第九幕:鉄紺色の悔悟(2)
スマホを取り出し、レイナのスマホに連絡を入れる。
しばらくのコール音のあと、電話が繋がった。
「あ、桝田ですけど。レイ、本当に申し訳ないけどしばらくひとりでも大丈夫?」
『……私は構わないけれど、それは貴方の“負債”を増やすだけよ?それでもよくって?』
負債とはまた言い得て妙だと思った。
確かに、事故気味とはいえリンの下着姿を見てしまって怒らせてしまい、そのお詫びと埋め合わせにとスイーツを奢ったらそれがサキの逆鱗に触れたわけで。
それで今度はレイの仕事を放置しようとしている。そうすると、今度はレイを怒らせてしまうわけだ。
そうやって誰かにしてあげた事で他の誰かを怒らせて、そのループが無限に続いてしまうと確かにちょっとキツい。キツいけれど、でも。
「しょうがないよ。自分の撒いた種だから」
『……そう。ならお好きなようになさいな』
「うん、悪いね。今度何か埋め合わせするよ」
電話を切ってから向き直ると、サキが明らかにバツが悪そうな顔になっていた。
今のやり取り、聞こえてたんだね。
「さて、次は何をご用意しましょう?」
「…………いいんですか、仕事行かなくて」
「レイは構わないと言ってくれたからね。さすがに終わるまで放置する事は出来んけど」
「……いいですよ、もう。仕事行って下さい」
「いいや。サキさんの気が済むまでお付き合いしますよ」
おそらく、仕事行くために俺が必死で頼み込むのを土下座かなんかさせて、それで多少溜飲を下げてから解放するつもりだったのに、アテが外れたんだろう。
みるみる涙目になっていくサキ。
まずい事になった、という困惑。
でも収まりがつかない自分の怒りと苛立ち。
振り上げた拳の降ろし方が分からないというか。
仕事は行かなきゃダメだけど、でも、今サキの側を離れたら彼女はある意味で壊れてしまう。
「……自分でもどうしていいか、分からなくなってるんだろ?」
サキの肩がビクッと震える。
感情が入り乱れてて読みづらいが、どうやら正解を引いたみたいだな。
「今回のことは完全に俺が悪かったんだし、サキが怒るのも当然だと思う。だからサキが責任を感じる必要はないよ。君の気が晴れるまで、俺は君の為に尽くすから。だから気にしないでいいよ」
「…………どうしてですか」
「ん?」
「どうしてそこまで、自分の仕事も責任も放棄して、そこまでしてどうして私なんかのワガママに付き合うんですか!
そんな風にされたら、こっちがどんどん惨めになるだけじゃないですか!」
サキは大粒の涙をこぼし始めていた。感情はすっかり、鉄紺色の“悔悟”に染まっている。
彼女が自分で分かっているのなら、もう言うべきことは決まっている。
「私なんか、私なんかのために、なんでそこまでして!仕事放棄して怒られるのはマスターなのに!なんで!なんで!」
ソファに座ったまま両手で顔を覆って号泣を始めたサキの前に膝をつく。ちょうど、俯いた彼女の顔を下から見上げる形になる。
「私なんか、なんて言うんじゃない」
そして努めて穏やかに、優しく声をかけた。
「俺はね、Muse!のみんなのことは全員等しく大切にしなきゃいけないと思ってる。でもまだ知り合ったばかりだし、まだひとりひとりのことを全然知らない。まずはちゃんと知らなきゃダメだと思うんだ。
だから今この時は、サキのことを大事にしたい。ちゃんと知りたい。
今サキと向き合うのを中途半端にしたら、きっと他の子ともきちんと向き合えなくなる」
ご機嫌取りでも何でもなく、これは本心からの言葉。昨日のリンもそうだけど、今まで彼女たちだけでやって来たところに、突然“マスター”という異物が入り込んだ状態で、彼女たちが心穏やかでいられるはずがないのだ。
たとえ彼女たちが裏で世界のために戦う、生命なき戦闘人形“figura”だとしても、普段はこうして喜怒哀楽ある普通の少女たちでしかないわけで。
彼女たちと暮らすことになったことは、俺だって戸惑いしかない。ぶっちゃけ、無茶ぶりにも程があると思うし、特に女子寮に住まわされて、彼女たちとひとつ屋根の下で合同生活するなんて思いもよらなかったわけで。
でもこう見えても俺は28歳のいい歳した大人で、記憶を失ったわけでもなく、まだ10代で記憶も感情も一度は全てを失ってしまった彼女たちの状況とは比べるべくもない。だから折れるのも、一歩引くのも俺の方。そもそも新入りが先輩に尽くすのなんて当たり前の話だ。
それに、これからこの体制でやっていこうってんだから、どうせなら仲良くやっていきたい。相手がアイドルだからとか美少女だからとかじゃなくて、何となくだけど、もう俺自身がこの子達を放っておけないと感じ始めている。
この子達には『味方』が必要だ。
それも本当の意味で彼女たちを信じ、寄り添い、何があっても見放さず、そして彼女たちの心の拠り所になれる、そんな味方が。
世界の全てから忘れ去られ、それでも世界のために戦わされる。そんな理不尽を強いられている彼女たちに、ひとりくらいはそうした味方がいたっていいじゃないか。⸺いや、いるべきなんだ。
