第二十八幕:瞬と悠と遙
「うわあああああっ!」
自分の絶叫で、目が覚めた。
思わず飛び起きて、周囲を見回す。そこはあの日の新宿ではなく、パレスの事務所棟三階の、すっかり見慣れた自分の部屋のベッドの上だった。
ベッド脇の姿見を覗いて思わず顔を確認する。これもいつもの、ボサボサ頭に無精髭の自分の顔だ。ただし、鏡の中のその顔は驚愕に歪んでいた。顔じゅう汗だくで、シャツもびっしょり濡れている。
時計は午前6時を指していた。
鳴り始めたベルを、手を伸ばして止めた。
なんだ……夢か。
クソ、よりにもよって最悪な夢を見ちまった。
…この夢見るのは久々だよね。
--しばらく見なくなってたもんね。
頭の中に聞こえてくるのは、聞き慣れた悠とハルカの声だ。
ああ、悪い。お前たちにも思い出したくないもんを見せちまったな。
--ううん、気にしないでいいよ瞬兄。あの時ああしてくれたから、ボクと悠兄は瞬兄の中で生きていられるんだしさ。
…そうだね。兄さんの中で生き延びられたから、僕だってMuse!と出逢えたんだし。
あれが良かったのか悪かったのかは、今となってもまだ判断つかねえんだけどな。
…きっと、良かったんだよ。あれがあったからこそ今の生活があるんだし。
--うん。ボクも良かったんだと思う。ボクらが生まれてきた意味って、多分今のこの状況なんだと思うしさ。
そっか。お前たちがそう言ってくれるなら、そうなんだろうな。
腹掛け代わりにしているバスタオルをどかし、ベッドから降りる。そのままシャツとトランクスを脱いで洗濯カゴに放り込み、バスルームに入る。
蛇口をひねって冷水のシャワーを頭から浴びた。火照った身体を、頭を、とにかく冷やしたかった。
今日から、MUSEは新宿の探査に入る。
だからこんな夢を見たんだろう。もう1年近く、見なくなっていた夢を。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
悠とハルカはもともと、双子の兄妹だった。俺とは3歳違いになる。
最初、双子だと判明する前、両親は男の子と女の子のどちらが産まれてもいいように、『悠』という字を名前に選んだ。
男の子なら、悠。
女の子なら、悠。
母親の妊娠が進むにつれ、お腹の子が男女の一卵生双生児だと分かり、それで女の子の方は字を変えて『遙』になった。
瞬と、悠と、遙。
俺たちは3人兄妹だ。
だが、母の臨月の時に異変が起きた。
お腹の中の女の子だけが、突如として消えてしまったのだ。
ちょうどその少し前、母親がインフルエンザに罹って入院する騒ぎがあった。一時は重体に陥り、妊婦ということで母子ともに心配されたが、幸い快復して流産には至らなかった。
なのに、お腹の赤ん坊はなぜかひとり居なくなってしまった。流産でも死産でもなく、存在そのものが忽然と、消えてしまったのだ。
医者がいくら検査しても、女の子が消えた理由は分からなかった。両親はひどく悲しんでいたが、そのうち諦め、俺にも諦めるように言い含めた。
まだ3歳だった俺は、何が起きているかよく分からず、ただ、産まれてくる子がふたりではなくひとりだけだというのを理解するに留まった。
俺が中学3年の時のことだった。
小学6年生になっていた悠が、自分の“中”に女の子がいる、と俺にこっそり打ち明けてきたのだ。
その子の名前が『ハルカ』だ、と悠は言った。
もちろんその名前には聞き憶えがあった。
そして、俺以上にハルカ自身が当時の状況をよく記憶していた。
ハルカは、危険な状況に陥った母親と兄を救うために、自分の身体を悠に明け渡して自ら進んで犠牲になった、と言った。そして代わりに、自我だけの存在になって悠の身体に間借りしている、とも。
間借りというか、もしもハルカの言うことが本当なら、悠の身体は本来ハルカの身体ということになる。言われてみれば、確かに外見上は悠は男の子だったが、6年生に上がった頃から妙に女性的というか、中性的な雰囲気を纏うことが多くなっていた。
その後、悠が中学に上がって本格的に第二次性徴を迎える頃には、服を着替えるだけで性別が分からなくなるほどになっていた。
両親には、悠もハルカも本当の事を打ち明けなかった。ふたりは俺にだけ秘密を明かした事になる。
なぜ明かさないのか聞いたら、ただでさえ不思議な産まれ方をしてきたのに、こんな話をいきなり話して信じてもらえるとは思えない。化け物みたいに思われたら辛いから。と、ふたりは口を揃えてそう言った。
じゃあなぜ俺には話したのか聞くと、それでも誰かに知っていて欲しかった、両親に話せないなら瞬兄ちゃんしか話せる人が居ないから、と言う。
今思えば俺自身もまだ子供だった。そうした秘密を共有すること、世界で唯一自分だけが頼られたという特別感、そういったものに酔っていたのかも知れない。だから、ふたりの秘密を守ると約束した。
