第十九幕:薔薇色の未来を目指して
「霊核への“感情”の注入に成功したそうだね」
翌日の月曜日。
朝イチから所長室に呼び出されたから何事かと思いきや。
「ナユタの報告書を読ませてもらったよ。お手柄だったね」
「いや、まあ、ちょっとした思いつきというか、怪我の功名というか……」
--てか情報早すぎじゃない?
あっ!さてはナユタさん、あの後帰ってから報告書仕上げて昨夜のうちにメール転送したな!?
「結果が出る時というのはそういうものだ。どんな成功もきっかけは些細なことだし、それで得られた成果の評価にはいささかも影響を及ぼさない」
「はあ、ありがとうございます」
「しかもアフェクトス注入だけでなくメモリアクリスタルの精製にまで成功するとはね。正直、嬉しい誤算だよ」
「いや、そっちは完全に想定外で……」
…実際、メモリアクリスタルなんて習ってないし知らなかったし。
「メモリアクリスタルに関しては、当初は君の能力に関連すると想定されていなかったため、それに関するレクチャーは見送られていた。
君の能力に関しては、“感情”の活用によるfiguraの能力強化の可能性こそ期待されていたが、記憶に関する部分はほとんど把握出来ていなくてね。可能性はゼロではない、と考えられていたに過ぎない」
「まあ、感情に関する能力はともかく、記憶うんぬんに関しては自分でも自覚症状ゼロですし」
「そうだろうね。figuraの記憶やメモリアクリスタルに係る能力に関しては、ファクトリーでも懐疑的な見方が大勢だった。
だがしかし、これでfiguraの強化にも道筋が見えてきた。Muse!の運用に関して政府内の否定派を黙らせる事も可能になったと言えるだろう」
えっ、Muse!の活動に否定的な意見もあるのか。
「⸺っと、これは君に言う必要のない情報だったな。忘れてくれ」
…いや、もう遅いです。聞いてしまった以上は忘れられる訳ないっしょ。
ただ、口にした言葉は少しだけオブラートに包んでおく。
「じゃあ、Muse!の活動と存続に関してはしばらくは安泰、って事ですか」
「ああ、そうなる可能性が高いだろうね」
「だったら良かったです。俺が頑張ることで彼女たちの活動の助けになるのなら、こんな嬉しい事はありませんから。
ただこの話、彼女たちには言わない方がいいですかね」
「無論だ。君の方も他言無用で頼む」
「もちろんです。お話は以上ですか」
「ああ。下がってくれて構わない」
「では、これで失礼します」
所長の話は色々と考えさせられるものだった。
Muse!の運用に否定的な意見があること。決して安心出来る状況ではないこと。
それでも結果を出し続ける限りは、彼女たちの未来が閉ざされる可能性は低いということ。
正直言って、俺はもうあの子たちを放っておけなくなりつつある。最初はマイの変貌を目の当たりにして、人形だって言われて、今はオルクスとの戦闘で得られた“感情”で擬似的に感情を取り戻しているだけだって知って、彼女たちのことを血も涙もない戦闘人形なのかと身構えていたけれど。でもこの数日だけでも付き合っていく中で印象が変わった。
彼女たちはその在り方がどうであれ、みんなそれぞれひとりの普通の少女たちだ。表の世界ではアイドルであり、世界の裏では戦闘人形ではあるけれど、ひとりひとりは悩みも戸惑いも怒りも憤りも持っていて、感情豊かで、精一杯に今を生きている。
たとえ身体は死んでいるのだとしても、彼女たちは、生きることを諦めていないんだ。
その生命の輝きに魅せられたというか、自分たちの置かれた境遇を悲観することなく前向きに捉えているポジティブさに惹かれたというか。
⸺彼女たちには、その表の顔も“裏の顔”もよく知る協力者が必要だ⸺
ホスピタルの軟禁されてた一室での、涅所長の言葉が脳裏に蘇る。
あの時彼は、該当するのは君だけだと言った。その言葉が本当なら、彼女たちに寄り添い助けてやれるのは、それができるのは俺しかいないという事になるわけだ。
…つまり、僕が頑張ればいいということだ。僕の存在が直接的に彼女たちの支援になるというのなら。
