第十二幕:泥色の喚門(1)
原宿の駅から渋谷方面へ戻る途中、ふと目の端をかすめたものがあった。
視線を向けると、そこにはふわふわと飛ぶ淡い光の塊。“光魄”た。
慌てて周囲を見回すと、確かに青白く光る光塊がいくつも飛んでいる。
あの時に感じた不安感が急速に襲ってくる。
「……光魄がいる……」
「……へえ。アンタ本当に見えるんだ」
リンが小さく呟く。
ピピッ。
『マスター!“マザー”がオルクス出現を検知!至急対応して下さい!』
「もうマスターが見つけてくれたわ!」
「了解!どこに行けば?」
『すぐ近くです!前方約100m、もう見えるはずです!』
ナユタさんの通信が入る前に、アキはもう走り出している。慌ててリンとそれを追う。
「アキ!舞台展開、行くわよ!」
「ウルッセェ!指図すんな!」
先行していたアキに追いついて、リンが左手を突き出す。悪態を吐きながらもアキも同じく左手をリンに伸ばし、ふたりの左手が触れ合い、指を絡ませ握り合う。
ふたりはその態勢でそれぞれ右手を高く掲げる。指先が一瞬光ったと思ったら、次の瞬間にはふたりともその右手に鍵を掴んでいた。リンは赤の鍵、アキは緑色の鍵だ。
そしてその鍵を、彼女たちは躊躇なく自分の胸に突き立てた。そこには『霊核』の輪郭が光の筋のように浮かび上がって見えていて、そこに見える鍵穴にふたりの鍵が吸い込まれてゆく。彼女たちはそのまま挿し込んだ鍵を回す。ガチャリ、と音が聞こえた気がした。
ふたりの胸の鍵穴から虹色の光が迸り、そしてふたりとも目を閉じる。
一瞬だけ目を閉じて、そしてすぐにふたり同時に目を開く。そこにあったのは虹色の、鮮やかな4つの瞳孔⸺戦闘眼⸺だ。
ふたりの胸から迸った虹色の光が、一気に周囲に拡散する。
それはプリズムのような輝く光に変わり、次いで幾重にも折り重なるガラスのように、あるいは様々な色を含んだステンドグラスのように、周囲の景色を一瞬だけ覆い、そして見えなくなった。
一瞬にして、周囲の空気が一変する。
人の姿も道行く車も瞬時にかき消え、静寂に包まれる。
スケーナというのは一種の魔術結界、隔離空間。ラテン語で『舞台』を表す言葉だそうだ。彼女たちが存分に舞うためのステージ、といった意味合いだろうか。
スケーナはオルクスをその中に閉じ込めて、逃がさず討伐するために欠かせないものだ。また、オルクスが零すアフェクトスを余さず収集する働きもある。この中で起こった事は外からは見えないし、感知も出来ない。そして中で何が起こっても、外界には一切影響を及ぼさない。
ただし、二人組で展開したスケーナは戦闘をこなしながら維持しなくてはならないため、やや緩くなるのが難点だ。
「よっしゃ、やってやろうじゃない!」
「全部ブッ殺してやんよ!」
リンもアキもすっかり戦闘態勢に入って、俺の指示を待っている。
逸る気持ちを抑えて、目の前のオルクスをよく確認する。
スケーナで囲ったのは全部で3体。体のほぼ全てが大きな顎関節だけで構成されている、通称“マウス”と、眼球から大小様々な触手が無数に生えた姿の“イビルアイ”、それに下半身、というか股関節に両足を備えた“レッグス”だ。
マウスは巨大な口なんだが舌は見えず、剥き出しの歯はどう見ても人の歯で相当に気持ち悪い。というかコイツはマイを殺した奴だから、その意味でも度し難い。イビルアイの悍ましさは言うに及ばず、レッグスに至っては裸足の人の足に見えるんだが関節がまんま鶏の脚にしか見えない。
ホント、なんでオルクスってこんなグロテスクな見た目なんだか。ラテン語で『冥界』を意味する、つまり地の底のこの世ならざる場所から現れる者という命名らしいが、まさしく似合いすぎててちょっとムカつく。
タブレットのホームボタンを長押しする。それまでの普通の画面が暗転し、戦闘指示用のプログラムが立ち上がる。
ふたりの戦闘衣装を手早く指定し、一瞬で彼女たちの衣装が換装される。黒をベースにした身体にぴったりフィットする膝丈のドレスで、足は脛当てと一体化したような装甲のついたロングブーツ、腕も手甲のような装甲が施された長手袋を着けている。
ドレス名称を“殲滅武装”という。物騒な名前だけど、オルクスを殲滅するのに特化した、ドレスというより言わば鎧に近い性能なのだとか。
胸元は大きく開いてセクシーで、だがよく見れば地肌に見えるのは細かいレースのメッシュで編まれたシースルー生地だ。背中も大きく開いているが同じ仕様なので、肌の露出はそこまで多くはない。そして胸元には虹色の宝石が輝き、袖や裾の縁取りは彼女たちのイメージカラー、つまりリンは髪と同じ紅緋色、アキは同じく髪の萌葱色だ。
…衣装換装、一体どういう仕組みになってるんだろう?
