第十一幕:深紫の嫉妬
「レイ、いるかい?」
リンの部屋を出て、そのふたつ隣のレイの部屋のドアをノックする。
リーダー3人は3階の、階段から見て奥側にハクを挟んで部屋を構えている。奥からユウ、リン、ハク、レイの順だ。3階は全部で5室あり、一時的に俺が使っていた一番手前の部屋は今、ミオが使っている。
最初は、寮も3階までしかなかったらしい。4階はハルとアキがfiguraになったのを受けて増築されたのだと、ナユタさんが言っていた。
ということで3階は今は満室、4階は手前からハル、サキ、マイで、ひと部屋空けて一番奥がアキの部屋ということになっている。
そうそう。ここでの生活2日目の朝に、部屋から出てきた下着姿のリンとばったり出くわしたんだよな。いやー、なんか懐かしいなあ。
「ええ、待っていたわ。どうぞ入って頂戴」
返事とともにドアが開く。
レイが笑顔で招き入れてくれた。
「リンのほうはもう終わったのかしら?」
「うん。ちゃんと『迷宮』も開いたし、記憶も取り戻した。俺にもリンにも疲れは出てないし、大丈夫」
「そう、それは良かったわ。リンの記憶は……
——いえ、これは私が気にするべきことではないわね」
レイが気にしているのは、記憶の内容そのものよりも『記憶がfiguraとしての力の向上に役立ったかどうか』だろう。まあでも、そこはおそらく個人差があるだろうし、他の子の例は参考にはならない気がする。
「まあ、そこは開放してのお楽しみ、って事でさ」
「ふふ……そうね」
「さて、じゃあ早速始めようか」
「ええ。じゃあ、お願い……」
レイが差し出した右手に浮かんだ『鍵』を受け取る。俺が受け取ったのを確認して、彼女が少し胸を反らして目を閉じる。その胸元に『霊核』の鍵穴が浮かび出る。
彼女から少しだけ、緊張と不安、それから信頼の感情。責任は重大だと、改めて感じる。
「ナユタさん、今からレイの『迷宮』を開きます」
『はい。こちらでも引き続きモニタリングしていますね』
インカム越しにナユタさんに一言断ってから、レイに向き直る。
「じゃあ、行こうか、レイ」
そう断ってから、鍵穴に『鍵』を挿し込んだ。
『レイちゃんの“迷宮”も正常に開きました。マスター、レイちゃんともバイタル安定しています』
精神世界で、レイは独りで立ち尽くしていた。虹色の瞳で、真顔でじっと俺を見つめている。
リンみたいに最初から誰か呼んでるのかと思ったけど、誰を呼ぶか迷っているのだろうか。
「レイ、君が好きな子を呼んでいいよ?」
少しだけ、逡巡の感情。レイが目を伏せて、わずかに俯けた頭を再び戻して俺を見た時には、その左右にハルとサキが立っていた。
ああ、そういうことか。彼女は全体リーダーということもあって、年少組のこの子たちのことをいつも気にかけていたもんな。マイを選ばなかったのは、きっと俺とセットだからあまり気にかけてやる必要がなかったからだろう。
「そっか。レイはやっぱりリーダーなんだな」
『ハルちゃんとサキちゃんを確認。マスター、始めますか?』
「……そうですね。始めます」
レイが差し出す鍵を受け取り、そのまま彼女の鍵穴に挿し込んだ。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「……figuraになってずいぶん経つけど、こんなにはっきりと何かを思い出したのは、初めてよ。まずはそのお礼を伝えたくて。
こんなにも美しい思い出を取り戻させてくれて。ありがとう、マスター」
全てが終わって、部屋のソファに身体を沈めたまま、静かにレイが話し始める。
どうやら、彼女も無事に記憶を取り戻せたようだ。
レイとハルとサキはいつも通り、いやいつも以上の抜群のチームワークで『迷宮』を駆け抜けた。
