第二十三幕:濃紫の“絶望”と輝白の“希望”
再びパンデモニウムの最奥部に戻ってきた時には、もうマイは白羽ちゃんの目の前に立っていた。
彼女はきょとんとした顔でマイを見つめている。マイの表情は……後ろ姿しか見えていなくて今は分からない。
少し離れて、ユウとリンがそれを見守っていた。
「ユウ」
「あっ、マスター。……ずいぶん息が上がってますが大丈夫ですか?」
「お、俺はいい。それより、あの子……」
「……手遅れ、だったみたいよ」
リンの言葉に思わずマイの後ろ姿を確認する。
その肩が、細かく震えていた。
「おねえちゃん、誰?
おねえちゃん、わたしのこと、知ってるの?
前に、会ったこと、あるの……?」
「白羽ちゃん……!私、マイだよ!昨日ここで会ったじゃない!」
衝撃的な少女の言葉に、マイの肩だけでなく声も震えていた。
なのに白羽ちゃんはキョトンとしたまま、小首を傾げるばかり。
「本当に……本当に、憶えてないの?それに、今日は白羽ちゃんの大好きなMuse!だって——」
「みゅうず、って……なに?」
「………………えっ」
やっぱりリンの言う通り、手遅れだったんだな。
無理もない。彼女は無防備な状態のまま、このパンデモニウムの最奥に1日以上いたんだ。この子の少ない記憶なんてほぼ全部無くなっていても不思議じゃない。
「マイ……」
少し息も整ってきたところで、立ち尽くすマイのすぐ横まで進む。
だけど彼女は、俺が横にきた事にも気付かないようだった。
「しう、ってなあに?」
「なん、で…………」
不思議そうな顔の白羽ちゃんと、今にも泣きそうな顔のマイ。
その対比はなかなかに残酷だった。
「マイ、残念だけど……その子の記憶はもう……」
最後まで言えなかった。絶望に染まる彼女に今追い打ちをかけるのは、さすがに無理だ。
「おねえちゃん、どうしたの?
なんで泣いてるの?」
不思議そうな顔のまま、白羽ちゃんがマイに歩み寄る。
マイはそれに答えられず、崩れ落ちるように座り込む。そうして堪えきれずに、顔を覆って泣き出してしまった。
「ごめん……ごめんね、白羽ちゃん。
私が、私が弱かったから……。
もっと、私がもっと強かったら……!」
後はもう、言葉にならないようだった。
マイが手を伸ばして、白羽ちゃんの小さな身体を抱きしめた。
泣かれた上に抱きつかれて、白羽ちゃんはやや戸惑っている。
「おねえちゃん、大丈夫だよ。元気出して」
だが少女は自分を抱きしめる見ず知らずの相手を恐れるでもなく、逆に慰めてきた。そのまま少女たちは抱き合って、しばらく動こうとしなかった。
悲しみと、悔しさと、無念さと、不甲斐なさ。
多くのネガティブな感情が混ざり合って、ほとんど黒にしか見えない深い濃い紫。“絶望”の感情がマイをとり巻いていて、しばらくは声をかけることさえ出来なかった。
「……あなたのお名前は『白羽』っていうの。
白い羽って書いて、『しう』。お母さんが付けてくれたんだって、あなたが私に教えてくれたんだよ。——とっても素敵な名前で、良かったね」
白羽ちゃんを抱き締めたままひとしきり泣いたあと、抱擁を解いたマイが改めて彼女に声をかける。いつの間にかネガティブな感情に代わって、ポジティブな感情がマイから出始めていた。
それは輝くような白さで。“希望”に色をつけるならこんな感じなんだろうなと思った。
「しう……そうなんだ。わたし、しうって名前なんだね。教えてくれてありがとう、おねえちゃん!」
白羽ちゃんの方は、若干の戸惑いを残しつつも、素直な喜びの感情を出している。
そうか、この子はまだ、記憶を失っただけで感情は残っているんだな。そしてこんな状況下でも、彼女は見ず知らずの他人を気遣う優しさを見せている。
まだ相応に幼いだろうに、なんて強い子なんだろう。
