プロローグ第二幕:涅色の死神
本日投稿の二話目です。
よろしくお願いします。
「死にたくない、か」
不意に声がして、振り返ると男の人が立っていた。
40代くらいだろうか。オッサンというには少し若々しく、体型もシュッとしている。全身黒いスーツで黒い革靴、黒いネクタイ。くすんだ黒髪をオールバックに整えた男。
一切の感情も表情に浮かべずに、だがその目にだけ冷ややかな感情を湛えて、彼はこちらを見下ろしていた。
「間に合って何よりだ。だが残念ながら、“人形”は死ぬ運命にある」
男は呟くように言った。
「だから、決めるといい。死してなお、人形として浅ましく生きるか、それとも人として尊厳をもってここで死ぬか。
⸺最期に、選ばせてあげよう」
この人は何を言っているんだろう。
彼女にはもう、死しか残されていないのに。
「わたし……生きたい……」
もはや反応も示さず、感情も消え去っていた彼女が、かすかに声を発した。もう生命活動もほとんど止まっているというのに。
「そうか。分かった」
男はそれだけ答えて頷いた。
現れてからずっと、眉ひとつ動かさない。これだけ凄惨な現場で。
この人は何者なんだろうか。何故平気でいられるんだろう。
男が右掌を掲げ、口の中で何事か呟いた。
その掌の上に光が集まり、やがてひとつの形を成してゆく。
それはまるで、心臓。
鈍色に光り、何やら複雑な彫刻だか文様だかが一面を覆いつくしてはいるものの、それはハートの形をしていた。その中央部に、虹色に輝く宝石のような何かが埋め込まれていて、そこに鍵穴のような穴がある。
男は俺と彼女に歩み寄り、その傍らの血溜まりの中にしゃがみ込むと、彼女の胸の上にそれを置いた。
するとどうだ、そのハート形の虹色の部分が光り始めたと思った瞬間、パアッと一瞬強く輝いて……
そして、消えた。
「おい、君」
「えっ、俺?」
「今の、見てしまったね?」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
だって見ていたも何も、俺のほうが最初からここにいて、コイツが後からやって来たのだ。
それで目の前でこれみよがしに一部始終を見せといて、見てしまったも何もないだろう。見せたくないんだったら最初から俺を排除しとけよ。
それとも、俺を排除する暇もないほど時間的にシビアだったとでも言うのだろうか。
あまりな言いように、一言文句を言おうかとしたその瞬間。すでに死体となったはずの彼女の全身から、様々な感情が迸った。
「えっ嘘!?」
そんな馬鹿な。彼女は確かに死んだはずだ。
なのに、暴風のような無数の感情が発露して霧散したかと思うと、彼女が閉じていた瞼を開けた。
今まで見たこともない、虹色に輝く瞳だった。
いやなんだそれ。そんなの人の瞳であり得るはずがない。
「おめでとう。これで君も立派な“人形”だ」
また訳の分からない事を男が言っている。
周りには相変わらず、青白い光の塊が乱舞している。
「目障りだな。早速散らしてもらおうか」
いやもう本当に何を言ってるんだこの人は。
ていうか誰に何を言っているんだ。
「⸺了解。」
だが、返事とともに彼女が起き上がる。
さっきまで私服だったはずなのに、いつの間にか彼女は見たこともない、黒いドレスを身に纏っていた。ドレスと言っても一般的なイブニングやデイドレスなどではなく、もちろん中世貴族風のゴテゴテしたやつでもなく、例えるならアイドルの舞台衣装のような。だがその割にドレス自体の雰囲気が物々しい。⸺そう、まるで戦闘服であるかのような、そんなドレス。
彼女が立ち上がった拍子に、まだ跪いたままの俺の手は振りほどかれてしまった。
そしてその彼女の手には、抜き身の両刃剣。
いやちょっと待ってくれ。
もう本当に何が何だか意味が解らない。
頼むから誰か解るように説明してくれ。
ていうかそれよりも。
「おい君!大丈夫なのか!?」
彼女の肩を掴んで揺さぶるが、反応はない。
脇腹の傷はいつの間にか全然見当たらないし、顔色もさっきまでの蒼白ではなく、むしろやや紅潮しているようにも見える。
ただ、一切の感情が視えない無表情と、虹色の瞳だけがものすごい違和感だった。
およそ、生きてるとは感じられなかった。
そう、例えて言うなら人形。
「その通り。彼女はもはや“人形”と成り果てた」
人の心が読めるのかこの人は。まだ何も言ってないのに。
「って、彼女は大丈夫なんですか!?なんであんな格好で、あんなモノ持ってるんですか!?」
「悪いが、部外者である君に伝えられることは何もないね。
⸺さあ往け。使命を果たせ」
「いや、ちょ、何言って、⸺待てって!」
男の声に頷き、踵を返そうとする彼女の肩を思わず掴み直して引き止めた。
あんなにキラキラと目まぐるしく感情を迸らせていた彼女が、何の感情も発しない人形みたいになってしまった事が、納得も我慢もいかなかった。
こんなの、全然彼女らしくない。
「なあ、待ってくれ!思い出せよ!
