第二十四幕:アフェクトス注入⸺ユウ
足取り軽く帰ってゆくマイを見送って、もう一本タバコを吸い直したあと、事務所でキーボックスを確認する。正面玄関のシューズボックスに所長の靴がないことも確認してガレージ、裏口、中庭、倉庫と異常がないか見て回り、何もないのを確かめてからセキュリティをセットしてリビングに戻った。
リビングではハルとサキがTVを見ていて、ユウが自分で淹れたハーブティーをレイと味わいながら読書していた。時刻はもうすぐ夜8時というところで、まだ消灯するような時間ではないけれど。
「明日からまた通常業務に戻るんだから、TVはほどほどにしときなよ。お風呂入ってなかったり、洗濯物溜まってたりしてないか?そういうの、今のうちに片付けときなよ」
本当は明日からは通常業務ではないけれど、それを今言うことは出来ない。
言えない以上は、こう言うしかないわけで。
「あ、そっか。ハルお洗濯しとこうかな」
「そうやって上手く誘導して、ランドリーを覗く算段なんじゃないでしょうね?」
「んなわけあるか。被害妄想もはなはだしいぞサキ!」
いつも通りのサキとの三文漫才に、ハルが楽しそうに笑う。
「相変わらずマスターとサキは仲がいいわね。私はそろそろ、部屋に戻ることにするわ。おやすみ、マスター」
「うん、おやすみレイ。仲がいいかはサキに聞いてくれ」
「なっ、なんで私に答えさせようとするんですかマスター!」
「いやだって、何度か抱きつき攻撃食らってますし?」
「いっ、1回だけでしょう!勝手に増やさないで下さい!」
ほほーん。あの1回は認めちゃうんだ~。
「ユウ、今からアフェクトスの注入しようと思うんだけど、どう?」
部屋に引き上げるサキやレイ、ランドリーに行くハルたちを見送りながら、使ったカップを洗いにキッチンに下りるユウに声をかけた。
「私ですか?それは構いませんけど、ハルちゃんやアキさんたちがまだなんじゃありませんか?」
「そうなんだけどさ、ひとまずリーダー3人の鍵を先に確保しとこうと思ってさ。レイには午後に注入して、リンのはこないだの火曜日ぐらいに確保したから、あとはユウだけなんだよね」
「そうですか……分かりました。私の部屋に来られますか?」
「うん。そうしようか」
「では、先に洗い物だけ済ませてしまいますね」
手早く洗い物に取り掛かるユウをしばし待ってから、女子寮三階の彼女の部屋にふたりで移動した。
彼女は、何故自分なのかを少し訝しんでいるようだったけど、ひとまず表向きは何も言わなかった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「こちらです。どうぞ」
ユウの部屋は緑を基調とした、落ち着いた色合いの部屋だった。
部屋に入ってまず目立つのは、壁一面にしつらえられた本棚。そこにぎっしり新書や文庫本が納められていて、読書好きのユウらしいなと思った。
奥には右の壁に沿ってベッドがあり、それを囲むように天井から天幕が下ろされている。そのベッドの手前側にはアンティーク調の木製の、背の低い小物棚があり、それがちょうどベッドとリビングスペースとを分ける境界のように配置されている。
ベッドの向かい、クローゼット扉の脇にはシンプルで小さな化粧台。その横にはマガジンラックが置いてある。その手前、本棚の前には井草の丸いラグマットが敷いてあり、その上に藤製の低いミニテーブルといくつかの丸座布団、それに魔法瓶を載せたキャスターテーブルもある。これも小物棚と同じく木製のアンティーク調だ。
全体的に木製品が多くオーガニックな、ナチュラルな雰囲気。とてもユウらしい落ち着いた部屋だと思った。
「今日はマスターも来てくださったことですし、とっておきのお菓子、出しちゃいますね!」
…いや、遊びに来たわけじゃないからさ。
「あっ……!そ、そうでしたね……」
「まあ、それはまた今度ね。今日はとりあえずアフェクトスの注入だけだから」
そう言うと途端にユウが頬を赤らめる。前にシミュレーションルームで注入した時のことを思い出したのだろう。
「こないだは身体の奥が熱いと言ってたよね。それ以外に何か変調はあった?」
「いえ、大丈夫でしたよ。ですので多分、今日も問題ないと思います」
