第二十二幕:藍紫色の絶望
左手を床について、身体ごとミオの方に向き直った。きちんと正面から、彼女の顔を見て話すべきだろう。
「それは時間かけるしかないんじゃないかな。今ここですぐに変われるものでもないだろうし、今日明日に答えを出さなきゃダメなわけでもない。
どうなれば『強い』のかなんて、誰にも分からねえよそんなの。自分なりに考えて一生懸命努力して、ある日気付いたらそうなってるというか、人に言われて初めて気付くようなことなんだから」
手で顔を覆ったままのミオの、入り乱れた感情の中に、“絶望”の藍紫色が混じる。
ターコイズブルーより少し暗い青緑色で、シアンとは本来この色のことを指す。そして何回見ても印象的に納得いかないけど、これは“絶望”の色だ。まあ“自信”が明るめの緑青色だから、その裏返しってことかな。
それはそれとして、まあ待ちなさいよ。分からないと言われたからって、そう落ち込むんじゃない。
「少なくとも俺は自分の心を強いとは思わない。腹減ったら夜中でもついラーメン食っちまうし、怖かったらすぐ逃げたくなるし。
ただ、自分の中で『これだけは絶対譲れない』ってものがあって、それが懸かった時にだけは何があっても絶対逃げちゃいけない、引いちゃダメだ。そう思ってる」
「これだけは、絶対譲れない、もの……」
顔を覆っていた手をやや離し、俯いて視線を落としたまま、ミオが呟く。
「多分、ミオにもあるんじゃないか?もしも、それすらも見捨てて逃げるようなら君の心は弱いんだろう。でも、俺にはそうは見えない。ミオは、君の心は、ちゃんと強いよ」
「マスター……」
「君は、自分の心を自分でコントロール出来ないから自分を弱いと思ってるんじゃないか?でもそれはちょっと違うと思う。さっきも言ったように、心ってのは自分のものなのに自分じゃどうする事も出来ないんだ。だったら時間かけて向き合うしかねえだろ」
「そう、ですね……」
「悪いね、ロクなアドバイスもしてやれなくて。でも結局のところ、ミオの心の問題なんだから君が自分でケリをつけるしかないんだ。
人に言われた事は結局、知識としては身に付いても本当の意味で『理解した』事にはならない。だから本当に理解するためには、自分で考えて感じて自分で導き出すしかないんだ。
でも迷ったら、いつでも相談してくれていいから。話を聞くぐらいなら俺にも出来るからさ」
少しずつ、ミオの感情も落ち着いてきた。納得はしないまでも、何かしら思うところがあったのだろう。
顔からどかした手を、ついた膝の上で握りしめる彼女は、まだ俯いたまま。だけどもう、肩の震えは止まっていた。
「ありがとう、ございます。自分では、まだ答えを出せそうにはありません。ですが、もっとよく考えてみたいと思います」
やがて顔を上げた彼女は、まだ弱々しい声で、それでもはっきりとそう答えた。
彼女はまだ迷ってる。
だが、その迷いは少しだけ、前を向いたように感じられた。
特に何が解決したって訳でもないけど。でも、ひとまずは、大丈夫そうかな。
たくさん悩んで、たくさん考えたらいい。この子たちの年頃ならそれが普通だと思うし、そうして人は成長していくものだと思うから。
そろそろ夕飯だからと言い置いて、ひとり先にリビングに戻った。もし降りてこなければ、あとでユウにでも部屋に持って行ってもらえばいい。
けど夕食にはミオもきちんと顔を出した。一見して、すっかり平静を取り戻しているように見える。だから、俺も特に何も話しかけたりはしなかった。
そんな俺たちの様子を見て、ユウも何も言わなかった。ただ、俺とミオを交互に見てオロオロしているマイに「心配しなくても、もう大丈夫ですよ」と、そう囁いていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「マスター。あの、ちょっとお話、いいですか」
夕食のあと、中庭の喫煙所で煙草を吸っているとマイがやってきた。
多分、来るだろうと思っていた。来なければこっちから行くつもりだったし。