これからコラボカフェ行って今見たライブの話するんだろ!?あんなに瞳をキラキラさせて、楽しそうにMuse!のことを語ってたじゃないか!
君はもっと表情の豊かな、感情溢れる明るい子だっただろう!?」
「おい君、いい加減に⸺」
「ミューズ……?」
初めて彼女が反応した。
目線がこちらに向いて、俺の顔を捉える。
虹色の、光のないその瞳に。
わずかに光が灯った、ように見えた。
「わたし……そうだ、私……わたし、は……?」
「なに……!?」
彼女が反応したことに、黒スーツの男が初めて驚きの感情を浮かべた。
「まさか、もう感情が戻った、だと!?」
「俺のこと、分かる?」
「えっと……その……?」
「⸺いや、そんな筈はない。命令に従うんだ!」
「命令……戦う……?」
彼女の表情に戸惑いが強く滲む。
そしてはっきりと表情を歪めて怯えはじめた。
「いやだ、私、出来ません……怖い……!」
「なっ!?恐怖、だと……!?」
予想外の返答に男が焦っているが、こちらとしても展開が早すぎてまるでついて行けない。
「チッ!⸺おい君、彼女に一体何をした!?」
驚き。動揺。焦燥。そして少しの怒りと好奇心。
それら全て、黒スーツの男の発する感情だ。
ああ、この人は普通の、生きた人間だ。
今そんな事、どうでもいいはずなのに、何故だかひどくそれが印象に残った。
「いや、何したっていうか、俺は普通に……」
「“人形”にこれほど早く感情が戻ることはない。あまつさえ命令を拒否するなどあってはならない!君が何かしたのでなければ説明が付かないんだ!」
「そんな事言われたって……」
そう。俺はただ単に、彼女に元に戻って欲しいと願っただけ。
感情を取り戻して欲しいと、そう願っただけだ。
もしそれで彼女の感情が戻ったのなら、それはいいことじゃないのか?
それとも、何か悪いのか?
ふと気配を感じて、そちらに顔を向ける。
“大きな目玉”が、じっとこちらを見ていた。
驚く間もなく、その“大きな目玉”が、鈍い光を発し始める。それは次第に中心部、つまり瞳孔、のような場所に集まっていく。
あれ、これは……もしかして……?
と、思う間もなく、突如降ってきた一条の閃光がその“目”を貫いた。
すると淡い光をばら撒きながら、“目玉”は煙か何かのように霧散して消滅していく。
“大きな目玉”の発した光、そしてそれを貫いた閃光。
気のせいでなければ、それはどちらも“感情”だった。
「所長、遅くなって申し訳ありません」
また新しい声がして、新しい人影が現れた。
今度は人数が多い。
「揃ったか」
「はい、周囲のオルクスは殲滅しました。残りはこの近辺だけです」
「ご苦労」
どうやらこの男の仲間、というか部下のようだ。
「その子が新しい『人形』ね!なかなか可愛いじゃない♪」
先ほどの声とは違う、少し甲高い声が言った。
人影は全部で6人いた。
全て女性……というか少女のようだ。
その全員が、虹色の瞳をこちらに向けている。
6人……?
えっ、まさか……?
