第七幕:杜若色の愉悦
どのくらい時間が経っただろうか。微睡んでいると、再びドアが開いた。
誰かが入ってきた気配がする。
「気分はどうかね?」
目を開けて状況を確認するより早く、そう声をかけられた。
「……どちらさまで」
「君の主治医を務める者だよ。コウヅマという。よろしく」
入ってきたのは初老の男性だった。痩せぎすで、主治医というからには医師なのだろうけど、目の奥の得体の知れない強い光がひどく気になった。
まあ、正直あまり好意的にはなれそうにない感じだ。少なくとも、白衣こそ着ているが医者には見えない。研究者とか科学者とか、そういった印象の方が強い。
「しかし、君の身体は一体どういう構造をしとるのかね。オルクスの攻撃をまともに受けても死なないどころか、記憶や感情の喪失もほとんど見られないとは。実に興味深い」
…ああ、分かった。
この人マッドな匂いがするんだ。
「……まあいい。それはさておき、簡単に診断結果を伝えよう」
コウヅマと名乗った老人は、手元のタブレットを操作しつつ、そこに表示されているであろう診療録を読み上げる。
いや、普通はそれ、患者に見せつつ説明するものじゃないのか?
「君の故障箇所は鎖骨骨折、右上腕骨頭粉砕骨折、右肩甲骨複雑骨折、右第一から第三肋骨骨折、及び右肩部分の筋組織の部分喪失。さらに当該部位の神経、血管、靭帯の断裂・喪失。
まあ重傷だな。全治3ヶ月から6ヶ月といったところか」
そう言われてさすがに驚いた。
なんだそれ、普通に即死級の重傷じゃないか!
「そんなに……!?に、日曜までに、治さないといけないのに……!」
「⸺ふむ。その上さらに、有り得ない短期での寛解をご所望ときたか。どうやら脳へのダメージもあったと見える」
言われ放題だがツッコんでなどいられない。
無茶なのは分かっている。でも治さなくてはいけないんだ。
「だがしかし、手段がない訳ではない」
…あるの!?
「おおかたマスターとして、マネージャーとして、figuraの側に居たいとでも言うのだろう?仕事熱心なのは良いことだが、無茶も程々にしておかんと寿命を縮めるぞ」
…うっ、マッドな人に常識的な心配をされてしまった……。
でも、僕が会場に居た方がライブが上手く行く気がする。だから。
「多少の無茶で済むのなら、やる価値はあります」
「覚悟はあるということか。まあよかろう。その代わり、私の治療方針に一切異議を唱えないこと、私の研究に全面的に協力すること、それが条件だ」
ううっ。
ちょっと怖いけど、でも、やるしかないか。
「それでもいいです。お願いします」
「ふむ。承った」
コウヅマ医師は、いやにアッサリと了承の意を伝えてきた。表情は澄まして平静そのものだが、俺が了承した瞬間に感情に愉悦が混じったのが何故かひどく気にかかる。
えっもしかして、なんか企んでるのか?
「ああ、それとな。君と一緒に搬送されてきた個体だがな。意識を取り戻したぞ」
「!」
「本来ならば上半身が消し飛んでいてもおかしくはなかったが、幸い、直撃の寸前に君もfiguraも重なり合って倒れ込んだ形になったため、オルクスの攻撃もかすめた程度で済んだというわけだ。おそらくは記憶の減退が見られないのもそれが功を奏したのだろうな。全く、運がいいことだ。
無防備な背中を晒した分だけfiguraの方が損傷は深かったが、治癒魔術の応用で回復は順調だ」
個人名ではなくfigura呼ばわりされるのは不快だったが、そんなことよりもユウが快復した事実の喜びが勝る。
彼女の顔が見たい。彼女に顔を見せて安心させてやりたい。命を救ってもらったお礼を言わなくてはならないし、怪我をさせてしまったことを詫びなくてはならない。
「ユウは、どのくらいで復帰できそうですか」
「まあ2、3日といった所だろうな。死人ゆえに自然治癒力はほぼ無いが、『霊核』の自己修復能力は正常に機能している。問題なかろう」
なんかこう、いちいち言い方が気に食わないな。ホスピタルの医者ってこういう奴ばかりなのか?
そりゃあfiguraはすでに死んだ少女たちで、扱いとしてはオルクスに対抗するための兵器なのかも知れないけど。でも、ひとりの年頃の少女なんだぞ。
だが次の一言は、それ以上に許容出来なかった。
「オルクスの攻撃によるfiguraの負傷案件も久しぶりだ。寛解まではせいぜい実験データを取らせてもらうとしよう」
…実験!?
「あんた、ユウに何をするつもりなんですか!?」
「そんなもの決まっているだろう、『霊核』の研究解明のための実験だ。何しろ稼動中の適合個体を実験にかけられる機会などそうそう無いのでな。良いデータが得られると期待している」
「……!そんなこと、させるか……!」
「半死人がなーにを喚いとる。個体そのものよりも『霊核』の解明の方がよっぽど重要だろうが。
それに今回はfiguraだけではなく、君という逸材もおるからな。どこまで実験が捗るか、今から楽しみだわい」
そう言ってクククと嗤うコウヅマ医師からは興奮と歓喜と、だが一番濃いのは杜若色、つまり赤みがかった紫色の“愉悦”。どれも濃い紫が混じってるあたり、相当ロクでもねえ奴だなコイツ。
くっそ、こんな奴に身体いじられるとか冗談じゃねえぞ!何とかしないとユウも守れないし、そもそもライブに間に合うよう治すどころじゃなくなっちまう!
