第十一幕:3年前のこと
「…………今まで与えた情報だけで、よくそこまで辿り着きましたね」
必死に動揺を隠しつつ、何とかそれだけ言えた。正直、ちょっと見くびってたわこの人の洞察力と頭の良さを。
「君は今の話の中で、意図的に『記憶』に関する話題を外しただろう。敢えて『感情』に関する話しかしなかった、その違和感が取っ掛かりだった」
「…。」
…。
「オルクスを本当に喰ったというのなら、オルクスの性質を得たというのならば、君が記憶を部分喪失しているのはおかしな話だ。であれば、記憶の喪失には何か別の要因がある、という事になる。
弟を喰ったオルクスを“喰った”とは言うが、ただの人間がそれでオルクスの性質を得られるという保証もなければそのような前例もない。だが“喰われた”のであれば、あるいはオルクス側の能力などで取り込まれ同化するような事も可能性として考えられなくもない。
無論、それも今まで確認された事例などないし、そうした現象が起こり得るかの議論もなされたことはない。だが君がそうだと発言した以上は、議論と検討の余地が発生する」
所長は真顔のまま、淡々と推論を積み重ねてゆく。推論の積み重ねは1か所間違えるだけで結論が明後日の方向に行きがちだから、普通はそんな事はしない。
けれど推論に説得力を与える根拠は、俺は提示しなかった。それは所長も分かっているはず。
「残念ながら、今の話を聞いただけでは確証を得るほどの根拠に乏しい。それでも、話を進める前提と限定した上でひとまずは君の話をそのまま信じるとして、だ。そうなると新たに疑問が発生する。
つまり、今私の目の前にいるお前は、お前の言うところの“兄”なのか、それとも“弟”なのか、という問題だ。⸺で、どちらだね?」
「そ、そんなの決まって⸺」
「決まっていないだろう?お前の言う“同化”が起こり得るとして、取り込んだ主体がオルクス個体でないというのなら、人間であるはずの君たち兄弟のどちらにも主体となる可能性が出るだろう?」
…すごいな。満点だ。
「……“兄”ですよ。悠というのは弟の名ですけど」
「何故弟の名を名乗るのかね?」
「それはあいつが俺の中にいるからです」
所長の目を真っ直ぐに見返す。
彼の全身から立ち上る、知的好奇心の“感情”を視て、この先を話す踏ん切りがついた。
「貴方の言うとおり、これは弟の、というか悠を喰ったオルクスの能力です。あいつが俺の目の前でオルクスに食われて、取り込まれ同化していったのを俺はこの目でしっかり見ています。多分、“同化”があのオルクスの能力だったんでしょう。そして俺はそのオルクスを喰った。⸺いや、正確にはおそらく互いに喰い合った。
だから俺の中にはあのオルクスと悠がいて、俺と悠と悠を喰ったオルクスは、もう一体化して不可分なんです」
「なぜ同化していったと言い切れる?」
「目の前でアイツが、紫色の“異形”に変容していくのを見せつけられたんですよ?むしろそう信じない方が俺の中では有り得ない」
「ふむ、なるほど」
「オルクスに喰われた事で悠の存在はこの世界から消失した。だけどその悠を喰ったオルクスをその場で俺が喰ったことによって、俺の中には悠の存在が残った。だからこの名を名乗るのは、悠が存在した証明でもあるんです」
実際、あの事件のあと、俺の周りは誰ひとり弟のことを憶えていなかった。そう、あたかも最初から存在しなかったかのように。
「…………お前の名を改めて問おうか。
兄であるお前の、本当の名を」
その問いは、所長が俺の発言を事実だと認めたと端的に示していた。
「シュン、です。瞬間の、瞬。」
「ふ。私と同じ名か」
「まあ、意味としてはそうですね。ただの偶然ですけど」
“刹那”と“瞬”だからね。
まあ所長のはおそらく本名じゃない気はするけどね。刹那に那由多に、守衛長は確か織部“瞬息”だっけか。
「俺に部分的に記憶がないのは、時々悠を表に出してやってたからです。悠が表に出ている時は、俺は基本的に“中”で意識を閉じているから記憶はほとんど残らない。でも悠は常に俺を通して“外”も見ているし記憶も保っています。
Muse!は悠が好きで、1周年記念ライブはあいつが見に行きたがったものです。だからチケットも悠が用意して会場に向かい、『マイ』に声をかけられる直前までは悠が表に出ていたはずです。あの日、俺は身体を1日悠に明け渡して“中”で寝ているつもりでした。
⸺まあ、あの時、何故悠が引っ込んで俺が“外”に出たのか、それは今でも分からないんですけどね。あの時しばらくは“中”でも見当たらなくなっていたし、数日して戻ってからも、悠は“外”には出て来なくなってしまった。“中”では前と変わらず健在ですけどね」