その中から背の高い少女が、豊かな亜麻色の長髪を揺らしながら歩み寄ってきた。
彼女と同じ黒いドレスをその身に纏っている。
ああ。間違いない。
顔を見て確信した。
「貴女が新しい『figura』なのね。
初めまして、歓迎するわ。ようこそ『MUSE』へ」
そう、その少女はMuse!のリーダー、レイだった。
ついさっき、ステージ上でメンバーを統率しながら躍動していた、アイドルのレイその人だったのだ。
「えっ、あなたは……!?」
彼女が驚くのも無理はない。憧れのアイドルが目の前にいて、自分に話しかけてくるのだから。
「⸺あら?貴女、感情がもう戻っているの?」
「ああ。どういう原理かは分からんが、どうやらそのようだ」
「そう……。貴女、戦えて?」
「えっ?え、あの、」
「無理なら無理しないでいいわ。ここは私達の戦いぶりを見ていて頂戴」
言うが早いか、レイは左手で彼女を抱き寄せ、その肩越しに手にした銃を撃ち抜いた。
「えっ?え、ええっ!?」
いつの間にか彼女たちのすぐそばまで迫っていた“大きな右手”が、その真ん中を撃ち抜かれて霧散していく。
振り返ってそれを見た彼女が、驚きに混乱している。
「レイ!所長とその子は任せたわよ!」
彼女を可愛い、と言った少女がレイに一言かけると、それを合図にそのまま全員が思い思いの方向に散っていく。それぞれ無言で、または気合を入れつつ、あるいは何かよく分からない雄叫びを上げながら。
その動き、身のこなしは、とても人間の動きとは思えない。
そして、それまで気がつかなかったが、周りにたくさんの異形の化け物が集まってきていた。
“口”や “目”、それに “手”や“脚”など、人体を模しているのだろうが形や大きさが異様で不揃いだ。他にも無機物と有機物とを融合させたようなよく分からない造形のモノや、なんとも形容しがたいモノまである。
そのどれもが、悍ましさに満ち溢れていた。
それらを剣やハンマーや薙刀や銃など、手にした武器で、次々に彼女たちが粉砕していく。
高度に訓練された、そして手慣れた動き。一切の迷いも躊躇もない。とても、ただのアイドルの動きではなかった。
「みんな一体、何者なんだ……」
「あれが〖MUSE〗だよ。そして彼女らが殲滅しているのが〖Orcus〗だ。3年前に突如として現れて以降、人々を襲い、その生命と感情を貪り食っている化け物どもだ。
彼女たちはあの〖Orcus〗から人々を守るため、こうして日夜人知れず奮闘している」
何も教える事はない、と言っていたと思うが、気が変わったのだろうか。
「はわわ……、す、凄い……!」
「凄い、ではない。君もこれから皆と同じように戦うんだ。できんとは言わさんよ」
「ええっ!?わ、私がですか!?」
「そのために“霊核”を埋め込んだのだ。そして君はその“霊核”に適合した。だから君にも、もう彼女らと同様の力が宿っている。感じるだろう?」
「そ、そういえば。何だか力が溢れてくる……!」
彼女の頬が紅潮する。だが、高揚よりもまだ怖れが勝っているようだ。
「あんた。名前、聞いてもいいか」
「私か。⸺そうだな、私のことは」
「“涅色の死神”、だったかしらね、所長?」
「あっおい、レイそれは言うなって!」
えっなんだその厨ニ病全開みたいな二つ名は。
いい年こいたオッサンがそれ名乗ってるの?マジで?
「あっいや、これは違う。違うんだぞ。あれは人が勝手に呼んでるだけで⸺」
「でも所長、今自分で名乗ろうとしたでしょう?」
「いっいや、だからそれは⸺」
なんだろう、一気に人間臭くなったぞこの人。つうかさっきまで冷徹なワルオジムーヴ全開だったのに、いきなりポンコツオヤジ風味になりやがった。
そしてレイがまた、そんなおっさんを明らかにからかって楽しんでるし。
「まあそれはそれとして。⸺涅色さん、でいいかな?彼女、まだ怖がっているようだし、あまり無理をさせないでもらいたいんだが」
「いやもう本名でいいよ。⸺涅刹那、それが私の名前だ」
あーなるほど。本名とさっきまでの冷徹そうな見た目⸺これは多分仕事上の姿、ってことになるのかな。そこらへんから陰口みたいに名付けられて囁かれてる、ってところか。
でもそういうの、自分で名乗っちゃ終わりと思うんだけどな。
「まあとにかく、無理かどうかは私が決めることだ。
⸺だが、そうだな。君が責任持ってサポートするというのであれば、それでも構わないが?」
「……は?」
いや、何でそうなるのか。
「君には悪いが、我々はもう君を解放するつもりはない。この場のオルクスを殲滅し次第、一緒に来てもらうからそのつもりで」
いやだから、何故そうなる!?
「拒否権はないよ。君にはどうやら感情をコントロールする何かしらの力があるようだからね。我々の観測では、これまでそのような能力を持つ人間は居なかった。実に興味深いし、このまま帰すわけにもいかなくなった」
「そんな、横暴な……」
「重ねて言うが、拒否権はない。これは命令だ」
えぇー。
命令される筋合いなんてないはずだけど?
とはいえ、これはどうも抗議が通るような雰囲気ではなかった。