「そっか。じゃあ早速、始めようか」
いかにも美人って感じのレイほどではないけど、ユウもこれでなかなかのゆるふわ系美人だ。年齢も18歳だし、一昔前なら犯罪チックだったけど今はセーフだ。いや間違っても手は出さんけど。
それに何より目のやり場に困る。しかも彼女自身がまるで自覚してなさそうなのがまた始末に負えない。こうしてふたりきりになると、やはりアラサー男子には色々とヤバいことになりそうな気しかしない。
なのでユウもレイと同様、さっさと注入してとっとと退散するに限る。ってか年長組にアフェクトス注入する時はシミュレーションルームでやった方がむしろ安全かも知れないな。
右手で鍵を作る。レイの部屋とは違って、この部屋には黄喜のアフェクトスが充ちている。
向かい合って立つユウが胸の前で掌を組んで、わずかに胸を反らして目を閉じた。その胸に鈍く光る『霊核』の鍵穴が浮かび上がる。
「じゃあ、いくよ」
一言断ってから、鍵穴に鍵を挿し込んだ。
回すと同時に、鍵が黄色く染まる。部屋に充ちたアフェクトスが流れ込んでいく。
「やっ……!」
前回と同じく、艶やかな声を漏らしてユウが悶える。
注入するとみんな悶えるけど、やはりユウはひときわ色っぽくてエロい。多分、本人が意識してやってるのではないとは思うけど、やっぱりちょっと男性の身としては色々と刺激が強い。
「うぅん……ああ……っ、ん……っ!
はぁ……はぁ……。……あっ!ん、んんっ……!」
ひたすら無心を心がけつつ、レベル4相当と思われる量まで注入を続ける。
注入時間が前回より長くなったので、彼女の息づかいもより乱れてくる。そうなるとさらにエロい。
…いや、やましい気持ちは別にないよ?下手に反応しないように、努めて無心でやってるからね?
--って、誰に何を断ってんのさ。
だいたいの所で目処をつけて鍵を抜くと、ユウがうっすらと目を開けて、それからほっとしたように大きく息を吐き出した。
「終わった、みたいですね……」
やはり彼女も顔がすっかり紅潮している。呼吸も乱れたままで、額には玉のような汗が浮いていた。
「うん、お疲れさま。具合はどう?」
「やっぱり、身体の奥が熱いです……」
「やっぱりそうか。まあ、少し休めば落ち着くと思うけど」
思った通り、ユウの『霊核』の鍵穴の上にも光が集まりはじめ、やがて鍵の形にまとまる。
これでユウにも『記憶の鍵』が発現した。
「これが、私の……。マイさんのものとは、色も形も違いますね……」
「うん、これは全員バラバラなんじゃないかな。推測だけど多分、みんなの『記憶』はひとりひとり違うから、鍵も唯一無二のものになるって事じゃないかな。
⸺まあ、とりあえず座ろうか。少し休んだ方がいいぞ」
そう言いながら促して座布団に座らせ、自分も腰を下ろした。長居するのはマズいけど、それでも落ち着くまでは傍にいた方がいいだろう。注入する側の責任ってものもあるし。
ユウはハンカチで額の汗を拭うとポットを引き寄せ、その横の小さな食器棚からカップとティーポットを出してお茶の準備を始める。
「ああ、いいよ。落ち着いたらすぐおいとまするから。鍵を使うのは、また今度にしよう」
「いえ、私が、少し……お話があるのです」
何の話があるのかは、まあ大体は想像がつく。彼女の感情も、秘密を告白する時のそれになっているし。
ユウは無言でハーブティーを準備する。俺も余計な事は言うべきでないと感じたので、無言でそれを待つ。
「どうぞ。とっておきのカモミールのハーブティーです。少しだけラベンダーを加えてありますから、今夜はリラックスしてぐっすり眠れると思います」
「ありがとう。……で、話って?」
少しだけ、緊張の感情。
それと、申し訳なさと決意の感情も。
これはますます、懺悔の告白みたいな雰囲気になってきた。
「実は私、その、マスターの秘密を聞いてしまったんです……」
そうして申し訳なさそうに、彼女は話し始めた。
いつもお読み頂きありがとうございます。
次回更新は10日です。
【余談】
すっかりお忘れかと思いますが、サキがマスターに抱きついた話は、【オールナイトダンス】の第六幕です。
いや、だからどうしたって話ですが(笑)。