「オルクスの性質を取り込んだだけでなく、人格までも自在に入れ替えられるというのか。それも自己の多重人格ではなく、元々別の自我だった人格を……」
「それもまあ、オルクスと悠を喰ってからの話ですがね。そもそも悠がMuse!のファンになったのも俺の中に入ってからですし」
「……待て。悠がオルクスに喰われたというのはいつの話だね?」
…本当に凄いな。そこにも気付くんだ。
「3年前ですよ。俺が25歳、悠が22歳の時でした。
3年前のあの日、俺たちは“新宿”にいたんです」
そう言った時の所長の、驚いた顔といったら。
「……まさか、お前の口から“新宿”の地名が出るとはな」
…まあ驚くのも無理はないよね。今じゃ新宿を憶えている人なんて居ないはずなんだから。
「私ですら調査記録の資料の上でしか知らん。
それをお前は憶えている……というのか」
「オルクスによって引き起こされる記憶や感情の喪失は俺には効かない、って証明になると思いますが、いかがです?」
3年前に突如発生したというオルクスの“侵攻”。それは新宿で初めて発生し、駅と都庁を中心とした一帯が丸ごと全て人々の記憶から奪い去られた。
以後、そこは人々の、いや世界の記憶から失われて“存在しないもの”となった。地図には何も描かれず、何故かフェンスとゲートで隔離されたその向こうのことは誰も知らない。山手線をはじめ鉄道各路線も存在しない場所の手前で折り返し運行するため、最近それを不便だとする意見が出てきて、それで迂回ルートを新たに構築しようという機運が高まりつつある。
「…………つくづく規格外だなお前というやつは。味方としてこちらに取り込んだのは、偶然とはいえ奇跡的な幸運なのかも知れん」
「少なくとも“処置”としては最良の選択だったと思いますよ?自分で言うのも何ですし、当初の俺も悠もそこまで考えてませんでしたが」
「ああ。間違いないだろうね」
左手を再び掲げる。
小指の半分ない、歪な形の左手を。
「この小指がないのは、悠に喰われたからです。
あの時、オルクスの大きな口の中で死に瀕していたあいつは、助けようとヤツの口の中に伸ばした俺の手に縋りつくように噛みついて、この小指を喰いちぎってそのまま取り込まれていった。小指がちぎれたことで手が離れて口の外に吐き出された俺は、だから悠の仇討ちとばかりに喰い返してやったんです。
つまり、悠は俺を喰い、オルクスはその悠を喰い、俺はそのオルクスを喰ったんです。だからその三者は混ざり合い融け合ってひとつになった……」
そう。全員が捕食者で、そして被捕食者でもあるのだ。だからこそ、今の俺の有り得ない状態が成り立っているのだろう。
つまり、ホスピタルがこの左手の小指をオルクスに襲われた古傷だと判定したのは、間違っていたわけではないのだ。
「そういうことか。記憶と小指に関する謎もこれで分かった。本当に、よく話してくれた」
「ドレスのスキルが俺に効く、って話だけで留めるはずだったんですけどね。後半は所長が無理やり引き出したんですよ」
「まあそう言うな。この話は聞けて良かったと思っている」
「……ここまで話した以上は、もう俺は離れませんからね?そして何かあった時には所長が裏切ったと見做しますからね?」
「分かっている。何度も言うが心配するな」
「こう見えてチキンですから心配も後悔もビビリもします。こればっかりは性分なんで、何度言われても治りませんね」
「ふ。それだけ減らず口が叩ければ上等だろう。
⸺また明日にでも来る。それまでどうにか暇を潰しておきたまえ」
所長は少し笑いながらそう言うと、踵を返しつつ右手を軽く掲げて挨拶をしてから、部屋を出て行った。
…あの手には何の意味が?
いや、人と別れる時には普通によくやる仕草だけどさ、所長さん今まで僕らにそんな事したこともないよね?
そんな親密度上がるようなイベントだったっけ今の?
ていうか兄さん、ああもべらべらと喋って本当に良かったん?何があっても僕知らないよ?
ま、大丈夫だろ。それに、意図的に話してない話はまだあるしな。
というわけで、「…」から始まる地の文は全て、主人公の弟の“悠”のセリフだったのでした。
一人称の差異など違和感があったかと思いますが、誤字とかではなく最初から意図的に書いていたものです。悪しからずご了承下さい。
…………そうと分かった上で最初から読み直したら、ちょっと意味不明だった箇所もスッキリ腑に落ちるかも?
(50話以上あるのに無茶を言う)
次回更新は15日です。
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