だが身体も満足に動かない今の状態で何をすればいいのか、どうすれば自分とユウを守れるのか、咄嗟に妙案が浮かばなかった。
「残念ながら許可は出来ないな」
ひとりで内心焦っていると聞き慣れた声がして、ドアの方を見ると所長が戻ってきていた。
ナイス所長!いい所に帰ってきてくれた!
「ユウの意識が戻ったと聞いてとって返してみればこれか。コウヅマ、貴様の上司が誰だか忘れたか?」
コウヅマ医師がまずい奴に聞かれた、という顔をする。
「稼働個体、つまりあれは現役で活動しているアイドルで社会的な注目もある。『霊核』の解明ももちろん重要だが、それ以上にユウは五体満足かつ精神的にもクリーンな状態で返してもらわねばならん。それに彼も我々にとって必要不可欠な存在でね、どちらも貴様の玩具にするわけにはいかんのだよ。
よって貴様は主治医から外す。拒否権はない」
「くっ……!」
「というか、そもそも貴様をふたりの主治医に指名した覚えは無いのだがね?」
どうやらコウヅマ医師は、自分の研究と実験のために俺を欺いたようだ。あっぶねえ完全に騙されるとこだった!
「所長……!」
「心配するなと何度言わせる気かね。全く君というやつは」
そう言って苦笑する所長を見て、不覚にもちょっとカッコいいとか思ってしまった。この人出会った当初からずっとポンコツオヤジ風味だったのに。クッソ、やる時はやる系の属性付与とか要らねえのに!
「……『霊核』の解明は政府首脳からの直下命令でもあるのだがね。司令こそ、いつまでもそうやって上に楯突けると思わない方がいいですぞ」
捨て台詞のつもりなのか、所長に悪態をつきつつコウヅマが出て行く。止めるつもりはないようで、所長はすっと身を引いて通してやった。
そういや所長って、魔防隊の司令で特殊自衛隊の三佐なんだっけ。
「いいぞ。入れ」
そしてそのまま、所長は廊下に向かって声をかける。
そこにいたのは。
「……ユウ!」
「マスター!良かった。よくぞご無事で……!」
「ユウこそ!無事で良かった!」
入室してきたユウは無事なはずはなく、左肩を中心に上半身をギプスで固定して、右手には杖をついていた。上半身のバランスが上手く取れないようで、杖に頼ってようやく立っているという印象だった。
それでも綺麗な顔や髪が無傷だったのが、せめてもの救いだった。
「自分も絶対安静だというのに、君に会わせろと言って聞かんのでな」
「だって、マスターにもしもの事があったら、皆さんに会わせる顔がありませんから」
「…………お前は色々と背負い込みすぎなんだ。もっと皆を頼れ。皆に甘えろ」
「私がそう出来ないのは、所長が一番よくご存知でしょう?」
「それでも、だ。今はもう、頼れる仲間がいるだろう?」
何の話かよく解らないが、確かにユウはひとりで抱え込むような所があるとリンも言っていたっけ。
俺に開示されたデータを読む限りでは、ユウは最初のfiguraだ。それもオルクスが出現し始めてから半年以上経ってからfiguraになった、おそらくは魔防隊としては待望の存在だったはずだ。そして二番目のリンがfiguraになるまで、ユウはたった独りでオルクスに立ち向かっていた……そのはずだ。
彼女が仲間を頼れない、頼らないというのなら、きっとそのせいだろう。彼女の周りに所長みたいな人ばっかりだったならともかく、あのコウヅマみたいな奴のほうが多かったりすれば、尚の事だろう。
でも今はそれよりも先に、彼女に言わなくてはならない事がある。
「俺はこの通り無事だから、ユウももう自分の病室に戻りなよ。俺より早く治るみたいだから、早く治して上に戻って、みんなを安心させてやってくれ」
「マスター、ありがとうございます」
「礼を言うのはこっちの方だよ。君が居なかったら俺はきっと死んでた。本当に、助けてくれてありがとうな。
そして、ゴメンな。巡回に連れ出してさえいなければ、こんな事にはならなかったのに」
「それは違いますよマスター。巡回に誘って下さったから私は貴方をお守りする事ができたんです。それだけで私は感謝の気持ちで一杯なんです」
…ん?なんか引っかかる言い方のような?
「まあ要するに不幸中の幸いというやつだ。結果的に、悪いなりにも最善の結果を得られたわけだからね。
⸺さて、マスターにも会わせた事だし、本当に自室に戻りなさい。まだ絶対安静なのを忘れるな」
「分かりました。では失礼します……」
名残惜しそうに軽く頭を下げて、ユウはドアの向こうの廊下へと消えていった。




