第十一幕:暗灰色の日曜日(2)
渋谷駅前は、日曜ということもありかなり賑わっていた。例の犬の像の前なんか、記念写真を撮る人で列が出来ていたほどだ。
雨が今にも降りそうな微妙な暗灰色の曇り空だったが、どうもそんな事はお構いなしのようだ。
「相変わらず平和ねえ」
感心してるのか呆れてるのか分からない表情でリンが言う。
「こんだけ餌がいりゃあ、オルクスも出てくんじゃね?」
いやアキさあ。
人を“餌”とか言うなよな。
…まあ、ある意味間違ってはないとは思うけど。
「まあ、出ないなら出ないでアタシたちが街ぶらして終わりだし」
そのリンの言葉にふと疑問が湧いたので、早速聞いてみることにした。
「それなんだけどさ、出現報告もないのに街に出るのって、ちょっと無駄じゃないか?」
「無駄じゃないわよ。あらかじめ出現が予測される場所に事前に行っておけば、そのぶん素早く対応出来るでしょ?」
「そりゃそうだけど、全く見当外れの所に出たらと思うとね」
「それならそれで、一番近い所にいるメンバーが対応するだけよ」
…ということは、最悪、収録中のチームが駆り出される事もあるって事じゃないか。
「でもまあ、“マザー”の出現予測って今までほぼ外れたことがないのよね。だからアタシたちは、指定された地域を巡回してればそれでいい、ってわけ」
“マザー”、ねえ。
「ちなみに確率的にどのくらい?」
ピピッ。とタブレットから通信の着信音。
ナユタさんだ。彼女は巡回中、常に巡回担当の動向をモニタリングしていて、何かあればすぐにこうして連絡を取ってサポートしてくれるらしい。
事務所での仕事もこなしながらこっちのサポートまで請け負うとか、やっぱあの人働きすぎだわ。もしかしてワーホリなのか?
『“マザー”が自ら計算した結果、概ね98%の確率で的中するとのことです』
「98%!?」
そりゃ確かに外れないって言える数値じゃん!
ていうか“マザー”が自分でそう言ったのなら、それって外さないと宣言したようなもんじゃんか。
「それに今までは徒歩や電車で向かってたから時間かかってたけど、これからはマスターが車で連れてってくれるものね!出現位置が少々遠くたって平気ってことよね♪」
「いや、それ結局俺が居ないと一緒だからな?つうか巡回時はそもそも車移動しないし、今日も電車で来たじゃんか」
「う……そ、そうだけど!⸺どっちにしたって“マザー”は外さないから問題ないわよ!」
はいはい。そういう事にしとこうね。
「それにね、これはMuse!の街宣も兼ねてるのよ」
「ん、どういうこと?」
「アタシたちは『街で会えるアイドル』って呼ばれてるわ」
ああ、なるほど。巡回で街ぶらすればするほど、ファンにとっては街中で偶然会える確率が高まるってわけか。
「あっ、Muse!のリンちゃんだろ、あれ!」
「アキ氏ー!」
「……ほらね。こうやって、ファンの子達が声をかけてくれるのよ♪」
言うが早いか、リンは声をかけてきたファンの方に向き直る。一瞬でアイドルの顔になり、弾けるような笑顔でキッチリとポーズを決めてみせた。
「小さな身体に大きな愛を、いーっぱいに詰め込んで!
Muse!ライトサイド、リンでーっす♪」
「「「おおおっ、やっぱりだ!」」」
「あの、握手して下さいっ!」
「写真撮ってもらっていいっすか!?」
「いいわよ♪並んで並んで!」
たちまち群がってくるファンの人たち。やはり若い男性が多いが、女の子の姿もそれなりに見える。リンは彼ら彼女らに求められるままに愛想を振りまいて、にこやかに握手し、写真を撮り、サインをしていく。
神対応とはこういうものだ、とでも言わんばかりのリンの対応。ファンにとっては何よりも嬉しいだろうな。
…でも、今日はマネージャーが一緒なんだよね。
「あーすいませーん、あまり時間がないんでおひとり一件でお願いしまーす」
「ちょっとなによマ……ネージャー!少しくらいいいでしょ!?」
--お。リンちゃん、呼び方の件ちゃんと覚えてた。えらいえらい。
…って、アキの周りの方が人多くない!?
「あ~もう、これだから街ぶらヤなんだっつんだよな。⸺おいオメェら、どっか行け」
「くう~!このデレのないツン!堪んねえ!」
「アラドル最高!」
「アキ氏、罵って下さい!」
--んん?なんかファン層違くない!?
たっぷり30分以上かけて一通りファンサービスを振りまいたところで、次の仕事があるからと半ば無理やりファンたちを解散させる。
いやもうこれだけでどっと疲れるんだが。
ちなみにアラドルとは、後でナユタさんに聞いて知ったけど“荒ぶるアイドル”の略らしい。アキは人前だろうがカメラの前だろうが常にぶっきらぼうで、時にはガチで切れることもあるらしく、それでいつの間にかファンたちの間でそう呼ばれるようになったのだそうだ。
それが受け入れられているのは、アキがキレるのは理不尽や筋の通らないことに対してであって、決してワガママや自分勝手な理由ではないと理解されているからなのだとか。
アイドルなんてにこやかに愛想振りまいて、人々から愛されるよう振る舞うものなのに、そうした媚びる姿勢が一切ないことも、アキを異質なオンリーワンとして確立させているのだそうだ。
いや……いいのかそれで?
