第二十幕:彼女から渡されたもの
「じゃ、俺らはリビングに戻りますんで」
作戦指令室を出た所でナユタさんに声をかける。彼女も精神的にもずいぶん落ち着いてきてるし、もう普段通りに話しかけても大丈夫だろう。
「はい……。
……あっ、悠さ……桝田さん!あの……」
いや何故言い替えたし。
ていうか、まだなんかあったっけ?
「その、例のものをお渡ししないと……」
例のもの?
「ではマスター、私は先に戻りますね」
何かを察したらしいユウが、それだけ言い残すとさっさと上へ戻っていってしまう。
「……なんかありましたっけ?」
「その、お給料を……」
「あ。」
そういやそうだった。よく考えたら、今日は7月の25日か。
「その、どこでお渡ししましょうか」
「絶対見つからないようにしないとだし、うーん。車で家まで送りましょうか?」
「……そう、ですね。
じゃあ、お願いしても……?」
ナユタさんから少しだけ緊張の感情。
さすがにさっきの今じゃあちょっと厳しいかな?
「まだ怖いようなら、無理にとは言いませんよ。——そうだ、レッスン場の前で待ち合わせしましょうか」
「あ……そう、ですね。そうしてもらえれば……」
「じゃ、飯食ってから行きますんで。どっかで時間潰してて下さい」
「はい。すみません……」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
食堂へ上がると、待ちかまえていたリンから質問責めに遭った。明日の作戦の事で話があっただけだよ、とかわしつつ手早く食事を済ます。
先に戻って食べ始めていたユウは、先に食べ終わると、いつものティータイムも楽しまずにさっさと自室に引っ込んでしまった。
施錠と見回りしてくる、とリンに言い置いてパレスを出た。鍵は全部揃っていたからレッスン場に誰かがいる心配はない。まあ、明日の作戦を前に悠長にレッスンしてるはずもないから、そもそも心配する必要もないことだ。
「ナユタさん、お待たせしました」
陽も落ちかけた宵闇の街の中で、レッスン場のテナントビルにもたれかかって彼女は待っていた。
「いえ、大丈夫です。路上でというのもなんですから、三階へ上がりましょうか」
「えっ、鍵持ってきてないですよ?」
「エレベーターホールで充分ですよ。人目に付かなければいいので。お金の受け渡しですから、用心するに越したことはありません」
「なるほど、そう言われればそうですね」
ふたりでエレベーターに乗り込み、三階まで上がる。
小さなエレベーターホールにはふたりきり。
地上とは違って、三階ではまだ夕陽が窓から射し込んでいた。
「お待たせしました、こちらが魔防隊——特殊自衛隊から桝田さんへのお給料です。桝田さんには口座がまだ用意されていませんから、手渡しになってしまいますが。
……この度はお渡しするのが遅くなって、本当に申し訳ありませんでした」
カバンから大事そうに給料袋を取り出して、やけに丁寧に手渡してくれる。給料袋、あるんだ。
そんなに謝らなくてもいいのに……ってなんか分厚くない!?
「あの、これ、中を見ても……?」
「もちろんです。間違いないか確認して下さい」
言われるままに早速開いてみる。
中には給与明細とお札が…………えっこれ何枚入ってるの!?
