第十幕:暗灰色の日曜日(1)
「あれ。おはようございます?」
「あ、桝田さん。おはようございます」
今日は事務所の様子がちょっと違う。日曜日、つまり休日で所員が誰も出勤していないせいだ。
この事務所、芸能界では考えられないほどホワイトな職場で有名らしい。所属タレントがMuse!だけというのもあって、Muse!のスケジュールが一件も入ってない日はたいてい事務所自体が休みになる。
そしてMuse!は週に一度は原則として完全休養日、つまり一件も仕事を入れない日を設けるようにしていて、その多くは日曜日が該当する。もちろん日曜に収録やイベントが入る場合はあるし、そうなれば所員さんたちも出勤してくるが、その場合は直近のどこかに振替休日が差し込まれるらしい。
そのためか、他社の職員さんでも時々入社希望、転籍希望を表明してくる人がいるらしい。推測だけど、他社のグループのアイドルの中にもMuse!に入りたいって希望してる子がいたりするんじゃないだろうか。
でもまあ、MUSEUMの事情が事情だけにそういうのは全部断るしかないんだけどね。
…で、なんでナユタさんは今日来てるの?
「えーっと。日曜、ですよね?」
「そうですね。今日はMuse!の皆さんも全員オフになります」
「で、ナユタさんは?」
「私は仕事がありますから」
「……いつ休んでるんです?」
「ええと、最後に休んだのは……先月?」
…そりゃそうでしょ。今日は7月2日だし。
いや待て。まさかと思うけど、まだ6月のつもりでの先月か?
「あの、ちゃんと週に1日休んでます?」
「……休みたいのは山々ですけど、仕事が……」
普段から法令遵守とかウルサいくせに、肝心な所がなってねえし!
…でも、多分所長さんに直訴しても『君が頑張ればナユタも休ませられるんだがね』とか言われそうだしなあ。
「桝田さんのお気持ちはとっても嬉しいんですけど、私にしか出来ない仕事が多いんです。特に“マザー”のオペレーション関係とか、許可を得た者だけしか担当出来ないので」
“マザー”。
この芸能事務所……を装っている特殊自衛隊魔術防衛隊の外郭機関、〖MUSEUM〗の中枢を担っているスーパー・コンピュータの“自我”のことを、所長やナユタさんはそう呼んでいる。
詳しくは守秘義務があるとかで教えてもらえていないが、どうやら、公表されている中では世界最高の処理能力を誇るスパコン“フロンティア”の数倍もの性能を誇っているらしい。しかも自律演算システムAIが組み込まれているらしく、人間のように自律的な思考を保持し所長やナユタさんとも当たり前のように会話する……らしい。
いや伝聞ばっかりで申し訳ないが許してほしい。何しろ俺には“マザー”と会話できる権限が与えられておらず、“マザー”のある部屋への入室も禁じられているんだよね。
なんでも、俺の立場がまだ嘱託職員であって、正式に魔防隊に所属しているわけではないので部外者の扱いになってるからなんだそうだ。
「俺もダメ……です、よね?」
「ダメですね。桝田さんは形の上では嘱託職員なので」
「うっ。やっぱり……」
「まあ、私もなるべく残業しないように言われてますし、出来る範囲で無理なく業務をこなすように気をつけてますから」
とは言っても、オルクスが夜に出現する事だってあるはずだ。そういう時に“マザー”からの入電は誰が捌いてるんだろう?
「夜間の出現は、私が起きていたら遠隔でナビゲートします」
「いやそれ事実上のサビ残……」
「みんなが寝静まった深夜の出現などでは、アキちゃんが独りで対応したこともありましたね」
「まあ、夜中起きてそうなのってアイツだけですもんね……」
なんでもアキは、深夜になっても自室のパソコンでオンラインゲームに夢中になっていたりするらしい。本人曰く「ストレス発散の一環」だとか。
…あれ?でもその場合って、“舞台”はどうしたんだろう?