悠は中学から高校に上がり、その前後で人格だけでなく性別も入れ替えられるようになっていった。普段は男の子の悠として生活し、ハルカが外に出たい時だけは女の子の『遙』になった。
悠の勉強机の、一番下の引き出しの奥に隠した小さな箱の中に、いつも『遙』の下着が何着か隠されていた。『遙』は悠のままそれを隠し持って家を出て、駅やデパートのトイレで『遙』に変わる。そうして好きなところに遊びに行くのだ。
もともと中性的な容姿だったから、ウイッグでも付ければそれだけで『遙』は女子トイレにも怪しまれずに入ることができた。
ただし遙には一緒に遊びに行けるような友達はいないので、お供するのは決まって俺だった。女を連れ歩いているのを友人に見られてからかわれるのが面倒だったので、遙と出掛ける時はなるべく近所を避けて、主に新宿や渋谷、池袋あたりまで出ることが多かった。
ハルカは胎児の頃からの記憶を完全に保持していたし、人の感情を色として感知する能力も、元はハルカに備わっていたものだ。
他にも、ハルカは色々と不思議な能力を持っていた。詳しくは調べてないし分からないけど、いわゆる超能力者というやつなんだろう。本人の話によれば胎児の頃から持っている能力だそうで、悠に身体を明け渡して異心同体になったのも、その力によるものだという。
一方の悠の方はハルカに比べると能力が低く、ハルカの力を借りなければそういった特別な力は使えないようだった。そして俺に至っては、基本的にハルカの能力の恩恵を受ける専門で、自分から発揮できる能力は皆無だった。
もしかすると、俺があの時あのオルクスと同化したのも、悠がオルクスと同化しても自我を保っていられたのも、ハルカの能力の一端なのかも知れない。
まあ分からないけど。でもふたりが無事でいてくれるなら、そんなの些細なことだ。
そして今ハルカの能力は、悠の自我と、ハルカの自我とともに俺の“中”に在る。
このことは、俺たち3人だけの、秘密だ。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
少し冷水を浴びすぎて身体が冷えてきた。一度温水に変えて身体を温め、手早く汗を流して風呂から上がる。
身体を拭き、服を着て、部屋を出て寮棟のリビングに向かう。
ハルカは、俺の“中”に入ってからは外に出てくることはなくなった。遊びに行きたくないのか、と聞いた事があるが、遊びには行きたいけど瞬兄の身体は女の子になれないし、ただの女装にしかならないからヤダ、とすげなく断られた。
確かに、俺も変質者扱いされるのは御免だ。
「マスター、おはようございます」
リビングに降りるとミオがいた。いつも通りのトレーニングウエア姿だった。
「今日も行くんだろ?一緒に下、降りようか」
「はい、お願いします」
セキュリティを解除して、街へ出ていく彼女を見送る。
それと入れ替わるようにナユタさんが出社してきた。今回の休みは体調を崩さずに済んだようで何よりだ。
「おはようございます。毎朝ミオちゃんに付き合うの、大変ですね」
「いやあ、まあ仕方ないですよ。一緒に走れって言われないだけ、まだマシです」
「ふふ。そうかも知れませんね。
ところで……今日の予定、聞いてますか?」
急に真剣な顔になってナユタさんが聞いてくる。
なるほど、すでに彼女も知ってるわけか。
「ええと、特殊ミッションがある、というのは所長から聞いてます」
「桝田さんにとっても、figuraの皆さんにとっても初めての任務になります。だから、くれぐれも気をつけて下さいね」
んー。あまり知っている風だと逆に怪しいだろうな。
「詳しい話はまだ何も聞いてませんけど、どんなミッションでもみんなが一緒なら多分大丈夫ですよ。じゃ、俺は一旦上に戻ってますんで」
「……そうですね。ではまた後ほど」
話の切り上げ方がちょっとまずかったかな。ナユタさんから少しだけ疑念の感情が出ている。けどまあ、特には追及されなかったからいいか。
正直に言えば気が重い。まだ心の準備が出来てないし、出来ることならスルーしてしまいたい。
けれど、そういう訳にもいかないのもよく理解している。腹を括るしかないというのも。
--大丈夫だよ。ボクら3人なら何とかなるって。
…そうそう。それに、あの子たちも付いててくれるしさ。
ま、そうだな。
何としても俺たちで、あの子たちを無事に連れ帰って来ないとな。
リビングの方からは、何人かの話し声が聞こえてくる。
彼女たちはまだ、何も知らない。
いつもお読み頂きありがとうございます。
次回更新は30日です。
【新宿伏魔殿ー前夜】編は今回で完結です。長い長い、1日の話でした。
次回からは【新宿伏魔殿ー突入】編です。まだ何話かかるか決まっていません(爆)。多分、長くなると思います。
気長にお付き合い頂ければ幸いです。
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