第三十三幕:山吹色のやる気(1)
「おはようございます。桝田さん、今日は調子はいかがですか?業務の方はこなせそうですか?」
「……おはようございます。まぁだ眠いっすけど、まあ、仕事はせにゃならんですから」
「ふふ、ホントに眠そうですね。でも今日は働いてもらいますからね」
「分かってますって」
7月5日。地下のホスピタルでの拘束を解かれて地上に戻った日から、つまり〖MUSEUM〗で正式に働き始めてから七日目の朝、出勤してきたナユタさんとそんな挨拶を交わす。今日はどうやら休ませてはもらえなさそうだ。
昨夜、あのあと帰り支度をしていた所長とナユタさんを捕まえて、例のトドロキさんが居ないことを確認してからメモリアクリスタルを手渡した。
精製のプロセスがどうなっているのか考え込む所長に、必要とあらばホスピタルに缶詰して調べてもらっても構わないと伝えて、自室に帰ってシャワーもそこそこに眠り込んでしまった。
そして一夜明け、今が朝の8時前。昨夜寝落ちする前がたしか21時過ぎだったから、まあたっぷり10時間ぐらいは寝てた計算になる。
ちなみに自室は昨日までで改装工事が完了し、昨日の日中に家具類の移動も済まされていた。新しい、そして正式な俺の部屋となったのは事務所棟の三階に増設されたワンルーム。もちろんバストイレ完備だ。
なので今朝、目覚めてから早速バスルームを使わせてもらった。これで事務所棟二階の職員用シャワールームまでわざわざ行かなくてもよくなったし、何より女子寮から脱出できたってことで、初日のリンとのトラブルみたいなハプニングもなくなると思えば正直ホッとする。
とはいえ、結局バストイレ一体型のユニットバスだったのは大いに不満だったが、部屋の広さもそこまでないので文句を言えるものでもなかった。それにまあ、この部屋に誰かを招くわけでもないし。
「それでですね、今日の予定ですが⸺」
「え?ああ、すいません聞いてなくて」
「……本当に大丈夫ですか?」
「んー、まあ、慣れていかないとダメでしょうね」
「こちらとしても、そうそう休んでもらうわけにもいかないので。多少無理でも頑張ってもらいますからね」
…普段から無理ばかりしてる人に言われちゃ拒否も出来ないよね。
「で、予定どうなってます?」
「桝田さんは今日は1日私と一緒に関係先の挨拶回りの残りを。レイちゃんとサキちゃんは午前中に巡回、午後はレッスンですね。新レフトサイドは終日レッスン、リンちゃんとアキちゃんは午前中に特番の収録、午後からは巡回です」
「じゃあ、最初はリンとアキについて行く感じですか」
「そうですね。ただ、本番が始まったら現場を離れます。それはリンちゃんも了承済みです」
「……そういえば、ちょっと気になったんですが」
声のトーンを落としてナユタさんに耳打ちする。
「事務所でマスターだの巡回だのって話するの、大丈夫なんですかね?」
「一応、ウチの正規職員はみんな魔防隊からの出向だったり事情を分かっている者ばかりなので問題ありません。ただ、日中は特に、無関係の嘱託職員や関係業者も事務所には顔を見せますので、それで念のために。
朝はそういう人たちがいませんから大丈夫ですよ」
あーなるほど。無関係の人間も普通に出入りする場所だから、って事か。確かに言われてないと、日中でもうっかりそういう会話しそうだしなあ。
そうこうしているうちに、疲れた顔のリンが眠そうなアキと事務所に下りてくる。レイとサキも下りてきて、朝の自主ミーティングを始めた。
新レフトサイドの3人、ユウとハルとマイはレッスンまで間があるのでまだ下りてこない。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「よし。じゃあ、行こっか」
一旦ダイニングに戻って全員で朝食を食べ、再び事務所で朝の注意事項確認など一通り済ませてから、リンのその一言で事務所を出発する。今日は車で移動だ。ワンボックスの後ろにリンとアキ、助手席にナユタさんが乗り込む。
今日も空はどんよりとした曇り空。今年の梅雨はあんまり雨降らないな。
いやアキ、早速寝ようとすんな。
リンもいちいち怒らないの。
「朝からみんな元気ですね。
……はあ。若いって羨ましいわあ……」
後部座席でいつものごとく騒ぎ出すリンとアキの会話を聞きながら、ナユタさんがボソッと呟く。
「全くです。朝っぱらから騒々しいったらありゃしない」
「アキちゃんのあの肌ツヤ見ました?サキちゃんのお肌もツルツルで。ホント羨ましいです……」
あ、羨ましいってそっちか。
…ナユタさんも負けてませんよ、と言おうとして止める。女子には女子にしか分からないものがあるし、男の身で軽々しく大丈夫だとか負けてないとか言っちゃうと、場合によっては地雷をモロに踏み抜く事があるからね。
「ま、俺はナユタさんも充分魅力的だと思いますがね」
「…………えっ?」
…え?
