第二十五幕:ユウの告白
「実は私、その、マスターの秘密を聞いてしまったんです……」
「うん、知ってる」
「えっ?」
ユウにとっては予想外の返事だったろう。おそらく、バレてない前提での告白だったんだろうし。
「あの時さ、ホスピタルで所長にだけ打ち明けた俺の秘密、ドアの外で聞いてただろ?」
そう言ってやると、ただでさえ大きく潤んでいる彼女の瞳がさらに大きく見開かれ、揺れた。
巡回中にオルクス⸺イビルアイに襲われて死にかけたあの日、ホスピタルで目覚めてから、ナユタさんの会話モニタリングすら切ってもらって所長にだけ打ち明けた自分の秘密。あの時、息を殺して聞き耳を立てている感情がひとつ、ドアの外でずっと立ち止まっているのは視えていた。
最初はサキか誰かとも思ったけど、それがドアから離れたのは所長が退室する直前で、出て行く所長の感情は何かに気付いた様子もなかった。ということは、聞いていたのはすぐ向かいの病室にいたはずのユウだということになる。彼女なら、自分の病室に逃げ込んでしまえば所長に見つからずに済むから。
「…………知ってたんですか」
「俺が視える“感情”はさ、目で見てるわけじゃないんだ。だから視界が遮られてても関係ないし、一定距離なら見えてなくても視ようと思えば視えるんだ。
だからあの時、ユウがドアの外に戻ってきてるのも視えていたんだ。だから所長にそれとなく外を確認するように言ったんだけど、あの人気付かずに確かめもしないで『問題ない』って言っちゃったからね。
もっとハッキリ告げて君をドアから遠ざけても良かったんだけど、そこまでして無理に隠してもかえって疑念を持たれるだけだと思ってさ。それで、もうそれ以上は何もしなかった。ドアの前で聞き耳を立てたところで、もしかしたら結局聞こえないで終わるかも知れなかったしな」
「知っていた上で、どうして今まで何も言わなかったんですか?」
「だって俺の方は何も変わらんし。それよりもユウがそれを知ってどうするか、どうしたいか、そっちの方が重要だった。
君が何かアクションするならリアクションの必要もあったけど、今まで誰にも言ってないみたいだし、実際特に何もしなかったよね。それどころか俺が退院してきた時に抱き締めて迎えてくれただろ?
今までと変わらず接してくれるのなら、それ以上何も問題ないはずだよ。そうじゃないか?」
ユウの瞳の潤みが深くなる。感情も、許されないはずの行為を望外に許してもらえたことで、安堵の色が濃くなった。
「………マスター、ありがとうございます」
「でも何で、今さら告白する気になったんだ?やっぱり気が変わった?」
「いえ。秘密を知ってしまったこと、盗み聞きしてしまったことは、やっぱり謝らないといけないと思いまして……」
「そんなの別にいいよ。黙っててくれるんなら俺はもうそれでいいし。それに今ここでこうして告白してくれたって事は、今後どこかのタイミングで俺を闇討ちするような事もしない、って宣言してくれたに等しいしね」
その一言には、さすがに驚いた様子だった。
「そんな……!私が、なぜマスターを討たなくてはならないのですか!?」
「だって全部聞いてたんだろ?俺が、君たちにとっては滅ぼすべき敵だってもう解ってるんだろ?」
オルクスと互いに食い合い、混ざり合って人ではなくなった異物。俺はもう、人類として名乗ってはいけない存在であり、オルクス殲滅を使命とする彼女たちMUSEにとっては、相容れない敵のはず。
総司令官たる涅所長が敵であろうとも利用しようとするのは戦略的観点からも合理的だけど、彼女たちがそれを受け入れるかはまた別の話のはずだ。
「そ、それは……」
「今でこそ人間のままだけど、いつか暴走するかも知れないぜ?少なくともそうならないって保証は、今の俺には出来ない」
「そんな!」
「そして、君らが俺を信頼して頼れば頼るほど、そうなった時のダメージは計り知れないはずだ。もしも本当にそうなった時、ユウが、君だけが冷徹に処断を下せるんじゃないかと、俺は思ってる。
——まあ、思い違いなら申し訳ないけど」
「…………っ」
ハクが昏睡してからリンがfiguraになるまで、ユウは半年以上も独りぼっちだった。それはつまり、彼女もまたハクと同じように独りで戦い、全て片付けてきたということに他ならない。
そしてユウがfiguraになり、さらにリンが続いたということは、その前後にも『霊核』に適合する少女を求めて、多くの試行錯誤が行われたと考えるべきだろう。