「いいよ。話してごらん」
煙草を消しつつマイに向き直る。
「あっ!た、タバコの邪魔してごめんなさい!」
「いやそれはいいけど。何か悩んでるんだろ?話してごらん」
「はい。あの……私、どうしたらミオさんの足を引っ張らないで済むようになりますか?」
ああ、やっぱり。
分からないなりに、この子も責任を感じてしまっているんだな。
「昼も言ったけど、ミオが今悩んでるのは、マイに原因がある訳じゃないよ。だから君が気にする事じゃない」
「でも、私が戦闘でも歌でも皆さんの足を引っ張ってるから、それでミオさんのことも困らせてるんじゃないかって。そう思ったらいてもたってもいられないというか……」
「ユウが言ってただろ。後輩の足りないところは先輩がカバーしてやればいいって。後輩が先輩に迷惑かけずに済むようになるのなんて一人前になるまでは無理なんだから、今すぐどうこうはできんし、今すぐ一人前になりたいってのは物理的に無理なんだから、気にしたって仕方ないぞ」
「でも、それでも私、ミオさんに迷惑かけたくありません」
マイの意志は、思いのほか固かった。
だけど、それは——
「じゃあ、Muse!を辞めるしかないな」
「えっ!?」
「だってそうだろ。これ以上迷惑かけたくない、今すぐ足手まといを卒業したいって言うんなら、もう辞めるしかない。今すぐ一人前になるのは無理だし、一人前にならないまま迷惑かけないようになるのも無理だから。だったら、辞めるしかない」
「えと、その、そういう事じゃなくて……」
「後輩とか新人ってのは先輩に迷惑かける生き物なんだよ。迷惑かけたくない、ってのはお前の単なるワガママだ」
敢えて強い口調で言ってやる。この子にはこの対応で、正しいはず。
マイの全身から、“絶望”の藍紫色が溢れだす。おっ、珍しいな。さっきミオが出してた色とほぼ同じだ。普通は人によって感情の度合いなんかで微妙に色が変わるものだけど。
ただまあ、これで突き放して終わるわけにいかないのもミオと同じだ。
「そ、そんな……」
「ミオもユウも、そんな事一度も言ったことないはずだぞ。ユウはともかく、ミオだって新人の頃に迷惑かけた時期があるはずなんだから、そんな事でお前を邪険にしたりしねえよ」
まあミオの場合は、アイドルとしての話ではなくて、figuraとしての話になるけれど。
「……」
「ミオが今悩んでるのは、マイや俺が加入するずっと前の話なんだ。それを自分の中で消化しきれなくて苦しんでるだけなんだ。だからマイのせいじゃない。君が気にする事じゃないんだよ」
マイから漂う、困惑と迷いの感情。
納得いかないって顔してんな。
「昼に俺がミオに言ったのはね、彼女が自分でも気付かないまま、マイのことを自分に都合のいいサポーター役に仕立て上げかけてたから言ったんだ。それじゃマイのためにならない、マイが本当の意味で一人立ち出来ないぞ、って。
そしてミオはちゃんとそれを解ってくれたよ。だからその話はもういいんだ」
シミュレーションバトルのフォーメーションがずっと一定だった理由。それはミオがマイを前衛に立たせて、後衛からマイに指示を出すことで戦場全体をコントロールしようとしていたからだ。
それは一見して、経験の足りない後輩をサポートして鍛えつつ、戦況を優位に進められる万全のやり方に見える。だけどそれだと矢面に立たされるのは決まってマイで、傷を負うのもマイだけだ。そしてミオは常に余裕たっぷりで、マイはへとへとになっていた。
あれを見て、すごく危うい関係性だと感じたんだよな。そのまま放置しておくと、マイはミオの言うことだけを信じてバトルをこなすようになるだろう。そうしていつか、マイはミオのためにその命さえ投げ出してしまいかねない。
この子たちのマスターとして、そんな未来を、彼女たちに歩ませるわけにはいかない。絶対に。
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