「……あ、いやその、特に他意はなくて」
「あ、ありがとうございます……」
あーいやだから、別に口説こうとかそういう事じゃなくってですね……
だーから、顔赤らめて黙られたら気まずいですってば。
「ほ、ほら、あの子たちfiguraだから。特別製ですよ特別製!」
「そっ、そうですよね!」
「あら、ナユタだって充分可愛いわよ。寝不足とか疲れてる事も多いのに、お化粧いつも完璧だし!」
リンが後ろから身を乗り出して会話に割り込んできた。こういう話は耳敏く聞いてるんだもんなあ。
「いや、危ねえから座ってろって」
「リンちゃんこそ、最新のコスメしっかり押さえてていつも可愛くしてるじゃない。私なんかそういうの買いに行く時間もないし……」
…あっヤバい、これガールズトークの流れだ。
「じゃあ、今度一緒に買いに行きましょうよ!レイも誘って、仕事はマスターに押し付けてさ♪」
まあ、ナユタさんにもそういうリフレッシュの時間は必要だとは思うけど。
ただ、全部の業務を俺ひとりでこなすのはまだちょっと無理かなあ。巡回対応もしないとだし。
「で、でも、仕事が……。桝田さんが出来ない仕事も多いし……」
「特に今週末はライトサイドのライブだから、ひとまずそれが終わるまでは無理だと思うぞ」
そう。旧チームのライトサイド最後のミニライブが、もう今週末に迫っている。そしてこれは6人体制の〖Muse!〗での最後のライブでもある。
ナユタさんがマネージャーとして仕切るのはこのライブまでで、その後は俺が正式にマネージャーを継ぐことになるわけだ。
そして言われて思い出したのだろう、リンが残念そうな顔になる。ていうかリンも出演メンバーなんだけどな?
「あー、そっかぁ。早くても来週以降になっちゃうか」
「そうですね。⸺ありがとうリンちゃん。そのうち時間ができたら、ね?」
「約束よ!プライベートでナユタと一緒すること滅多にないから、楽しみにしてるわ!」
「ふふ。私もちょっと楽しみになってきました」
うーん、女子会の雰囲気がいたたまれない。しかも俺運転手だし、逃げ場ないし。
ナユタさんも後ろに座ってもらっときゃよかったな。
そうこうしているうちに、収録現場に到着。TV局の駐車場に車を停める。
ほらアキ起きな。車降りるよ?
「……んあ?もう着いたのかよ……。あと1時間くらい走り回って時間潰せよな……」
「んなことできるか。ほら起きろ、楽屋行くぞ」
リンとアキを楽屋に送り届け、後のことはリンに任せて楽屋を後にする。挨拶回りは今日のうちに済ませておかないと、ナユタさんの仕事の都合もあるしね。
まずは今日の収録でお世話になるプロデューサーさんに挨拶。それからナオコさんを見かけたので声をかける。忘れないうちに〖ルクステラーエ〗のメンバーとのこともお願いしとこう。
「アラそうなの?リンちゃんがイヤだって言うんじゃあ仕方ないわねえ……」
「もちろん、うちのリンのワガママであって申し訳ないことですから、そちらのご予定を邪魔しないようこちらで調整致しますので。ムーンライトさんにご迷惑をおかけするような事はありせん」
「そんな気を使わなくてもいいわよ。ウチは大手って事でみんな勝手に気を使うけど、そもそも同じ仕事の仲間だし、人間関係においては対等でいいとアタシは思ってるのよ」
…あ、この人すごくいい人。感情も嘘ついてなくて本心なのがよく分かる。
「ウチの子たちが可愛いのは勿論だけど、アタシはよその子たちもみんな可愛いのよ。だからリンちゃんも大好きだし、レイちゃんもユウちゃんも可愛いわ。もちろん他の事務所の子たちもみんなそう。
だから遠慮しないで頂戴。お互い避けることで丸く収まるんならそうすればいいんだもの」
「そう言って頂けると助かります。本当にありがとうございます」
「ああ、それからね。来週末にでもちょっとした親睦会を開くから、マスタちゃんもいらっしゃいな。ウチと付き合いのあるPさんやマネージャーさんも大勢来るから、みんなに紹介してあげる」
「あ、それは是非。よろしくお願いします」
これはナオコさんに頭上がらんようになるな。
でもありがたい。この人を味方につけとく限りは芸能界で仕事に困ることはなさそうだ。
「本当、何から何まですみません。このお礼は必ずさせて頂きますから」
「いいのよぉナユタちゃん。アタシが彼の事を気に入ったんだもの。さっきも言ったけど、そんな気を使わなくていいの。
それに彼、他の現場でもなかなか評判いいみたい。今までどういう仕事して来たのか知らないけど、きっと人付き合いってものを分かってるんだと思うわ」
いやあナオコさん、できれば、そういう話は本人の居ない所でお願い出来ませんかね……。
ようやく7日目に入りました。現実だともう8月に入ってますけど(笑)。
【はじまりの1週間】は残り4話、第三十七幕までで終わる予定です。
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