第六幕:灰白色の茫然自失
“恐怖の大王”事件。
それは前世紀末、1999年の7月29日に起こったとされる事件だ。
その3年前の1996年に新たに発見された彗星が、3年後に地球に直撃すると判明し、人類は絶望に呑まれた。かの有名なノストラダムスの予言に記された日時と事象に合致するということで、誰からともなくその彗星は“恐怖の大王”と呼ばれるようになった。
核兵器の宙間射出を含むあらゆる手段で、全人類は国家を問わず一丸となって彗星の軌道を逸らし地球の滅亡を回避しようと躍起になった。だがそれらは虚しくも、月に匹敵するほどのサイズの超巨大彗星の前に全て失敗に終わった。
そしてとうとうそれは地球の重力圏に到達し、成層圏にまで届いた。
人類には、もはや滅亡する未来しか残されていなかった。
その時である。
全世界から、突如として謎の人々が現れたのは。
彼らは自らを“魔術師”だと名乗り、数十万人規模で一糸乱れぬ統率のもと、成層圏上に大規模な儀式魔術の防御障壁を展開し、あろうことか彗星の巨大質量を受け止めきることに成功した。
そして防御障壁の魔術に参加しなかった残りの全ての魔術師たちが別の儀式魔術を展開し、核兵器をも超える超高火力高精度の攻撃魔術を立て続けにピンポイントで彗星に命中させ押し返した。そしてついに地球の重力圏から引き剥がし、スイングバイ効果を利用して、宇宙の彼方へと彗星を飛ばし去ったのだ。
そうして地球は、人類は救われたのだ。
当然、人類は再び未来への希望を取り戻したことに狂喜した。人々は魔術師たちに接触を試み、魔術師たちの方でも友好的に対応し、人類は新たな歴史を歩むことになった。
それだけではない。それまで世界で活躍していた著名人たちの中から次々と魔術師を名乗る人々が現れて、人類はそれまでもずっと、魔術師たちと共存していたことを初めて知ったのだ。
だが、人類と魔術師の友好関係は長くは続かなかった。早くも翌2000年にはインターネット上で魔術師に対する誹謗中傷が散見されるようになり、それを報道が取り上げたことで、世界は一気に疑心暗鬼に囚われることになった。
なにしろ、人類が科学の叡智を尽しても避けられなかった彗星の直撃を、魔術は退けてみせたのだ。人類には魔術に対抗する術はなく、そして魔術が、魔術師が人類に敵対しない保証など、どこにもなかった。
だが人々はすでに知ってしまった。魔術師がそれまでも、魔術師であることを隠して人々の隣人として暮らしてきたことを。そして誰にも、隣の誰かが魔術師ではないと証明する手段がなかったのだ。
疑心暗鬼に囚われた人々は、少しでも怪しい噂や言動があると他者を魔術師ではないかと疑った。そして疑われた方に、それを誤解だと証明する手段は何もなかった。
疑う方も、疑われる方も、自身の主張を正しいと証明する根拠を持たなかった。それを持たぬまま、声の数と大きさとだけで疑う方の主張がまかり通った。その結果、全世界でわずか1年あまりの間に、十数万人から数十万人もの人々が魔術師だと疑われて殺された。現代に再び“魔女狩り”の嵐が吹き荒れたのである。
そうして最終的に、2001年9月に魔術師の世界征服の陰謀を阻止するとして〈世界同時多発テロ〉事件が起こされ、それを契機として魔術師たちは再びその姿を人類の前から消した。
それからおよそ20年あまり。人類は今でも魔術と魔術師の影に怯えて生きている。だがその間、ただの一度も魔術師が一般の人類を害したと確定した事件が起こっていないこともあり、現在では魔術師に関する陰謀論や噂話はほとんどの人々にはまともに相手にされなくなっている。
だがそれでも、いつか魔術師が人類に復讐する日が来るのではないかと人々は恐れているのだ。
中世のいわゆる“魔女狩り”によって、人々の前から姿を消して世界の裏側に潜んだのだと魔術師たちは言った。そして2000年からの“現代の魔女狩り”で彼らは再び姿を隠した。一度ならず二度までも自らを迫害した人類を、魔術師たちが許すとは思えない⸺。
「じゃ、じゃあ、あんたたちがその魔術師だっていうのかよ……」
「まあ、そういう事になる。ただし誤解のないように言っておくが、魔術師には人類を害する意図はない。自衛隊に魔術防衛隊なんて部隊が創設されたのは、魔術で人々を害されぬための人類側の防衛戦力としてだ」
セツナは語った。世界の主要各国には、すでに同様の魔術的軍事力や警察力が秘密裏に用意されているのだ、と。
何でも魔術師たちは、その存在が公になってから再び姿を隠すまでの約2年の間に、各国と技術供与の協定を結んで魔術の叡智を惜しげもなく分け与えてくれたのだという。
「以来我々は、将来的に起こり得る魔術犯罪や魔術侵掠に即応することを念頭に、今日まで秘密裏に組織を運営してきた。そして3年前、〖Orcus〗の出現を契機として、実戦を積み重ねて今に至っている」
「それを……俺に手伝えと?」
「そういう事だよ。君は民間人だが、すでにオルクスと接触し、我々に保護された。我々としては秘密を知っている君を放置はできない。秘密を守るために殺してしまうのは容易いが、そうするよりも味方として引き入れたいというのが偽らざる本音だ」
それに君には感情をコントロールする力もあるからね、と彼は言った。つまり、お互いにメリットがあるということだ。
「なんか俺に選択権があるみたいな言い方ですけど……」
「その通り、君には選択権がない。無論、拒否権もだ」
「やっぱりな!!」
チキショー!国家権力の横暴だー!!