…でもそれで受け入れられているんだから、いいんじゃない?
「ふふん♪どうよ、アタシたちの人気ぶりは」
「うーん、実際に目の当たりにするとやっぱ違うねえ」
「でしょでしょ?」
リンはめっちゃ自慢げに胸を張っている。
figuraの中でも小柄な体格のリンは、小柄だけどもスタイルのいい、いわゆるトランジスターグラマーというやつだ。だからそんな彼女が胸を張ると、必然的に豊かな胸元が突き出され強調されてしまう。
いや止めなさいよ。見ないようにするのもひと苦労なんだからね?ただでさえあの下着姿がまだ目に焼き付いてるのにさあ。
うん、まあ、確かにナイスバディだったな……っていやそうじゃなくて。レースたっぷり使った赤と黒のセクシーな下着が……じゃないっつうの!忘れろ俺!
「あー、ダリィ」
…それに引き替えアキのテンションの低さね。
「おいマスター、早いとこオルクス呼んでくんねーかよお?」
「マネージャーね、マネージャー」
ていうかオルクスとか呼べないし俺。
「なんだよアイツ。なんでリンちゃんやアキ氏と一緒にいんだよ」
「あれじゃね?多分公式で告知のあった研修マネじゃね?」
「ヤロウ……なんて羨ましい」
いやいつの間に告知とかされてたんだ。全然聞いてないぞそんな話。
ていうか羨ましくねえから!振り回されて大変だから!むしろ拷問に近いからな!?
ちょっと騒ぎになりすぎたので、ナユタさんに連絡を入れた上で駅に戻り、電車で原宿の方に移動する。原宿の駅で降りてから、徒歩で渋谷の方に戻ることにした。
『構いませんが、代々木の方にはあまり寄らないようにして下さいね』
「何故です?」
『あちらはオルクスの汚染度がまだ高いんです。なので二人組で行動するのは少し危険が伴います』
「そうなんですか。分かりました」
危険ならなおさら行くべきじゃないのか……とも思うけど、そこは大人しく言うことを聞いとこう。組織の一員として、上からの指示には従わないとダメだしね。
「アタシたちが巡回するのはオルクス討伐のため。それは分かるわよね?」
「うん、分かる」
「でも7人、今までは6人だったけど、それだけの人数で東京全部はカバー出来ないのよ」
「まあそりゃそうだ」
「だからエリアごとに潰して行く、ってのが基本方針なの。
で、今は渋谷を重点的に回ってるってわけ」
「あー、なるほどな。代々木とか原宿とかはまだ対応出来てない、って事か」
『そういう事です。巡回討伐を繰り返して汚染度が下がれば、仕上げの浄化ライブを行うことも出来るようになります。そこまでやってから次のエリアに移るのが基本方針です』
浄化ライブというのは、巡回討伐して汚染度を下げた地域において、オルクスを一掃して清浄化するための『最後の仕上げ』となる大型ライブのこと。Muse!全員でライブをして、下げた汚染度をほぼゼロで固定・確定化させる。浄化ライブを行えば、基本的にそのエリアにはオルクスはほとんど出なくなるそうだ。
ただし、汚染度を下げないうちから開こうとしても、集まったファンの発する感情を目当てにしたオルクスを呼び寄せてしまうだけなんだそうだ。そうなると舞台を展開したところで被害は完全には抑えられないし、討伐に手を取られてライブどころではなくなってしまう。
だから当面の目標は『浄化ライブの開催』ということになる。そのために巡回討伐を繰り返すわけだ。
ちなみに“汚染”というのは、オルクスに侵食された度合いを示す言葉だ。汚染度が高くなり過ぎると、普通の人間はそこにいるだけで記憶や感情を奪われて廃人同様になってしまうらしい。
だがMUSEがオルクスを討伐することで、地域の浄化を進めることができ、汚染度を下げるほど安全になるのだそうだ。
…でも、じゃあ、まだ手を着けてないエリアでは人々が喰われ放題ってこと?
「……アンタが言いたいことは分かるし、アタシだって気にならないと言えば嘘になるわ。だけど、物理的に無理なものは無理なのよ」
リンの感情が本当に悔しそう。
あれだけファンを大事にする彼女のことだから、きっと対応外のエリアのファンのことも全員救いたいと思ってるんだろうな。
「なら、一刻も早く渋谷を浄化しないとな」
「そういうこと!さ、渋谷へ戻るわよ!」
…でも、この時の僕はまだ知らなかった。何故代々木に近寄ってはダメなのか、その理由を。
正確にはまだ思い出してはいなかっただけ、だけど。
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