そう心に決めてしまうと、頭がスッキリして視界がパッと開けたように明るくなる。彼女たちの今後が、オルクスとの戦いがどういう結末を迎えるのかはまだなんとも言えないが、できることなら彼女たちひとりひとりに薔薇色の祝福された未来をもたらしてあげたい。そう決意しながら、所長室を後にした。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「所長のお話はもう終わりました?」
「はい、終わりました。
けど、また無理しましたねナユタさん?」
「……えっ?」
「報告書、帰ってから仕上げたでしょ?」
「あっ、いえ、その、あれはもうほとんど出来上がっていたので……」
「だからって持ち帰り仕事はダメです!作成中に寝落ちするぐらい疲れてんですから、もっと自分を労って下さい!」
「で、でも……」
「でも、じゃありません!一刻も早く報告したい、そのくらい興奮して嬉しかったのは分かりますけど、倒れたら何にもなりませんからね!?」
「…………はい、ごめんなさい……」
事務所で部下が上司を叱る。あんまり見られたものじゃないし、他の職員さんは見ぬフリこそしてるけど、気にしてるのは立ち上る感情からよく分かる。あんまりやり過ぎるのは良くないか。
それに俺は事務所では一番新入りだしなあ。
…まあ、心配しての苦言だからそんなに問題にもならないとは思うけど。
「分かってくれればもうそれでいいですから。
⸺で、今日の仕事はどうなってます?」
「……はい、ありがとうございます。⸺今日はですね、桝田さんはオフです」
「……え?」
「昨日、最後に桝田さんが倒れかけたことを今朝所長に話したんです。そうしたら『慣れない事での精神疲労は危険だから念のために休ませろ』と言われまして」
「いやまあ確かに精神的にはめっちゃ疲れましたけど、これぐらいはまだ……」
「いいえ、私も同意見です。今日は休むべきだと思います。肉体的な疲労はまだ気持ちでカバー出来ますが、精神的な疲労は後にカバーするものが何もないんです」
「で、でも……」
元々休みの予定じゃなかったし、俺自身普通に働く気だったんだけど。
「私が以前倒れたのも、精神的な疲労が溜まって心が折れた瞬間に起こった事なんです。私が自分で経験したから分かるんです。『まだ大丈夫』って思ってるうちからセーブしないと、精神的疲労はいきなり落ちるから予測が立たないんです。
特に今回の桝田さんの場合は、人類が通常できると考えられていない事まで成し遂げたわけです。それも精神の力だけで。ですからその精神的疲労がどれほど深いものか、誰にも推し量れないんです」
…うぐ、せ、説得力がありすぎる。
「えっと、じゃあ、“最優先業務”も……?」
「もちろん、休んで下さい」
うう、やっぱ巡回もダメか。まあ命の危険があるから尚更だよな……。
「…………はあ。分かりました」
と、ナユタさんが近寄ってきて、頬が触れ合いそうなほどに顔を寄せてくる。いや内緒話なのは分かるんですけど、ちょっといきなりそんな寄られたら心臓に悪いんですけどね!?
「我々魔術師の世界では、魔術を使うためには何よりも心身の充分な休息が重要なんです。桝田さんはまだ魔術師ではありませんが、やっていることはほぼ変わりないと私は見ています」
いやいやいや!魔術とか触った覚えもないんだけど!?
「その仮定に立つならば、心身が充分回復するまでは絶対安静ぐらいでちょうどいいんです。特に貴方はまだご自身の能力も、その限界も見極めきれていないのですからなおさらです」
あー、まあ、そう言われちゃうとなあ。
「で、でも、事務仕事の手伝いぐらいなら……」
「ダメです」
…ちぇっ。ナユタさんの頑固者。
ここで彼女が身体を離す。
「所長命令なので、休んでくれないと私が怒られるんですよ」
あう。
それを言われたら、もうどうにもならん。
「分かりました。じゃあ今日は休みます……」
「はい、ゆっくり心身を休めて下さい」
…うーん、いきなり休みになってしまったけど、今日1日どうしよう……。
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