第三十六幕:マイの正式加入(2)
結局、マイは何とか気付けして意識こそ回復したものの、ほとんど何も食べられないままレッスン場に向かった。後で何か差し入れしてやらなきゃ、絶対あれ夜まで持たないわ。
それにしても、マイのあがり症はちょっと予想以上だったわ。俺が胃をキリキリさせてんのとは全くレベルが違うっていうか。
…だけど、マイは腹くくったら結構大胆になりそうなんだけどなあ。
でもまあ、とりあえずその前に確認する事が色々ある。
「ナユタさん」
「ひ、ひゃい!?」
事務所に顔出して声をかけたら、大仰に驚かれて涙目の裏声で返事された。
…いやナユタさん、怯えすぎ。別に取って食ったりしないですって。
「今夜の番組で何を歌うのかとか決まってるんですか?」
「えっ?ええと、『Fabula Fatum』のレフトサイドバージョンを……」
いやそれMuse!の代表曲!
てかそれデビューライブの取っておきのやつ!
「そうなんですけど、現状マイちゃんが一番歌い慣れているのがそれだって話だったので……」
「いやまあ、それはそうでしょうけど……」
あー、でもそうか。生歌歌唱だから絶対失敗出来ないしなあ。となるとやっぱりそれになるかあ。
まあ出演は一曲披露すれば終わるし、何とかそこだけ頑張ってもらおう。
事務所でしばらく業務連絡や関係各所への電話挨拶、午後の巡回に出ているレイとサキの様子の確認や別件の収録に向かったリンとアキのフォローなどして過ごして、あっという間に1時間ほど経過した。
「えっと、じゃあ俺、レフトサイドに付いてますから。何かあったら連絡入れて下さい」
「はい、分かりました。
⸺あ、ところで、例の出演告知なんですけど」
「?な、何か問題でも……!?」
「1万リツイート超えそうです」
え、もうそんなに!?
「……そ、それは、マイには絶対内緒にしといて下さいね……」
パレスからレッスン場までの間に歩きながら、タブレットで開いて確認する。
マジだ……。こないだのリンのブログとか目じゃない勢いで拡散されとる……。しかもコメントも相当来てて、いちいち読んでられんぞこれ。
でも、少し読んだだけでもマイに好意的なコメント多いな。受け入れられそうでちょっとそこは安心した。
…………ん?
“マイちゃんに掃除して欲しい”
“マイちゃんと一緒にお掃除したい”
“掃除用具になってマイちゃんに使われたい”
…んん?なにこのコメント?
ていうかこれ、もしかして……。
っと。思わず行き過ぎる所だった。
けど、そう言えば手ぶらだし、ちょっとそこのコンビニまで行って差し入れ買ってくるか。そろそろ腹減ってへばってる頃だろうし。
コンビニで適当に弁当を見繕って買い込んでレッスン場に上がると、案の定マイがへばっていた。
「マイちゃん大丈夫ー?」
「もう、だから言いましたよね?お昼抜いたら歌えなくなりますよ、って」
「で、でもぉ……」
「あー泣くな泣くな。差し入れ買ってきたから」
「あっ、マスター。差し入れ、ありがとうございます♪」
「ま、マスター。私もう、お腹ペコペコで……」
とりあえず休憩を入れさせて、差し入れの弁当を広げる。
ん?マイ、何でも好きなの食べていいぞ?
「あ、あの、マスター。私、その、おかずがない方が……」
「……は?」
「そ、そのぅ、やっぱり、あんまりノドを通らなそうで……」
あー、まあ分からなくはない。
「んー、じゃあ、もう少し待っててくれるか?ちょっと用意してくるわ」
「えっ?」
「それ、ユウとハルで食べてもいいぞ。残ったら後で俺食べるから」
「マ、マスター?」
訝しむマイたちをよそにレッスン場を出る。弁当が食べられないってんなら仕方ない。
パレスに戻ってダイニングへ直行する。確か、昼のご飯がまだ残ってたはずだ。そう思って保温状態のままのジャーを開けると、やっぱり少し残ってる。
腕まくりして手を洗い、皿と塩を用意して手に水を付ける。
いくつか出来上がったところで皿ごとラップをかけて、レッスン場まで持って上がった。
「お待たせ」
「マスター、私達を待たせたままで一体何を……」
「はい、マイ。これなら食えるか?」
「えっ?」
「簡単な塩にぎりだけど、何も食わないよりはマシだろ?」
「あっ、は、はい!ありがとうございます!」
「ふふ。マスター、お優しいんですね」
…何だかほっこりした目でこっち見てるけど、ユウさあ、きみ弁当ひとつ平らげてるよね?