「なんか、だいぶ多いように思うんですけど、これ間違ってません?」
「大丈夫ですよ。6月はまだ試用期間でしたので桝田さんの場合は日当1万円、2日間だけでしたので2万円ですね。他にマスター手当が月額20万円、これは一度でも出撃があれば満額支給されます。6月は一度出撃がありましたので支給されました。それから運転手当などの諸手当が入って、控除分を除いた額が入っているはずです」
確かに渡された封筒には20万円を少し超える金額が入っていて、彼女の説明とも明細とも合致する。6月はたった2日しか働いてないのに、それでこの金額となると1ヶ月の満額だとどうなってしまうのか。
「マスター手当20万て……多すぎません?」
「命を懸ける前線指揮官としては少なすぎるくらいです。これ以下には絶対下げられないと、司令が強く主張して押し通しました」
「それは……所長にいよいよ頭上がらんようになりますね……」
「試用期間はおおむね2週間のはずですが、桝田さんは2週間経過する前に負傷休業に入りましたから、そのあたりを経理係長がどう判断するか何とも言えません。ですので、来月支給される7月分のお給料も、もしかすると満額にはならないかも知れません」
「ちなみに、試用期間を終えて正式雇用になると給料は……?」
「日当3万円と、マスター手当が20万……というのが基本給になりますね。それに作戦立案、同指揮などでの歩合給がプラスされます」
「えっ待って?それって普通に100万超えちゃったりしません?」
「超えると思いますよ?」
「いや、そんなには貰えませんよ。とても人並みの給料とは思えない」
「人並みの仕事ではありませんから当然です。桝田さんには受け取る権利があります。あとこの他に、MUSEUM正社員としてのお給料がこちらになります」
「えっまだあるの!?」
追加で渡された封筒を恐る恐る開けてみたが、こちらは2万円足らずしか入っていなかった。
「こちらも6月分、月給の日割り計算で1日約1万円ですね。6月はまだマネージャー研修中ということでマネージャー手当は支給されません。6月はマネージャー業務で運転を担当されたので、運転手当は若干額付いているはずです。ただ全体的に少額なので控除はありませんでした」
「なんか、こっちの金額の方がホッとしますわ……」
「満額支給されるようになると、固定給20万円に加えてマネージャー手当が月5万円、それに深夜早朝残業手当、運転手当、その他営業案件の成否に応じたマージンが加算されます。
特自の報酬ほどにはなりませんが、頑張ればこちらも結構な金額になるかと思います」
「だから、貰いすぎだって……」
もう話聞いてるだけでゲンナリしてくる。その計算だと、俺が10年間で必死に貯めた200万なんて、2ヶ月かそこらで追い越されてしまうことになる。
「桝田さんはそれだけの業務をこなしてますから、胸を張って堂々と受け取って下さい。お給料は私たち魔防隊からの、そしてMUSEUMからの、せめてもの感謝の気持ちなんですから」
夕陽に照らされながら、ナユタさんが微笑みかけてくる。それが何故だかひどく懐かしく、そして美しく思えた。
ああ。今までと変わらないその笑顔を、これからも向けてくれるんだ。
そう感じただけで、もう胸が一杯になっていた。
「……桝田さん」
ナユタさんが、不意に真剣な表情に変わった。
「先ほどのお話はとても驚きました。その、正直に言えばショックでしたし、怖かった。
いつも隣で笑っていた人が実はオルクスだったなんて、信じられません。できることなら嘘だと言って欲しかった……。いいえ、今でもそう言って欲しいと願う気持ちが、私の中にはあります。
だけど、本当のこと、なんですよね……」
真剣な表情のまま、やや俯きながら伏し目がちに、それでも彼女は言葉を紡ぐ。
彼女の本心は、その感情が何よりも雄弁に物語っていた。
「ですが元の姿、元の雰囲気に戻った貴方を見て、どれほど安堵したか分かりません。今の貴方のこの姿こそが本当の姿だと、私が信じる貴方が正しい姿なんだと、貴方の手を握って、そう確信できました。
あの夜、独りになるのが心細かった私の手を握って安心させてくれた、あの時と同じ温もりが信じさせてくれたんです。
——そして、ようやく私は気付いたんです」
あれ、待って。
ちょっと雰囲気おかしな事になってない?
--今ごろ気付いたかこの鈍感め!
「私は、貴方が好きです。貴方を愛しています」
そうして彼女は顔を上げ、真剣な面持ちでハッキリとそう言い切った。
夕陽に染まるエレベーターホールで、その人はとても美しく見えた。
彼女が歩み寄ってくる。
無言のまま、俺の首に両腕を回し、顔を寄せてきて。
柔らかいものが、唇に触れた。
それは永遠のような、一瞬。
「愛しています、瞬さん」
彼女は愛する男の名を、呼んだ。
そうして、歩み寄って来たときと同じようにスッと身を離して一礼する。
「では、私はこれで失礼しますね。
また明日から、よろしくお願いします」
エレベーターが開く音。
閉じる音。
3、2、1、とカウントダウンする数字。
そして静寂が、訪れた。
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