「だが悪い話ではなかろう?あんなに可愛い子たちに囲まれて、彼女らに好きに命令できるんだぞ?」
「いや言い方!」
「間違ってはいないだろう?」
「間違ってますよ!」
10代の女の子たちに囲まれて、20代の男独りがどれだけ肩身狭くなると思ってんだ!
「ていうかアレだろ!アンタ自分以外の生贄が欲しいだけだろ!…………っておい顔そむけんな!」
「で、では、また明日来る」
「あっ逃げた!」
あまりのことに血が登りかけていた頭が、だがその時一瞬だけ冷静になって、かろうじて動いた。
そうだ、確認しておかないと。
「あっそうだ、あの子は……?」
「あの子?……ああ、『マイ』のことか」
…いや誰それ?
ヤバいってもう頭働かないって。
「彼女は感情こそ大半が戻っているものの、記憶はやはり失われていてな。まあ『霊核』に適合したのだから無理もないが。
figuraはみな同様に、その身に『霊核』を埋め込まれている。それに適合することで自己の記憶や感情を含めてその全存在が『世界』から消失するため、彼女らには失われた本名の代わりに個体識別用のコードネームが与えられる。
君と一緒にいた娘に与えられた個体名は『マイ』だ」
「……『マイ』……」
思えば春の陽気のような、桜の花びらが舞うような明るい感じの子だったから、案外ピッタリな名前かも知れない。
「『マイ』はひと通り身体検査を受けて登録を済ませ、ここに来た2日後にはもう上に戻っているよ。〖Muse!〗の新規加入の研修生として既にプレスリリースも済ませてあるし、今頃はレッスンに励んでいる時間だろう」
「いやだから、なんでそんな動きが早いんですか!お役所仕事ってものはもっとこう!」
「ふっ。実働部隊を甘く見て貰っては困るな。霞ヶ関とは違うのだよ」
あ、そう……。
「さて、他に確認事項はないか?何か要望があれば今のうちに言っておくといい。可能な限り善処しよう」
それって聞くだけ聞いて結局突っぱねるやつじゃん……。
「えっと、⸺じゃあ。俺、喫煙者なんですよ」
「知っているよ。禁煙補助具を支給してあるはずだがね」
「ええまあ、ここじゃ吸えないってんで今も咥えてますけど。働くのは構わないんですが、できれば喫煙所を設けてもらえないですかね」
「ふむ。検討しておこう」
ほーら、やっぱり。『検討の結果、却下された』ってやつじゃん、それ。
「それから、さっき住み込みって……」
「問題ない。君の居室も含めて基本的に全てこちらで用意する。明日、上に戻る事になるからその時に案内させよう」
「さて、他には?」
「…………(思いつか)ないです……」
「そうか。ではこれで失礼する」
そう言うとセツナさんはドアの外に消えていった。
ドアが閉まった後には、頭も心も真っ白に惚けている自分だけが、真っ白な空間に独り取り残される。
⸺いや、真っ白に見えていたけれど、今は何となく灰味がかってくすんで見えてしまう。
うん、そうだな、灰白色。
“茫然自失”の色ってことにしよう。
ああ、全く。
本当に、一体どうなるんだこれから。
ちゃんとやっていける自信なんて1ミリも沸かないんだけどな……。
【お知らせとお願い】
この物語は【Fabula Magia】シリーズの作品になります。拙作『縁の旋舞曲』を始めとするローファンタジー作品群と同一の世界観、時系列で書いています。
時系列で言えば『縁の旋舞曲』が2019年、『引き取ってきた双子姉妹の俺への距離感がおかしい』(連載中)が2016年スタートの38話時点で2020年、『俺とMAIKOの一週間』(連載中)が2022年、そして本作が2023年になります。
それぞれ話がリンクしているわけではないのですが、併せて読むと世界観の理解に役立つかも知れません。
フィアーフォール事件に関しては、当然ながら実在の事件ではありません。詳細は『縁の旋舞曲』の序章2「とある世界の“世界”の話」にて詳しく語られています。興味がお有りであればご一読をおすすめします(宣伝)。
ちなみに1996年に新しく発見された彗星自体は実在します。ただし本作執筆時点(というか『縁の旋舞曲』の執筆時点)ではその存在を把握しておらず、当然ながら無関係ということになりますので、その点ご了承下さい。
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