第七幕:桃色の新生活(1)
翌日朝、ようやく地上に戻されセツナさん⸺所長に連れて来られた場所は、事務所とおぼしきスペースだった。
オフィス、というにはやや閑散としている。デスクはいくつかあるが、人が座っているのは半分ほどだった。壁一面にポスターが貼られ、机にも棚にも至る所にグッズが飾られているが、どれも全部が〖Muse!〗のものばかりだ。
「ようこそ。芸能事務所〖MUSEUM〗へ」
落ち着いた茶髪のショートヘアの、片耳にインカムを付けた女性が、俺に気付いて近寄ってきた。アイドルの子たちのような若さからくる瑞々しい美貌こそないものの、愛想がよく人当たりが柔らかで、大人の落ち着きも備えた、可愛らしい大人女子、という感じの人だ。歳は……多分、俺とあんま変わらない感じかな。まあ女性の年齢は見た目じゃ判断つかないけど。
彼女と交替するように所長は「じゃ、あとはよろしく」と言いながら所長室へと引っ込んで行った。
「私は涅所長の所長秘書を務めております、白銀那由多と申します。以後、よろしくお願い致します」
ナユタ、か。珍しい名前だな。
それにしても……、『刹那』と『那由多』ねえ。
「あ、はい、こちらこそよろしくお願いします。桝田悠です」
「お話は伺っております。桝田さんにはMuse!の専属マネージャーとして業務に当たって頂きます。専用のデスクとPC、名刺などを用意しますので、業務で活用されて下さい。
では、これから一通り施設をご案内しますね」
那由多さんはそう言ってから、スッと耳元に顔を寄せてきた。
急に近付かれてドキッとする。そしてなんかいい香りがふわっと漂ってきてさらにドキッとさせられる。
「魔防隊の話は、ここではNGですからね」
俺にだけ聞き取れる小さな声で、彼女はそう言った。
「えっ?」
「私もそちらの職員です。以後よろしくね」
「あっ、はあ」
「では、まずはこちらへ。最初は事務棟からご案内しますね」
すっと顔を離すと、那由多さんは手で俺を促して先に歩き始めた。
そっか。この人も特殊公務員ってやつか。わざわざ耳打ちしたってことは、事務所の所員には無関係の一般職員もいるんだろうな。
それとも、たまたま今だけ無関係の人間がいたのだろうか。
芸能事務所〖MUSEUM〗は自前でビルを持っていて、それも広い敷地に三棟を円形に繋げた独特の構造をしている。まあビルと言っても、各棟とも3階から4階建てでそんなに目立つ建物じゃない。
ちなみにこの三棟を総称して“パレス”と呼んでいるそうだ。いや宮殿と呼ぶほど広くも壮麗でもないと思うんだが。
三棟はそれぞれ、大通りに面した表玄関とも言える事務所や倉庫などが入った“事務所棟”、figuraたちが起居する“寮棟”、そしてもうひとつはレッスン棟だと言われたが、まあその実そこは“研究棟”だという。各棟は事務所棟と研究棟、研究棟と寮棟が1階の連絡通路で、事務所棟と寮棟が2階の渡り廊下で繋がっている。寮棟の1階部分は丸ごとガレージで、その寮棟だけが4階建て、あとの2棟は3階建てだ。
うん、芸能事務所がなんの研究してるのかサッパリ分からんけど。でもまあ、おそらく魔術関連なんだろうなってのは察しがついた。魔術に関わってるなんてこと、一般社会に知られたら致命的なスキャンダルになるのは間違いない。だからこそ自前で敷地と建物を用意して隠匿してるんだろう。
ちなみに来社する一般人が入れるのは基本的に事務所棟だけだ。寮棟はfiguraたちのプライベートスペースだし、研究棟は当然のように部外者立入禁止だ。
最初に事務所棟1階の説明。半分くらいは芸能事務所だが、他に所長室、応接室、職員ロッカー、エレベーター、トイレと給湯室に階段、さらに備品倉庫とその準備室がある。給湯室の横には自販機の設置された休憩スペースもあり、廊下の窓からは中庭も見える。エレベーターは、最初にここに来た時に地下に降りてった、アレだ。
ちなみに階段は二ヶ所ある。エレベーター横の事務所棟を縦に貫く階段と、もうひとつは芸能事務所の横から寮棟へ向かう渡り廊下に上がるだけの階段。これはおそらく、figuraたちの動線を考えて増設されたものだろう。
2階に上がると大小の会議室、カウンセリングルーム、エレベーター、トイレと給湯室、備品倉庫の2階部分、あとなんであるのか分からない仮眠室とシャワールーム、それも男女別。えっここでスタッフ寝泊まりでもすんの?
