第八幕:仕切り直しの意味
リビングに残っていた他の子たちも含めて遅い昼食を全員で取り、バスルームに向かうみんなを見送ったあと、少し気になる事があって再び指令室に向かう。
「どうしたマスター。何か気になることでもあったかね」
顔を見せるなり、所長に言われた。
ホントにもう、察しが良すぎるだろ。
「あの白羽って子のことなんですが……」
あの子の血色は非常に良かった。少なくとも、新宿やパンデモニウムで見た多くの人々、正気を失った人たちの病的な顔色に比べれば、違和感を通り越して異常なほどだった。あれは、きちんと人間らしい食事をして心身ともに健康である証拠だと言える。
だが、現在の新宿でそんなものが継続的に手に入るとは思えないし、リーパーが人間の食事をきちんと用意できるとも思えない。そして人間は、2週間も絶食すれば簡単に餓死してしまう。
にもかかわらず、あの白羽という子は空腹を訴えるでもなく、マイたちに食べ物をねだるわけでもなかった。活力に溢れていて、衰弱している様子は一切なかった。
つまりあの子は、パンデモニウムに入ってまだ1日と経っていないはずなのだ。記憶をほぼ完全な形で保持していたことも合わせて考えれば、パンデモニウムに連れ込まれて両親を殺されたのはおそらく今日の朝、早くとも昨夜のうちのはずだ。
だったら、彼女の救助は一刻も早く行わなくてはならない。
あの年頃の子供でも数日は空腹に耐えられるだろうけど、自分で動けないほど衰弱してしまってからでは運ぶためにMUSEがひとり手を取られることになる。
「なるほど、確かに君の言うとおりだろう。誘蛾灯とは言ったが、まだ状態としては“未使用”かも知れんな。むしろ、これから使う予定の“道具”を奪われないために立ちはだかったと見るべきかも知れん」
「俺もそう思います。だから、作戦が立っているのなら今すぐにでも——」
「そういう訳にもいかんのだよ」
残念そうな感情を浮かべながら所長は首を振る。
「そうできるものならそう指示していたさ。だがこの作戦には準備が必要だ。それに、君たちの疲労も考えなくてはならん。
特にマイのこともある。初めて目の当たりにする厳しい現実に、ずいぶん心が擦り切れていたようだったが。あの状態で再三の出撃が可能だと思うか?」
「それは……」
「君も含めて、一度冷静になる時間も必要なはずだ。MUSEとて冷徹な戦闘マシーンではないし、感情を力にして戦う以上、感情による判断ミスも常に付きまとう。冷静さは失ってはならん」
正論だった。
少し焦っていたと、認める他はなかった。
だが。
「それでも、助けられるものなら助けた方が——」
「彼女ひとりとMUSEとを天秤にかけて、君はどちらを取るつもりだね?」
「……えっ?」
「リーパーという強敵を前にして、それを倒してあの少女を救い、なおかつMUSE全員が無事に帰還できる保証は、あるか?その成功率はどれほどを想定している?」
「……」
「そのために何をしなければならないか、君は理解しているか?」
「……分かり、ません……」
「では、そんな不確実な作戦行動を認める訳にはいかんな」
ぐうの音も出なかった。
自分が言っているのは、ただの楽観的なギャンブルでしかないのだと思い知らされた。
「焦る気持ちは分かります。ですが、作戦は完璧を期さなくてはなりません。戦果より損害が大きくなっては意味がないんです」
ナユタさんにまでダメを押されて、もう何も言えなくなった。
「君の推測はおそらく正しい。その意味では冷静な判断が出来ていると言っていいだろう。だが、そこまで考えが及んだのなら、もう一歩先まで見通すべきだったな」
「……すみません」
「詫びる必要はない。あの少女を何とか救いたいという気持ち、それは正しいし大事なことだ。だが、優先順位は間違わないようにして欲しい」
「……はい」
「それにな。残酷なことを言うようだがね、彼女を100%の状態で救出するのは最初から不可能だ。一見して記憶や感情を保持しているように見えても、あれだけの数の光魄が舞うパンデモニウムにすでに連れ込まれている状態で、それらを完全に保持できているとも思えない。