リンの時のリーダー3人もそうだったし、マイの時のリンとユウもそうだったけど、戦う3人がお互いを完全に信頼し合って呼吸を合わせれば、彼女たちはもっともっとずっと強くなれる。それが良く解ったのが『迷宮』の踏破で得た一番の収穫だと思う。
「素敵な思い出だったみたいだね」
「ええ……。まばゆいシャンデリア、深紅のカーペット。私が初めて見た、心から美しいと思えるものの記憶」
…心から美しいと思えるもの、か……。
「きっと、あれはミュージカルだと思うわ。——最高の劇場、音楽、煌びやかな衣装。全てが完璧に演出された空間で、何よりも美しかったのは……」
そこで一度言葉を切った彼女は。
「舞台の上で踊り、演じる、生身の人間だったわ」
レイは胸を張ってそう、言い切った。
「ヒロインは一筋のスポットライトを浴びて、まるで自ら発光しているかのように煌めいていたわ。
人間の持つ声と身体の表現で、ここまで観客の心を揺さぶることが出来るんだ、って。私、しばらく席から立てなくなるほど感動したわ」
「それが、君の原点だったんだね」
「ええ、きっとそう。美しいものに心惹かれる、最初の記憶……」
レイの表情が、感情が、たった今素晴らしいミュージカルを見終えたばかりのように感動して揺れている。いや、実際に彼女は見たのだろう。記憶を取り戻したことによって。
「あのヒロインの顔、声、所作……。
全てが、私にとって衝撃的だったわ。
——ううん、違うわ。それだけじゃないわね。私は、あのヒロインのことを……」
そこまで言ってから、不意にレイは黙ってしまった。
困惑の感情が浮かぶ。何かを思い出そうとしているのか、それともどう言葉にしていいか迷ってるのか。
レイの乱れて混ざり合う感情は三色の色を示していた。それは赤と青と、そして黒。いわゆる深紫という、黒っぽい紫色。それが視える俺には、彼女が何を考えているかも視えてしまった。
「記憶を取り戻したばかりなんだし、そう焦らないで、少しじっくり整理してみたら?」
「……そうね、これ以上は記憶がまだ上手くまとまらないわ」
だからそれとなく諭して、レイも諦めたように言葉を締める。
言葉とは裏腹に彼女は自分の感情に気付いている様子だったが、今はそれを指摘するべきではないと思った。その代わり、別の疑問を口にしてみる。
「そのミュージカルを見たのって、いつぐらいの事なんだろうな」
「……どうかしら、よく解らないわ。誰か大人に手を引かれていたような憶えがあるから、きっと子供の頃の事じゃないかと思うけれど」
「じゃあ、親御さんと一緒に見たって事かな」
「多分、そうだと思うわ。……不思議なものね。親の顔より先に思い出すなんて」
少し自嘲気味にレイが笑う。
それだけ強く印象に残った思い出だったって事なんだろう。というか、舞台に強く惹き付けられていたから、周囲の様子とか親とか、そういうものに意識が向かなかったのだろう。子供の頃にはよくあることだ。
「まあ、無事に取り戻せて良かったよ。この記憶が君にとっての美しい思い出で、一番強く印象に残っていたって事なんだろうし」
「ええ。本当にありがとう。きっとこの記憶は、私を支えてくれる大きな柱のひとつになるわ。
記憶を取り戻すと強くなる……。本当に、その通りなのね」
レイの顔には晴れやかな笑顔が浮かんでいた。
先ほど言葉を濁したのが少し気にはなるが、レイが満足したのならひとまずは喜ぶべきだろう。マイと同じく精神的な大きな柱を得たのだから、figuraとしてもアイドルとしても、彼女は今後いっそう光り輝くはず。
「レイにとっての原点になったそのミュージカルみたいな舞台を、これからファンの人たちにも見せてあげられるといいね」
「ええ。また大きな目標が出来たわ。
本当にありがとう。大切なことを思い出させてくれて、感謝しているわ。これからもよろしくね、マスター」
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次回更新は30日です。




