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その感情には“色”がある  作者: 杜野秋人
【新宿伏魔殿—パンデモニウム—突入】
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第十九幕:柳緑色の安堵

「ナユタさん、怖がらせてしまってすみません。立てますか?」


 座り込んだままのナユタさんに近づき、しゃがんで声をかける。なるべく怖がらせないように、距離を詰めすぎないように、努めて穏やかに。

 自分の手が人の手に戻っているから顔も戻っているはずだし、多分もう話しかけても大丈夫なはず。


「ま、桝田……さん……?」

「はい、桝田ですよ」


 怯え一色だった彼女の感情に少しずつ、青みの強い黄緑——柳緑(りゅうりょく)色の“安堵”の割合が増えていく。

 良かった。ひとまずは安心だな。


「ユウも、戦闘モード解除していいよ。

もう心配ないから、大丈夫」


 振り返って、虹色の瞳になったままのユウにも声をかける。それでようやく、ユウも我に返ったようだ。


「マスター…………マスター、ですよね?

いつもの、優しいマスターのまま……なんですよね……?」

「そうだよ。言ったろ?俺は君たちのマスターを投げ出すつもりはない、って。約束はちゃんと守るつもりだぜ?」


 そう言いながら立ち上がり、改めて所長の方に向き直った。


「あの姿から人の姿(・・・)に戻るまで、たっぷり5日ほどかかりました。今のみたいな程度じゃなく、完全に変化してしまってましたからね。で、戻ったあとも精神力を使い果たして回復するまでしばらく動けなかった。

新宿脱出に1週間もかかったのはそのせいです。

その後も、どこをどう通って家まで帰ったのか憶えてませんし、帰ってからも人の姿のまま安定するようになるまで1ヶ月近くかかりました。それからは一切誰にもこんな話はしてないし、とにかく目立たないように、可能な限り誰とも深く関わらないように生きてきました。——あの時所長に拾われるまではね。

まあそのあたりの事は、最初の身辺調査で判ってるとは思いますが」


…ていうか、家まで帰ったの僕だし。

アレを抑え込んで姿を安定させたのはハルカだし。

ぶっちゃけ兄さんほとんど何もやってないからね?


 そういうことにしとかんと、この場は収まらんだろ。


「この3年間、俺はずっと自分のこれをひた隠しに生きてきました。放置していいものではないことぐらい解ってはいましたけど、どうしたら解決するのか、何をすれば人間に戻れるのか、自分ひとりで何ができるのか、何ひとつ解らなくて誰にも頼れなくて、現実から目を背け続けるしかなかった。

だから、その意味で所長には感謝しています。ようやく俺は、問題解決に力を貸してくれる“仲間”を得たわけですから。やっとこれで、今まで目を背けてきた現実と向き合うことができる。自分の運命を呪うだけじゃなく、未来を切り拓くために前を向けるようになったんです」


 そこまでで、わざと一旦言葉を切った。

 所長もナユタさんも、それからユウも、口を挟まず黙って聞いてくれている。


「そう、思った途端のリーパー出現ですよ。アイツが本当に俺の“残滓”かなのどうかは定かではないですが、俺の存在が“新たなオルクス”を生んでいるとすれば放置しておく訳にもいきません。

俺は、自分の現実と向き合わなくてはなりません。こんな力を得たのには、必ず意味と理由があるはずだ。だから俺は、貴方がたとともに戦う。人間とオルクスが相容れないのなら、オルクスを滅ぼし尽くすだけだ。少なくとも俺は人間の側に立って、人間として生きていたい。出来ることなら、最期のその時まで。