「サキはさ、本当はすごく素直で優しい子だと思うんだ。じゃなきゃ今こうして自分の行いを悔やんだり、俺のことを心配して泣いたりしないだろうし」
嗚咽するサキは何も答えない。
でも感情は雄弁だった。
「俺が感情が視えてるって話は聞いたよね?俺の目には、君の言葉にできない本当の気持ちもちゃんと視えてるから。だから遠慮も後悔もしなくていいよ。大丈夫だからね。
それに俺は仕事も責任も放棄してないよ。君たちひとりひとりときちんと向き合って、しっかりケアするのもマスターの仕事だ。だから今のサキを放っておく方が責任の放棄になると思ってる」
「だって……だって……!」
「なんだったらナユタさんだっているんだし。だから本当に大丈夫なんだよ」
サキの頭にそっと手を置く。
それから膝立ちになり、彼女の背中に手を回してそっと撫でた。
彼女はしがみついてくると同時に、声を上げてまた泣き出した。
「ごめんなさい!マスター、ごめんなさい……!」
「よしよし。大丈夫だから。ね」
ふとリビングの入口を見たら、心配そうな顔でダイニングからこっそり覗いているハルと目が合った。目配せして、口に人差し指を当てると、その顔から安堵の感情が漏れる。
時刻はもう、12時を回っていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
しばらく泣きじゃくるに任せて、落ち着いた所でサキを部屋に送り届けた。今日の彼女のレッスンはキャンセルにしよう。
階段からダイニングに降りていくと、いつの間にかレイとサキ以外の全員が揃っていて、一斉にこっちを振り仰いだ。
あーこれ、全部聞かれてたパターンや。
「マスター、お疲れ様です。さすがでした」
「……ったく。アンタの忍耐強さには呆れかえるばかりだぜ」
「サキちゃん、大丈夫でしょうか……」
「いやまあ、とりあえず何とかなって良かったわ。しばらくは泣き疲れて眠ると思うし、そっとしといてやって」
「マスターすっごーい!サキちゃんがあんなに素直になるなんて!ハル初めて見たー!」
「ハル、声が大きいって。サキは誰にも見られてないからこそ素が出せたんだから。見られてたとかバレたらまた拗れるぞ?」
「ふえっ!?それは……それは困るかも……」
「だから『しーっ』ってしたろ?」
「そか。じゃあ内緒だね!」
「そういうこと。頼むよ」
「で、サキの午後はオフにするから。リンとハルは……サキがいないから正直意味がないんだけど、一応予定通りレッスンで」
「分かったわ。まあ仕方ないわよねこの場合は」
「うん!サキちゃんの分までレッスンするー!」
いやそれは意味がないからね?
「まあ、そういうことでよろしく。俺はレイのとこ行ってくるから」
「ほーい!行ってらっしゃーい!」
パレスを出る前に、ちょうど帰ってきたナユタさんと事務所で出くわした。
「あら!?桝田さん、レイちゃんと一緒じゃないんですか?」
「あー、はい。レイに無理言ってサキに付き添ってました」
「……桝田さん。サキちゃんのケアも大事ですけれど、勝手に持ち場を離れられたら困ります」
「すいません。けど、今はサキをケアする方が大事だと思ったので」
「……まあ、私にも責任があるから強くは責めませんけど。でも所長に知られたら多分怒られます。それは覚悟しておいて下さいね」
「それはもちろん。じゃあ今から急いで向かいますんで」
「はい。くれぐれも気を付けて」
「あ、それと、サキは今日もう休ませますんで」
「了解しました」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「あらマネージャー、意外と早かったわね。もういいの?」
事務所からは車を飛ばしたので、レイがステージに上がる直前に何とか間に合わせることができた。
それが少々意外だったようだ。
「ああ、もう大丈夫。悪いね、迷惑かけて」
「私のことはいいわ。それよりも、ありがとう。サキときちんと向き合ってくれて嬉しいわ」
「まあ、これも仕事のうちだと思ってるから」
叱りつけて上から抑え込むのは簡単だ。だけどそれでは何の解決にもならないし、本当の意味でサキを理解することも、サキに理解してもらうこともできない。下僕を言い出したのはその場のノリ的な感じではあったけど、そう思ったからそれを貫いたわけで。
だからサキに言ったことはそのまま本心だった。彼女には遠慮も後悔もして欲しくなかった。
…レイ、我がことのように喜ぶんだね。
彼女からはサキのことを本当に大切に思ってるのが伝わってくる。それだけでも、無理した甲斐があったってものだ。
きっとレイは、サキだけじゃなくメンバー全員を自分の妹みたいに大事に思っているんだろうなと、彼女の感情を見て察した。
いつもお読みいただきありがとうございます。
もしもお気に召しましたら、継続して読みたいと思われましたら、作者のモチベーション維持のためにもぜひ評価・ブックマーク・いいねをお願い致します。頂けましたら作者が泣いて喜びますので、よろしくお願い申し上げます!