窓の外には、寮棟と研究棟の向こうに小さな森が広がってるのが見えた。神社でもあるんだろうかと思ったら、あそこまでが敷地内らしい。いや土地だいぶ広くない!?
3階はビルの設計段階から用意されているが現在は使ってないのだという。将来的に何か拡張する際には使うことになるって言われたけど、何を拡張するつもりなのかよく分からん。一応上がれますけどって言われたけど、なんにもないのならと遠慮しておいた。
それから敷地内の説明と内向きの職員の説明。正面玄関脇には専用の守衛室があって、日中は守衛が詰めているのだそうだ。基本的に2人体制で、守衛長は魔防隊からの出向者だそうだ。ってことはソイツも魔術師か。
「守衛長は織部シュンソクさんとおっしゃる方です。日中の来客対応及び郵便物や搬入物の受付は基本的にお任せで大丈夫なので、一度挨拶されておいて下さい」
「あっはい」
「守衛スタッフは守衛長を含めて5名います。昼間担当が2名、守衛長を含めて3名ですね。他に夜間担当が2名居ますから、夜間にセキュリティ事案がある際にはその2名が駆けつけます」
「えっ意外と厳重ですね」
「そりゃそうですよ。⸺秘密組織ですからね」
いや小声の内緒話なのは仕方ないけど、いきなり顔寄せないで下さいよ。美人との距離感バグるとこっちもドキドキするんですよ。
「あとガーデンスタッフが2名います。彼らは主に中庭と裏の森の整備を担当しているので、基本は会うことはないと思います」
あー、あの裏の森ちゃんと管理されてんだ。良かった。
いや、あの森の手入れもやれって言われるんじゃないかとヒヤヒヤしてたんだよね。
ナユタさんは廊下の向こうから歩いてきたメイド服姿でボブカットの黒髪の女の子に目を向け、手招きした。それに応えて少女はナユタさんの前までやってくる。
メイド服、と言ってもメイドカフェみたいなコスプレ風ではなくてクラシカルな、いわゆるヴィクトリア調のロングスカートの清楚な感じ。TVドラマ以外では初めて見たかも。メイド服少女はスカートの裾をちょこんと摘んで、軽く膝を曲げて目線を落として俺にお辞儀してきた。いわゆるカーテシーってやつだ。これも初めて見たな。
「彼女は“アインス”。見た目はただの少女ですがホムンクルスです」
「え゛っ!?」
ホムンクルスってことは、魔術で創り上げた“人造人間”ってことか!?そんなの人目につくとこで使って大丈夫なのかよ!?
「“アインス”には事務所棟と研究棟の掃除や雑用をこなしてもらっています。見た目はこの通り人間と変わりませんし、発語に難のある障碍者を雇用しているという体にしていますので、会話で正体がバレることもありません」
…お、おお、そうなんだ……。
「寮棟のほうには同型機で“ツヴァイ”がいます。日々の掃除や洗濯、雑用などは彼女たちに任せてもらって構わないです」
ちなみに見分け方はこの“アインス”が黒を基調としたメイド服、“ツヴァイ”のほうは同じデザインで勝色のメイド服だそうだ。勝色、ってのがよく分からんけど、なんか見れば分かるらしい。
ていうか名前、ドイツ語で“1”と“2”かよ。製造ナンバーだって言いたいのか?
「それから、平日の寮の昼食と夕食は専属の調理師の方が作って下さいます。初老のご夫婦で、10時から17時まで寮棟のキッチン奥にある控室に待機して下さってます」
へー、専属の調理師とか雇ってるんだ。さすがは政府関連組織、金持ってんなあ。
「……一応言っておきますけど、政府の関係機関だからというわけではなくて、アイドルの寮だから体調面と栄養面の観点で適切な食事管理をお願いしているだけですからね?」
「あっそうなんですね」
「うちも予算が限られてますから、湯水のようにお金を使えるわけではないんですよ」
「はい、スイマセン……」
いや分かった、分かりましたからその怖い笑顔やめて下さいよ。だから怖いですって!