第六幕:真っ白な部屋
意識がゆっくりと浮上し、緩やかに覚醒する。
…………ここは……?
真っ白な、窓も何もない部屋。
だがその白い壁と天井に、見覚えがあった。
ああ、ホスピタルにいるのか。
「気が付いたか」
不意に声をかけられて、その声のした方に目をやると、少し離れた壁際に涅所長が立っていた。
「一報を聞いた時は肝を冷やしたぞ。だが、一命を取り留めたようで何よりだ」
彼はそう言いながら、ベッドサイドまで寄ってきた。
「……みんな、は……?」
「彼女らには異常はない。多少、動揺が残っているがね」
ああ……良かった……
「だがユウだけは重傷だ。君を庇ってまともに背中から攻撃を食らったからな」
……!
「無事、なんですか……!?」
「“消失”は免れた。だがまだ意識が戻らん」
そんな……!
「ひとまずそれは考えるな。今は自分の身体の回復にだけ集中しろ。ユウはfiguraだ。いよいよとなれば彼女には魔術での治療も施せる」
「ユウが戻らないなら……俺だけ、戻っても、意味が……。みんなに……会わせる、顔が……」
「だから気にするなと言っているだろう。『霊核』さえ無事ならユウが消失することはない。
だが君は生身だ。そして君の替わりは利かない。今は一刻も早く身体を治すことに専念して、みんなを早く安心させてやれ」
あ…………そうか、figura……か……
「合点がいったなら安静にしていろ。ファクトリーとホスピタルの総力を挙げて必ず完治させてやる。
いいな、分かったら自分の事だけ考えておけ」
そこまで言って、所長はドアまで歩いていくと、いきなり開けた。
その向こうで、ユウ以外の6人とナユタさんが聞き耳を立てていた。
「…………あっ、これは……その……」
いきなりドアを開けられるとは思ってなかったのだろう。全員固まってしまって動かない。ホスピタルの病室は全部スライドドアだから、ドアノブで察知することも出来ないしな。
「……お前たち。面会謝絶だと言っただろう」
「そ、そんな事言われたって我慢できるわけないでしょ!?」
いの一番に声を上げたのはリンだった。
まあ彼女は、目の前で見てただろうからなあ。
「マスターは、マスターは無事なんですよね!?」
「マスターは!?いしきは戻ったの!?」
「意識が戻れば会わせてくれるという約束よね?」
声も感情も心配一色のマイと、聞くだに泣きそうな声のハルに、彼女たちを気遣いながらもふたりに乗っかるレイ。
なんでかな、特に何もしてないはずなのにハルに懐かれてる気がするな。
「……いっぺん殺しとくべきかとは思ってたけどよ、まさか本当に死にそうになるなんて思わねえだろ……」
アキは相変わらず物騒な物言いだが、感情が困惑と後悔で塗り潰されてるあたり、やっぱり性格はそこまで物騒じゃないのよね。
後悔が見えるのは、自分だけが巡回を外れてたことに対する感情……かな?
「み、皆さん落ち着いて!」
そしてナユタさん。さすがに指導監督役的な立場で年齢も大人の彼女は比較的冷静だな。とはいえ彼女もリアルタイムでモニタリングしてたわけで動揺が隠しきれてないけども。
んー、こうして冷静に分析できてるあたり、だいぶ意識が覚醒してきたかな。
…………あれ、でも待てよ?
誰か、いない気が……?
そう思った瞬間、不意に視界が遮られた。
「マスター!」
口々に騒ぐみんなの脇をすり抜けて病室内に駆け込んできたサキが、止める間もなくベッドに飛び込んできたのはその時だ。
ちょうどあの時のユウと同じような体勢で、彼女は俺の右肩から首筋に抱きつく。
右肩から右腕はギプスに覆われていた⸺抱きつかれて初めて気付いた⸺が、それでも抱きつかれたことによる衝撃が負傷した神経を直撃する。
「い、痛だだだだだっ!」
「マスター、マスター!マスターが死んじゃったら私どうしたら!やだ!死んじゃやだ!マスター!」
「し、死なない!死なないからどいてサキ!痛い!痛いって!」
ていうかむしろ、この子のせいで今死にそうだわ……!
「……!」
…あ、僕が意識を回復してることにようやく気付いたなこの子。
サキは大慌てでベッドから飛び退くと、一瞬で取り繕って澄ました顔になる。
遅ぇよ。ってか懐きすぎだろお前。
「……な、なんだ。お、思ったより元気そうじゃないですかマスター」
「元気じゃ、ねえよ……痛っつぅ…………!」
「はわわ……!マスター大丈夫ですか!?」
サキに続いてマイが病室に駆け込んできて、それを皮切りに全員がベッドまで駆け寄ってくる。
「ちょっとサキ!いきなり抱きついたりしたら痛いに決まってるじゃないの!少しは考えなさいよ!」
「そう言うリンも抱きつきたかったんじゃねぇのかよ。ずっと涙目でオロオロしっぱなしだったクセによ」
「なんて言ってるアキちゃんだって、リビングを動物園のクマみたいにウロウロして落ち着かなかったよね。人のこと言えないと思うなぁ」
「わ、わたし、ちょっとお医者さん呼んできます!