おそらく今すぐに救出に向かったとしても、再び会った時には記憶の喪失が進んでいるだろう。君の望む救出は、あの時にリーパーを倒さなければ叶わなかったのだよ」
「……でも、俺たちは倒せなかった……」
「そうだ。残念なことだが、それが現実だ」
「さらに悪いことに、これから夜を迎えます。オルクスの行動は夜間の方が活発になるとデータ上でも判明しています。渋谷であればMUSEの皆さんの討伐が進んで夜間もかなり安全になりましたが、新宿ではそうはいかないでしょうね……」
ナユタさんの言葉は、今から再三の侵攻をかけてもパンデモニウムに到達出来ない可能性を示唆していた。それだけではない。せっかく苦労して開削した侵攻トンネルを敵に発見され奪われる危険性まで匂わせていた。
もしそうなれば『新宿』への侵攻ルートは再び途絶えてしまうだろう。当然、あの白羽という子の救助も絶望的になってしまう。
「今日の作戦を早めに切り上げたのは、そういう事だったんですね……」
「理解が出来たのなら、これ以上は言わなくてもいいな?」
「はい……」
「まあそう気を落とす事はない。作戦決行を明朝に設定したのは、少女の生命が直ちに危険に晒されるものではないという判断あってのことだ。記憶や感情は失うかも知れんが、少なくとも明朝の作戦が成功すればリーパーは排除でき、少女も無事に保護できるはずだ。
生還さえ叶うなら、記憶も感情もあとから補填できるのだ。だから今考えるべきは、いかにして少女を無事に生還させるか。それだけだ」
…MUSEが全員無事に生還できた上で、っていう前提での話、ですよね。
--所長さんに従うしかないね。
兄貴、今日のところは諦めよ?
まあ、納得はしたから諦めるのはいい。
だが、他にも確認しなきゃならん事はある。
「もうひとつ、気になることがあります。
白羽ちゃんとその両親は、一体どこから新宿に入り込んだんですか?新宿は封鎖されて隔離されているはずではなかったんですか?
彼女だけじゃない。新宿で見かけた多くの人々、彼らは一体どこから新宿へ?まさかあの状態で3年も生きてる訳じゃないでしょう?」
「主要な道路や線路、建物などは自衛隊主導で封鎖して24時間体制で監視してはいるんだがね。なにぶんにも範囲が広すぎて、猫の子一匹通さないような厳重な態勢は望むべくもない。どうしても、不運にも迷い込む人間は出てしまうのだよ」
「だからって、見逃す数が多過ぎでは?」
「監視といっても現地で見張っている訳ではない。監視カメラとドローンでの撮影・警告が中心となるため、発見した所で止める術は事実上ほぼないんだよ。巡回監視も行ってはいるが、それも限界がある」
「壁とか、フェンスとかは——」
「そんな目立つものを作ってしまえば、新宿の記憶が失われていたとしてもそこに何かあると誰の目にも明らかになってしまうではないか」
うっ、確かに……。
「隔離しようとするあまり、却って目立ってしまっては本末転倒だ。
それに、壁やフェンスを作るにも予算が必要だ。その予算はどこから出ると思っているんだね?まさか湯水のように湧いて出てくるなどとは思ってはいまいな?」
「そんな……」
「被害拡大を食い止められていないという批判は甘んじて受ける。だが物理的に、無理なものは無理なのだ。解ってくれ」
「いえ、責めるつもりはなかったんですが……」
そりゃ資金も人員も限りがあるし、あまり目立つこともできない。解ってはいるけどさ……
「では、これからも迷い込んで“世界から忘れ去られる人”が出る、ということですか」
「口惜しいがそういう事だ。だから一刻も早く、オルクスを殲滅して東京に平和を取り戻さなくてはならない。パンデモニウムの攻略、それに先だってのリーパーの討伐はその『第一歩』だ。
あの白羽という少女だけではない。救うべきは東京に住む全ての人々なのだよ」
所長から強い決意の感情が出ていた。それを果たすためならば自分の全てを賭してもいいと、何よりも雄弁に物語っていた。
…そうだよ。それを手伝うために、僕らはここにいるんだ。
--ボクらにしか出来ないことなんだから、やるっきゃないよね。
ああ、そうだな。
そのために、出来ることから進めないとな。
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