「私の名前は『マイ』っていうの」
「マイ、おねえちゃん……?」
「そう、マイだよ。はじめまして、白羽ちゃん。これから、よろしくね」
悲しみに打ちひしがれつつも、必死で前を向こうとするマイの姿は痛々しくもあり、それでいて力強くもあった。それはこの残酷な現実と正面から向き合って、それでも乗り越えていこうとする、彼女の決意と希望の現れでもあった。
そんなマイの姿を、心を、とても美しいと感じずにはいられなかった。
「うん。よろしくね、マイおねえちゃん!」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
『“マザー”の分析によると、そこが上階へ進むための扉のはずです』
白羽ちゃんを保護した“リーパーの狩り場”。そこからさらに奥へ進んだその先に、その扉はあった。
それはかなり巨大なものだった。一面に精緻な彫刻だか装飾だかの施された、両開きの重厚で豪奢な扉。それがどこまでも吹き抜けていそうな天井の見当たらないほどの空間に、高く、大きく聳えていた。まるで空想や伝承上の巨人専用かと見まごうばかりだ。
だが、分かるのはそれだけだ。扉には把手どころか鍵穴すら見当たらない。つまりどうやって開けるのかが皆目見当もつかない。
さらに困ったことにその扉は空間の真ん中にポツンと立っているだけで、その後ろには何もない。分かりやすく言えば未来から来た猫型ロボットがよく使う、あの扉と似たような感じだ。ってことはこの扉もアレと同じで、空間同士を繋げるタイプ、なんだろうか。
「ずいぶん大きな扉ね。押しても引いてもビクともしそうにないけれど、どうやって開くのかしら」
呆れたようにレイが呟く。
今、MUSEは全員、この最奥部に集結していた。
「これ見よがしにデケェ扉おっ立てやがって……。こりゃ鍵ゲットしねえと先進めねえパターンだな」
アキは相変わらずつまらなさそうに白けたままだが、その割に目線は忙しなく動いて周囲を観察している。それはまるで、いつものゲームのストーリーモードを楽しんでいるかのように見えた。
まあこういう場合、ゲームなんかでは周囲に何かしらヒントがあるものだ。普段から隙あらば引きこもってゲーム三昧しようとする彼女のことだから、きっと今もゲーム感覚で動いているんだろう。引きこもりたがりの割に、身体動かすのは好きだからなこの子。
そんなアキの横で、ハルに支えられて立っているサキが、これ以上ないゲンナリした顔で扉を見上げている。
「…………どうするんですか、コレ。そもそも開くんです?」
「開くか開かないか、ではないわね。開けるのよ」
そしてそのサキの言葉を受けて、ミオが決然と言い放つ。
いやカッコいいこと言ってる風だけど、内容はだいぶ脳筋的だからな?
『……みんな、よくやった。本日の作戦行動はこれで完遂とする。マスター、MUSEたちと帰還しろ』
「そうですね。では白羽ちゃんを保護して帰投します」
これ以上は現状ではどうにもならなかった。
だがとにかく、リーパーをパンデモニウムから排除することには成功した。その意味で、今日の作戦は成功と言っていい。
この巨大な扉は、また新たに情報を集めて攻略の糸口を掴み、“マザー”の解析結果を待ってから挑むことになる。おそらくはアキの言うとおり、鍵になる何かを探さなくてはならないのだろう。
それが見つかるまでは事実上、パンデモニウムの攻略は中断されることになるはずだ。だってこれほどの規模の建造物だというのに、中はこの扉以外には何も見つからなかったのだから。
とにかく一旦は仕切り直しだ。MUSE全員と白羽ちゃんを連れて、俺はパンデモニウムを後にした。
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