……って、先生ってどこにいるんですか……?」
「騒ぎすぎだお前たち!相手は重傷の怪我人だという事を忘れたか!」
心配してくれるのは嬉しいけど、痛い……!
お願いだから、そっとしといてくんねえかな……
…あっ、そういえば……!
「そういえば、今日は……!?」
みんなの仕事は!?ライトサイドのライブは!?
⸺痛っつ!
「心配するな。君が意識を失っていたのは搬送されて緊急手術を受けていた間だけだ。まだ君が襲われてから4時間も経っておらんよ」
なんだ……良かった……
「ユウの負傷で彼女とハルの収録はキャンセルになった。レイとリンがゲートまで討伐成功したため、午後の巡回もナシだ。だから心配せずにゆっくり休みなさい」
所長の声がなんかいつもより優しいのは、きっと安心させようとしてくれているからだろう。レイが「いえ所長、あれは……」と何か言いかけて、所長に手で制されて黙り込む。
うん、なんか忘れてる気がするけど。
「分かりました……すいません……」
「詫びる必要はない。巡回中にゼロ距離で遭遇するなど過去一度もなかったことだ。だから今回のことは不可抗力に近い。
だが君が光魄に気付いたおかげでユウのカバーもかろうじて間に合ったし、君がサキにスケーナ展開を指示したおかげで奴らを取り逃す事態も防げた。レイとリンは責任を持ってゲートまで討伐を完了した。
全員で最善を尽くしたと言えるだろう」
「ユウちゃんの負傷はマスターともども交通事故という事で報道操作済みです。だから何も心配いりませんから」
所長とナユタさんにそこまで言われては、さすがにそれ以上食い下がることもできなかった。
しれっと報道操作とか聞こえたけど、うん、スルー一択だな。
だけど気にするな、詫びるなと言われたって、気にならないはずがない。常に最悪の事態を想定するなどと言っておきながら、突然目の前にオルクスが現れる可能性なんて考えもしなかった。
今回のことは、間違いなくマスターである俺の危機意識が足らなかった結果だ。想定して心を備えてさえおけばあの時身体も動いたはずだし、ユウを危険な目にも遭わせずに済んだはずなのに!
「さあ、お前たちも無事が確認出来たならもういいだろう。今はゆっくり寝かせてやれ」
所長はそう言って、半ば無理やり全員を部屋から追い出して自分も出て行った。
後にはナユタさんだけが残る。
「本当に、無事で良かった……!」
「ナユタさん……」
彼女は笑顔だったが涙目になっていた。心からの安堵の感情を浮かべている。きっとみんなの前では気丈に気持ちを抑えていたんだろう。
…心配、かけちゃったなあ。
「後のことは任せて下さい。ユウちゃん以外のスケジュールは予定通り滞りなく進める手はずになっていますから」
「じゃあ、ライトサイドのライブも……?」
「はい、現状では中止は検討されていません。だから本当に何も、心配いりませんから」
「そうですか……良かった……」
…ああ、でも、ライトサイドのライブ、見られなくなっちゃった。
見たかったなあ。
「桝田さんの傷が癒えるまでは私が代役を務めますから。だから心配しないで、ゆっくり療養して下さいね」
「いや、それはそれで心配……」
「もう!大丈夫ですから!これでもずっとやってきたんですから、安心して任せて下さい!」
「そう、じゃなくて、ナユタさんの負担が……」
「…………もう。本当に大丈夫ですってば。こんな時くらい、人のことより自分の心配をして下さいね」
「本当に、申し訳ない……」
「何度も言わせないで下さい」
「いや、ライブが見たくて……」
「えっ?…………まさか、会場に行きたいとか言うんじゃないでしょうね?」
「…………」
「ダメですっ!絶対安静なんですからね!」
「いや、でも……」
レイが言っていた事が気にかかる。ライブで何かサプライズを用意しているような、そんな口ぶりだったから。
「でも、じゃありません!私や皆さんの事を心配するなら、そのぶん早く治して下さい!」
ああ、そうか。
早く治せばいいんだ。
「……分かりました」
俺が納得した様子を見て、ナユタさんもようやく息を抜く。
「では、私も仕事に戻りますので。
ライトサイドには衣装を渡して、今からレッスンに行ってもらいますから、だから本当に大丈夫ですから。ね?」
そう言い残すと、ナユタさんも部屋を出て行った。
ふう。
さて、どうやって治そうか。