“舞台”。
MUSEはオルクスとの戦闘において、周囲から戦闘行動を隠すため、他に余計な被害を出さないため、あるいは捕捉したオルクスを逃さないため、そしてオルクスを倒した際に放出される“感情”を余さず回収するために、ある種の結界を事前に張らねばならない。それが“舞台”だ。
当然というかそれは魔術的な作用のあるもので、だが霊核を埋め込まれて擬似的に魔術師になっているだけのMUSEでは、展開と維持に多大な魔力と精神力を消費するという。そのため単独で展開する場合にはそのコントロールにかかりきりになって無防備になるため、三人組ではひとりがスケーナを担当し、残りのふたりで守りつつ戦う。
二人組の場合だと、ふたりで協力しスケーナを展開・維持しつつ戦うしかない。ふたりで張るなら負担も減って戦闘行動も可能にはなるものの、スケーナのほうが完全にはならずに若干の懸念を抱えることとなる。オルクスの攻撃でダメージを受けたりすれば、集中が乱れてスケーナが破られる恐れもある。
「アキちゃんがひとりで対応した時はスケーナも展開できないから目撃される危険がありましたし、アフェクトスも全部霧散させてしまって、以後は単独での出撃は禁止になりました」
そりゃそうか。
まあそれでも、オルクスの被害を抑えるって意味では出撃しないわけにはいかなかったんだろうな。
「で、今日は桝田さんには巡回対応と、夕方からは電話番と、あと事務所で私の手伝いをやってもらえればと」
「はあ。分かりました。……って、俺も仕事なんですね」
「はい。残念ながら業務がありますね」
…ナユタさん、ちょっとだけわーるい感情出てますよ?
まあ、休めてない人の前ではとても言えないけどな。
「あれ?今日ナユタ来てたんだ?」
そうやって話してると、事務所にリンが顔を出してきた。おそらく渡り廊下越しに声が聞こえて、それで様子でも見に来たんだろう。
「リンちゃんおはようございます。私は仕事あるんですよ」
「ナユタさあ、きちんと休み取らないとまた倒れるよ?」
「また、って倒れた事あるんかいっ!」
そりゃ聞き捨てならん。ただでさえ今でもひとりでこなせる仕事量じゃないのに、倒れてもなおそれだけ仕事させてるって事になるじゃん。
「だ、大丈夫ですっ!今はその、あの時みたいな大変な状況じゃありませんから!」
いや、ナユタさんの言う『あの時』のことは聞いてないし知らないけどさ。倒れるまで働いたらダメでしょ。
「まあ、ナユタが居ないと色々回らないのは事実だけどさあ……」
「だったら尚更、ちゃんと休んでもらわないとダメだよな」
「そうそう!」
「…………はい、気をつけます……」
「で?リンは今日はどうしたん?」
リンはあの日スイーツを奢ってやって以来、すっかりそれまでのような敵意を向けなくなって話しやすくなった。まあスイーツ奢ったからというよりは、その後のサキとのいざこざで俺に迷惑かけたっていう後ろめたさと申し訳なさがあるせいだろう。
「どうしたん?って、今日アタシたちが巡回担当でしょ?」
ああそうか。レフトサイドはマイのデビューライブに向けてレッスン増やしてるから、ライトサイドとレイの四人で巡回回してるんだっけ。
「ていうか、アンタも来るんでしょ?」
「巡回業務は最優先って言われてるし、一緒に行くよ」
「そう来なくっちゃ。今度こそ、実戦で役に立ってもらわないと困るんだからね!」
うっ。ト、トラウマが……!
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
figuraたちは仕事やレッスンの合間に、寸暇を惜しんでシミュレーターバトルを繰り返している。新作戦闘衣装の性能チェックや既存のドレスの組み合わせの確認、それに各人の連携練習も兼ねていて、俺も時間が許す限り付き合うようにしている。おかげでfiguraたちとの連携も少し慣れてきて、戦術の習熟もドレスの性能把握もずいぶん捗った。
だけどマネージャー業務の引き継ぎの方をやや優先していたせいで、実戦はあれ以来まだ出来ていなかった。
リンをはじめfiguraたちもシミュレーターでは指示を素直に受け入れてくれるようにはなってきてるけど、たまにまだダメ出しを食らうこともある。まあ戦闘経験という意味では全員俺より先輩だしね。
「ナユタ、今日はどこを回ればいい?」
「いつも通り渋谷駅前を中心に、なるべく人通りの多い場所を重点的に回って下さい」
「了解。じゃあマスター、アタシはアキを起こしてくるから」
「うん、よろしく」
そう言ってリンが女子寮に上がっていって、アキを連れて降りてくるまでたっぷり1時間はかかったんだけど、その間に何があったかは敢えて聞かないでおこう。
でも一言だけ。
リン、顔がやたら疲れてるぞ。
スパコンがどうのこうのに関しては、深くツッコまないで頂けると有り難いです……( ̄∀ ̄;
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