せびらかすんで羨ましがってて下さい」
「あっひどい!桝田さんの意地悪!」
ナユタさんともすっかりこういう軽口を叩けるようになってきて、これはこれで楽しい。
「桝田さんが前使ってた端末って、以前は私が使ってたんですよ」
「えっ、そうなんですか?」
「はい、機材の更新で性能を上げたものに替えたので、それで予備品として保管されていたものを桝田さんに支給してたんです」
「そうなんですね。でもそんな古い感じはしなかったけどなあ」
そうかあ、だからナユタさんの使ってるやつの方が高性能に見えてたんだな。
「だから、次に機材の更新がきてもっと性能の上がった端末が支給されれば、その時は私が桝田さんのをもらいます♪」
「えーじゃあ大事に使わないとダメかあ」
「……いえ、それを抜きにしても大事に扱ってもらわないと困りますけど」
「はは。分かってますって」
でも、そういう予定になってるのならカメラ機能で下手なもの撮れないな。うっかりデータフォルダに残したままにして、もしナユタさんに見られでもしたら。
…いやまあ、別にそういうモノを撮る予定がある訳でもないけど。
「それじゃ、俺は上へ戻りますんで。仕事、頑張って下さい」
「はい、ありがとうございます♪」
食堂へ上がると、もうほとんど全員が集まっていた。昨夜から寮に部屋を与えられたミオとハクもちゃんと起きてきてるな。
「ユウ。悪いけどまたお願いしていい?」
「はい。お安い御用です♪」
例によってユウに手を洗ってもらう。これも早くさせなくて済むようにしたいけどなあ。まあギプスしてる間は無理だけど。
手洗いうがいを済ませて、全員で席に着く。今日の朝食は純和風、ってことは当番はリンだな。
「頂きます」
昨日の朝に左手で箸を使って見せたものだから、今日は誰も食べさせに来ない。それはそれでちょっと寂しい。
朝食を終えてみんなが出掛けるのを見送って。そのあと、ちょっと思い立ってリビングで鍵を作ってみる。
さすがに何度も作っているので、さほど集中の必要もなく鍵が現れる。
だいぶ慣れてきた証拠でもあるけど、ここは普段からfiguraたちが頻繁に出入りしているせいもあるのだろう。夜中に自室で作った時とは難易度から違う感じがする。
つまり、アフェクトスの濃い所ではより作りやすいということだ。なら、やっぱり注入するのはシミュレーションルームがいいだろう。
もしくは、そのfiguraの自室か。
…自室かあ。いいのかなあ、それ?
でも、リンとか特に、注入されてる所を他の子に見られるの嫌がりそうな気はする。レイに注入した時の反応を見る限りだと、そんな感じ。
「マスター……本当に『鍵』を作れるんですね」
声をかけられて顔を上げたら、ミオとハクが俺の白い鍵を見ていた。あーそっか、この子たちまだデビューしてないから待機(という名のレッスン地獄)なんだっけ。
「ん、まあね」
そう言いながら、なんで鍵が作れるのかの説明をこの子たちにもしてやった。つまり『霊核』は人間の感情で動くもので、だからそれを開く鍵もまた感情でできていると考えたこと。そして人間の感情なんだから人間に扱えないはずがない、って理屈で再現を試みたら出来ちゃったこと、などなど。
「…………理論は分かりますけど、かなり無理やりですね……」
うん、まあね。こじつけにも程があるよな。
あんまり出したままで疲れてしまっても仕方ないので、早々に鍵を解く。レッスンに向かうふたりを見送って、あとはコーヒーでも飲みながら、新聞でも読んで時間を潰そう。
ちなみに今日のレッスンからはふたりはレッスン場を使うことになっている。レッスンコーチは一般人だし、シミュレーションルームに入れるわけにはいかないからね。普段は月イチ程度しか来ない先生だけど、しばらくは多めに呼ぶことになると所長が言ってた。最初は当然、歌唱の先生だ。
時間になったのでホスピタルに降りる。
今日はギプスを外した状態で肩を動かしてみようと言われて、少しリハビリをしてみることになった。
まだ1週間ぐらいしかギプスしてないのに、見た目で右腕がやや細っているのが分かってしまってげんなりする。筋肉って使わないと簡単に落ちるんだよな。
そして実際に動かしてみて分かった事だが、右肩の動きが少々ぎこちない。なんか動かしづらいし、可動域も少し狭まった感じがする。あと、縫合した傷も肩関節自体もまあまあ痛む。
「人工関節になっていますから、やはりどうしても可動域は減ってしまいます。痛みがあるのは、肩関節周りの腱がまだ完全に再生していないからでしょう」
ササクラ先生はそう言っていた。この状態で慣れるしかない、と聞かされてちょっとブルーになる。
でもまあ、怪我するってのはそういうことだ。
痛みがまだ出るということで、ギプスはそのまま。ホムンクルス看護師たちに体を拭いてもらい、薬を取り替え、ギプスを装着して、上着を羽織る。
下にシャツ着れないのがなあ。まあ薄着なぶん、日中は涼しいからいいんだけどさ。
当たり前だけど腿の方も見てもらった。こちらはこちらで皮膚が形成されてきてちょっと突っ張った感じがする。痛みはほとんどないけど、正直少し歩きづらい。
これも、そのうち違和感がなくなっていくとのこと。
【記憶の迷宮】全14話予定です。
よろしくお付き合い下さい。
次回更新は1月10日です。