俺の握った塩にぎり程度で腹が満たせたか分かんないけど、とりあえず食べた後のマイは見違えるように動けるようになった。むしろユウがお腹が張って辛いとか言い出す始末だった。
そりゃそうだろ。お昼食べといて2時間程度でまた弁当食べたんだから。
「マスターがお弁当3つも買ってくるのが悪いんです!」
「別に必ず食えとは言ってねえし!」
マイの歌とダンスに関しては、見た感じで不安点はなさそうだった。あとは、本番直前にあがってしまって全部飛んでしまわないか、そこだけが心配だな。
ピピッ。
『マスター!オルクスの出現を検知!遠隔でレイちゃん達のサポートをお願いします!』
ああもう!この胃が痛い時に!
すぐにレイに繋いで状況を聞き取り、衣装と武器を選択する。幸い、そう手強い敵でもなかったようで数分でバトルを終えられた。
『マスター!ゲートも発見しました!引き続き遠隔サポートお願いします!』
なんで今日に限ってゲートまで出るんだよ!
『マスター、サポート助かったわ。けど、こちらは大丈夫。次はこの前見せてもらったように、何とかやってみるわ』
「大丈夫かレイ?今日は二人組だろ、スケーナ張りながらだと相当キツいと思うぞ?」
『私を誰だと思ってるのかしら?貴方が来るまでと同じなのだから大丈夫よ、任せなさい。それよりも、貴方はマイを見ててあげて』
「分かった、ありがとう。そっちも気をつけて!」
とは言ったものの、やっぱり俺はマスターだからな。マネージャーの前にマスターだから、レイが現場で細かい戦闘指揮だけ考えれば済むようにしておいた方が絶対いいはずだ。
だからナユタさんに敵の構成を聞いてドレスを編成する。ゲートまで少し離れていたようで、レイたちが接敵する前に何とか戦闘準備を終えられた。後はナユタさんに戦闘指揮以外を代行してもらうようお願いする。
で、マイはといえば。
ダンスレッスン室に戻ると、ちょうど1から確認するところだった。どうせなのでそのまま見せてもらう。
うん、多分間違ってない。と思う。
いや、正直な話うろ覚えなんだけどさ。
ああっ!こんな事なら振り付けちゃんと見て覚えとくんだった!歌の方なら歌詞をタブレットで表示できるのに!
結局見ただけでは分からんので、一通り曲を終えたところでユウに確認してみた。
「どう?行けそう?」
「はい♪マイさんもうバッチリです♪」
「よし、じゃあ合格だな!」
「えっ?」
「ユウがバッチリって言ってんだから絶対大丈夫だろ!よかったなマイ!」
もうここまで来たら、ひたすらマイに自信付けさせるのみだ!
「よし、じゃあダンスは本番前に最終確認するとして、あとは時間まで歌唱チェックしよう!」
「マスター、そっちも完璧です♪」
「えっ、そ、そうですかね……?」
「大丈夫ですよマイさん。私達がちゃんとフォローしますから♪」
「そだよー!ハルにおまかせっ♪」
「は、はい!」
歌の方も間違えた箇所は見当たらなかった。細かい音程とかはよく分かんないけど、ひとまずこれなら生歌披露には差し支えないレベルだろう。
時刻を確認するともうすぐ4時半を回るところだった。出来れば6時までにはスタジオ入りしたい。となると今が切り上げ時ということになる。
「ユウの判断に任せたいけど、ぼちぼちレッスン切り上げた方がいいと思う。どうだ?」
「はい、大丈夫だと思います♪」
「よし、じゃあパレスに戻ろうか。スタジオ入りする準備しないとな」




