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その感情には“色”がある  作者: 杜野秋人
【新宿伏魔殿ーパンデモニウムー前夜】
147/185

第二十七幕:2020年6月、新宿(2)【R15】

【注意】

前回に引き続きR15回です。

残虐描写はありませんが、グロテスク表現があります。




「ハルカ!おい、聞こえるか!聞こえてるなら返事しろ!」


 俺は必死に、悠の中の(・・)もうひとり(・・・・・)に声をかける。

 悠の中には、悠が生まれた時からずっと、妹が(・・)()()ている(・・・)


『瞬(にい)、ボクはまだ無事だよ。——でも、悠兄がもうダメっぽい』


 血と呻き声しか吐かなかった悠の口が流暢な、そして穏やかな女性の声(・・・・)を発する。その声は落ち着いてはいるものの、覚悟を決めたようにも聞こえた。


「諦めんな!お前の力で何とかなるだろ!?」

『ううん。ボクが悠兄を助けられるのは一度きりだよ。産まれる前、ボクの身体を悠兄にあげちゃったから、もうそれでおしまい。

だから今回はボクにもどうにもできないよ。もうコイツと同化が始まってるから、ボクも悠兄ももうすぐ消えちゃうかも。だから瞬兄だけでも、逃げて』

「見捨てられるか馬鹿!お前たちはたったひとり(・・・)()()の弟と妹なんだぞ!」


『——ありがとう、瞬兄。でもボクだって、瞬兄に死んで欲しくないから。だから、早く逃げて』

「う……が……、兄さ……!」


 ひとつの口がふたつの声を上げる。

 ひとつは悠、ひとつはハルカ。


「ふっざけんな馬鹿野郎!」


 もはや自分でも怒っているのか、悲しんでいるのか分からない。噛み潰そうとしてくる上下の歯を渾身の力で押し止めながら、もう一段と左手を伸ばして悠の口の中に指先を突っ込んだ。

 もうこうなったら、力尽くででも引っ張り出してやる!


 その時、悠が身じろぎした。

 その拍子に口が閉じ、俺の指を強かに噛む。


「あ痛って!」


 思わず声を上げたが、噛んだということはまだ悠自身に生き延びる意思があるということだ。

 だったら、諦める訳にはいかない。


「くっ……!引っ張り出すぞ、痛いだろうが我慢しろ悠!」


 そう声をかけて、渾身の力を左手に込めた。

 というか、さっきからすでに自分でも有り得ないほどの力を全身から振り絞っている。これが火事場の馬鹿力というやつか。


 悠の身体が、少しだけこちらに動いた。

 よし、このまま外まで引っ張り出せれば……!


 悠が再び顎に力を込める。噛み千切らんばかりの物凄い力だった。

 その余りの痛さに、思わず振り払って左手を引き抜いてしまった。だがその時、小指だけが悠の口の中に引っかかった。


 ゴキ、バキ、ぐちゅっ。


「ぐああっ……!」


 小指の肉も骨も噛み潰される嫌な感触。

 そしてそのまま引きちぎられる激痛。

 次の瞬間には左手の小指は半分無くなっていて、そこから鮮血が噴き出していた。


 悠の顎を無理やり振りほどき、小指を噛み千切られたことでバランスを崩した。ほぼ同時に右足で踏んで押さえていた“舌”が暴れて、俺は口の外に追い出された。


『瞬兄!ごめんね、ありがとう!どうか、生き』


 ハルカの声を遮るように、ソイツが口を閉じる。

 それを最期にそれっきり、何の声も聞こえなく、なった。



 嘘だ。

 嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ!


 ヤロウ、よくも悠とハルカを喰いやがったな!テメエだけは絶対赦さねえ!


 ソイツは、ふたりを喰っただけでは飽きたらず、俺までも喰おうとしているようだった。

 逃げようともせず、歯を噛み鳴らしてにじり寄ってくる。


 ああいいぜ上等だ!

 こっちだって逃がすつもりなんざ無え!


 周囲を見回すと、足元に、根本から折れた道路標識が転がっていたからそれを拾って身構える。思ったよりも重かったが、むしろこれぐらい重くないとダメージなんて与えられそうもないから、丁度よかった。


「いいぜ、来いよ大口野郎!ぶっ殺してやる!」


 その声が聞こえたのか、ソイツは大きな口を開けて飛びかかってきた。それを渾身の力で飛び上がって躱す。何もない空間を虚しく噛み砕いた、その閉じた顎をめがけ、折れた標識の支柱の根元を下にして、真上から思い切り串刺しにした。

 さらに支柱の上端を掴んで力任せに押す。標識に足をかけ、全体重も乗せた。

 標識は、意外と簡単にソイツの体を貫通した。硬いものに当たった感触があったのも構わず押し込んだから、おそらく路面のアスファルトまで到達したはずだ。


 奴はしばらくジタバタしていたが、それ以上身動きが取れそうにないのを確認して地上に飛び降りる。自分でも驚いたが、標識はアスファルトをも貫通したようで、ソイツを路面に縫い付けていた。

 さて、コイツをどうしてくれようか。


 少し考えて、悠と同じ目に遭わせてやることに、した。


 標識は根元までずっぽりと刺さっていて、ソイツは口を開くこともままならない様子だった。だから近寄って、その尖った上顎の先を掴んでみた。

 妙に弾力のある、不思議な感触だった。


 そこに目一杯口を開けて、ガブリと噛みついた。

 初めて味わう感触だった。少なくとも確実に()()()なかった(・・・・)

 だけど構うもんか。何なのかも分からないそれに上下の顎で力一杯噛みついて、力任せに引きちぎった。


ギ……ガ……ギ……!


 初めて鳴き声らしきものが出る。

 いっちょ前に苦痛を感じているのだろうか。


 知ったことか。

 オマエも喰われる痛みと恐怖を存分に味わえ。


 口に含んだそれを、噛めないまでも噛みしだき、無理矢理に飲み込む。

 味は無かった。

 その代わり、誰かの感情が流れ込んできた。


“痛い!”

“嫌、助けて!”

“喰うな!俺を喰うな!”


 美味いとも不味いとも感じなかった。

 嫌悪感も無かった。

 ただ、食べてはいけないものだと感じた。


 それでも、二口目を口にしていた。



 ひたすら、無言で貪り続けた。

 いつしか、ソイツは動きを止めていた。




  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆




--兄貴、瞬兄!


 どれほど時間が経ったのか。

 分からない。なにも。

 誰かが、頭の中で叫んでいる。

 うるさい。邪魔するな。


…兄さん!僕だよ!僕とハルカだよ!


 あ?誰だって?


--瞬兄ってば!正気に戻りなよ!


 かろうじて聞き憶えが、あった。

 誰の声だ?

 よく知っている声のような、気がする。

 というか、今何をしていた、俺は?



 目の前には、不自然に歩道のアスファルトに突き刺さった道路標識。

 それが、瓦礫と化した街の中で、まるで墓標のように立っていた。


 それ以外には、何も無かった。


 すぐ横の、ビルのエントランスのガラス張りのヒビ割れた窓に、ナニカの姿が映っているのが目に入る。

 紫色の筋が無数に浮き出た真っ赤な肌の、紫色の目をした、口も手も目も足も異様に肥大化した、人ではない、ナニカ。


 それが自分の姿だということに気付くまで、しばらくかかった。






いつもお読み頂きありがとうございます。

次回更新は25日です。

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