今存在する通り、『霊核』は最低でも9つある。ユウの当時からそれが全部あったのかは分からないけど、こんな謎の物体が逐次発見されるというのもおかしな話だし、全てまとまって出現したと考える方が自然だ。そして。
——おめでとう。これで君も立派な“人形”だ。
所長、涅司令があの時『マイ』にかけた言葉が脳裏をよぎる。わざわざ「おめでとう」と加えたのは、『霊核』を挿し込んでもそれに適合しなかった少女たちがいたことを示唆している。だけどマイはその試練を乗り越えた。だからこその言葉なんじゃないのか。
もしもそんな少女たちが本当にいたとして、何人いるかも分からないけど、その子たちはどうなったのか。あまり想像したくはないけれどfiguraとオルクスの性質がほぼ同じである以上、『霊核』との適合に失敗した少女たちは、みんなオルクスに堕ちたんじゃないのか。
仮定に仮定を重ねた推論でしかないけれど、時折ユウから漂う真っ黒な感情や、胸の内に多くの秘密を抱えていると言った所長の言葉、そのあたりから考えてもそう大きく外してはいないように思う。そうした“仲間たち”を全てユウが処断してきたのだとすれば、彼女が他のfiguraたちに引け目を感じて、距離を取ろうとするのも当然の話だろう。
そんな彼女に、今再び「仲間を討て」と告げることの残酷さは充分解っているつもりだ。だが、こればかりは他の子には頼めない。きっと彼女にしかできない事だろうし、彼女も他の子にさせるつもりはないだろう。
「もし、この先、本当にマスターがそうなってしまった時は……。その時は、私が責任を持ってマスターをお止めいたします。秘密を知る者として、確かに私にしか出来ないことでしょうから」
決意の感情を湛え、俺の目を真っ直ぐ見据えて、ユウがはっきりと断言する。
動揺も葛藤も消化しきれていないのに、即座にそう断言できるあたり、やはり彼女はそうなんだろう。
「……うん。ありがとうな。
まあ俺もそんな事にはなりたくないから、可能な限り回避には努めるけどさ。もしも万が一そうなったら、その時は……頼むな」
「はい、お任せ下さい」
「…………ごめんな。こんな事、背負わせずに済むならそれが一番なんだけど」
「いえ、これも私の“罪”だと思えば…………あっ、いえ、何でもありません……」
あー、やっぱり色々重たいモノ抱え込んでるっぽいな。くっそ、こういう予想は当たって欲しくないんだけどなあ。
そのままハーブティーを味わいながら少し雑談をして、ユウの感情が落ち着いたのを見計らってから部屋を後にする。彼女の闇を晴らすことはまだ出来ないけれど、今後は少し注意して様子を見るようにしよう。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ユウの部屋を出て、廊下の端にある階段から直接ダイニングへと降りた。
寮棟の三階と四階、つまり彼女たちの部屋からはエレベーターのほか、ダイニングに直通する階段が備わっている。普段の彼女たちはこの階段で、二階のリビングやダイニング、バスルームなどの共有スペースと自分たちの部屋の行き来をしているわけだ。
ダイニングと隣接するリビングにはもう誰もおらず電気も消されていた。廊下の向こうのバスルームとランドリーには明かりが見えるから、多分誰かが入浴してるんだろう。ランドリーはきっとハルだな。
リビングの壁掛け時計を見るともう8時半を回っている。注入自体はそれほど時間はかからないけれど、今日はユウと色々話したから時間が経ってしまっている。
明日からはいよいよ特別ミッション、失われた新宿の探索が始まる。そのために万全の準備は済ませた……とは言い難いけれど、思いつく最低限のことはやれたと思いたい。
彼女たちは、初めて新宿に足を踏み入れる事になる。俺にとっても3年ぶりだ。
「何事もなく、無事に終えられればいいけど……」
リビングの窓から外を見る。夜中でも灯りのなくならない街の中、パレスの裏手の森の木々が揺れているのが分かる。真っ暗な森は、そこだけ闇がひしめいているようにも見えた。
「…………さ、もう寝るか」
真夏なのに襲ってきた悪寒を敢えて無視するようにそう独りごちて、俺は事務所棟三階の自室へ続く渡り廊下に足を向けた。
いつもお読み頂きありがとうございます。
次回更新は15日です。
ユウに盗み聞きされた話ってのは、【オールナイトダンス】の第十幕と第十一幕です。主人公である悠が、所長に初めて秘密を打ち明けたその話を、彼女は廊下で聞いていたわけです。
“前夜”はあと三幕で終わります。
三話かけて、悠の秘密の、さらに深いところを描く回想シーンになります。お楽しみに。