「まずはリンのスキルから!」
「任せて!」
リンが素早く詠唱し、魔術を発動させて敵の防御力を下げる。そこへ間髪入れずにアキが持つライフルが火を噴いた。
オルクスたちはアキに向かっていくが、彼女は上手く建物など遮蔽を利用して距離を稼ぎ、そして的確に狙撃していく。
「遅い遅い!亀かよオマエら!」
アキの狙いは正確で、“マウス”をあっという間に蜂の巣にしていく。穴だらけになった“マウス”は、煙のような何かを噴き出して消えていった。
「ケッ、まさに口ほどにも無えな!」
いや誰が上手いことを言えと。それにしてもめっちゃテンション高いな。さっきまでのダルそうなアキはどこ行ったよ。
そんなアキに構わず、即座にリンは次の“イビルアイ”に襲いかかる。リンの持っている武器は鞭だ。
その鞭を自由自在に操り、四方八方から打撃を加えて、リンもまたイビルアイを追い詰める。
「手も足も出ないって感じね?じゃあこれでどうよ!」
高いジャンプから狙いすまして、リンが鞭を振り下ろす。浮いていた“イビルアイ”は地面に叩きつけられ、これもまた煙のように霧散していく。
いや目玉だから最初から手も足もないけどな?
…ああ、これ。煙じゃなくて“感情”を放出して消えてってるんだな。
「次!ラスト!」
「蜂の巣にしてやんよ!」
いきり立つふたりの目の前には、見上げるような大きさの“レッグス”。リンは小柄、アキは平均的だがそれでも少女には違いない。一方でレッグスは俺の身長よりも高いから、ふたりにはまさしく見上げる大きさだ。
そしてこれが3体目、最後のオルクスだ。
「おいリン、足止めしとけよ!」
「アンタこそ、一撃で仕留めなさいよね!」
えっあれ?勝手に始めちゃった?
いやいやお前ら、テンション上がりまくってるからって勝手に⸺
とか何とか慌ててるうちにリンが鞭で翻弄し、それを見つつ距離を取ったアキが狙いすました一撃を“レッグス”の股間に叩き込んで、それでレッグスはバラバラになって崩れ落ちたあと、やはり煙のように霧散していった。
零れた“感情”はスケーナ内を漂っていたが、戦闘終了とともにかき消すように薄れて無くなっていった。
「⸺よっしゃ、回収完了ね」
「もう終わりか?あー、弱すぎだな。シケてやがるぜ」
「確かに全っ然、大したことなかったわね♪」
…ん、あれ?もしかして最初の指示だけしか僕やってなくない?
いやまあ、きちんと討伐できたからいいっちゃいいんだけど。
と思いつつ、ふたりに声をかける。
「お疲れさん。相変わらず戦闘時は息ピッタリだな」
「『戦闘時は』は余計よ!でも、アンタの指示もなかなか良かったわよ」
そうかあ?あんま役に立ってなかったような?でもまあ、せっかく褒めてくれるのに水差すのもアレか。
「お誉めにあずかり一安心でございます」
「まあでもマジで、ちゃんとやれば出来るじゃない♪その調子で、これからも頼むわよマスター♪」
「むしろ足りねえ。もっと殺らせろ、次を呼べよマスターよお」
いやだから喚べないってば。てかもうスケーナ解けてるからな?