——それが俺の、戦う理由です」


「……信じて、いいんだな?」


 俺の言葉を黙って聞いていた所長が、ようやく一言だけ発した。


「もちろん。信じてもらうために見せたんですから、信じてもらわないと困ります」


「分かった。信じよう」


 所長の言葉は簡潔だった。

 それだけで充分だった。


「ふたりとも、今見た事は最高機密の匿秘事項として封印する。一切記録に残してはならん。上層部への報告も不要、絶対に誰にも口外するな。

この事実は心に秘めたまま墓場まで持って行け。必ずだ。いいな?」


 厳しい表情で所長が宣言する。

 それは、今の俺の在りようを認める宣言に他ならなかった。

 本当、大事な時にはちゃんと男前だなこの人は。


 不意に、ナユタさんが俺の右手に触れてきた。

 両手で俺の手に触れて、強く握りしめる。


「桝田さん……いつもの桝田さんの、手……」


 安堵の感情どんどん濃くなるのが分かる。

 ちょっと照れくさいけど、安心してくれるならいくらでも握っててもらって構わなかった。

 というか、今まで通りに“人間”として認識してもらえたことに、俺自身も安堵の気持ちでいっぱいだった。この人に人間扱いされなくなるのが怖くて黙っていたんだから、そうならなくて本当に良かった。


「さて、では今の話を踏まえた上で、もう一度対リーパーの作戦を練る必要があるな」


 一旦目を閉じ、そして開いた所長は、もういつもの雰囲気に戻っていた。

 改めて思うけど、この人の胆力スゲェな。


「あー、いや、そこは特に変更なくていいと思いますよ」

「だが、アレを倒すことで君に何かしらの影響が出ないとも限らんだろう?」

「無いと思いますよ?俺がアレを操ってる訳ではないし、アレと繋がってる感覚もないですし」

「そうだとしても、目の前で倒されるとなると、あまり気分がいいものではないだろう?」

「むしろ逆ですね。1秒でも早く消し去ってしまいたいです。俺と同じ姿で何暴れてくれてんだ、って感じなんで」


「では、君は現状の作戦通りで倒せると考えているのだな。成功の確率はどのぐらいと見る?」

「いや、完全に別個体なんで知りませんよ。アレが何考えてるかも解らないし、どの程度知能を持ってるかも分かりませんし。ただ、作戦としては有効だろうなとは思います」

「では作戦変更はなしだ。ユウもナユタもそのつもりでいてくれ」


「はい。分かりました」


 ユウはもう普段通りに戻っているな。この順応性の高さは、やっぱり相応の場数を踏んでるからってことだろう。


「り、了解しました……」


 対してナユタさんには、まだ少し動揺が残っているようだ。だがそれでも、もう普段の落ち着きを取り戻しつつあるのは流石だな、と思った。


「それで、あの……」


 そのナユタさんが俺の顔を窺いつつ、口ごもる。


「桝田さんのことは、今後どうお呼びすれば……」

「えっ?今まで通りでいいですよ?」

「い、いえその……。ゆ、悠さんなのか……瞬、さん?なのか……」


 あー、今の話で俺の本名も話しちゃったからか。


「だから今まで通りです。悠の名乗りは変えるつもりがないんで。

俺の本名は確かに『瞬』ですが、『悠』の名前を名乗るのは弟が存在した証明でもあるんです。だから俺はもう死ぬまで『桝田悠』ですよ」


「そう、ですか……。

分かりました。では悠さん、で」


 なんでちょっと残念そうなのナユタさん。

 ていうか『瞬』の名前を口にしたとき、ちょっと照れたよね?


--まぁだ解ってないのかこの唐変木は。


…あ、ハルカ帰ってきた。おつかれ。


--ホンット、どっかのバカ兄貴のせいで無駄な仕事させられるわーマジで。あー疲れた~。


 悪かったって。今度なんかスイーツでも奢るわ。


--ボクが外に出て行けないのに、どうやって奢るっていうのさ!


「はい。では私も悠さんとお呼びしますね」

「いや、ユウは今まで通りマスターでいいよ?」


 って、なんでユウまで残念そうなのさ?


--よし分かった。死ね兄貴。


…まあまあ。兄さんがこうなのは今に始まった事じゃないじゃん。


「無駄話はそのくらいにして、そろそろ上へ戻ったらどうだね?あまり遅いとさすがにリンもレイも疑い始めるだろう?」

「あ、そうですね。実際腹も減りましたし。——じゃあユウ、俺たちは戻ろうか」

「はい。では所長、ナユタさん、失礼しますね」


「あ、わ、私も失礼します」

「ああ。ナユタは仕事が終わっているならもう上がりたまえ。気持ちの整理をつける時間が必要だろう?」

「あ……はい。ありがとうございます……」


 そうして、所長を残して全員が司令官室を後にした。






いつもお読み頂きありがとうございます。

次回更新は10日です。

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