第一幕:栗色の笑顔
「お疲れ様です。大丈夫ですか?」
「えっ?⸺ああ、はい。大丈夫です」
陽も暮れて誰もいなくなった事務所の、与えられたマネージャー用の席でグッタリしていたら、ナユタさんが声をかけてきた。
この人まだ残ってたのか。もうそろそろ夜の8時になるんだけど。
散々な初陣からの帰投後、所長の言う通り全員でホスピタルに向かわされ、簡単にバイタルチェックと記憶や感情の確認、つまりメンタルヘルスケアを受けさせられた。オルクスとの戦闘では、たとえ無傷であろうとも何らかの精神攻撃で記憶などを奪われている恐れがあるのだという。
幸いなことに俺を含めて全員、今回は何事もなく戻ってくることができたらしい。所長は「それだけでも君の同行の成果だろうね」とか言ってたけど、多分それはなんか違うと思う。
そのあとレイが言ってた通りにシミュレーションルームで“反省会”と称した戦闘のやり直しをさせられ、さんざっぱらダメ出しを食らった。
シミュレーターでの模擬戦闘、なんか今日戦ったシチュエーションに似てんな〜と思ったら、そのものズバリ今日の戦闘の再現だと言われて驚いた。通常は実戦をナユタさんがモニターしてて全部データとして記録に残してるんだそうだ。そうして記録した戦闘データは特殊な3Dホログラムで実物に近い状態での再現が可能で、こうしてシミュレーターのデータに落とし込まれて同じシチュエーションで戦術をあれこれ試せるのだとか。
うーんなにそのハイテク技術。もしかしてこれも国家機密級のやつなんじゃ?
で、それからようやく解放されて、ああそうだ事務所のデスクの確認と整理しなきゃ、と思って来たはいいものの、疲れ果ててちょっと休憩……という建前のぐったりサボってる時にナユタさんが現れた、というわけだ。
「とっくに帰ったかと思ってました」
「はい、もう帰るところだったんですけれど、まだやっていない仕事があって」
「?」
「マネージャーの引き継ぎ、です」
あ!確かに忘れてた!
ってかそうか、前任者ってナユタさんか!
「あー、そういや、まだでしたね。
それでわざわざ戻ってきたんですか?」
「いえ、さっきまでは作戦指令室の方で仕事してました」
「いやめっちゃ残業ですやん!」
「まあそうなんですけど、霞が関の官僚に比べたらまだマシですから」
ナユタさんはそう言って苦笑した。
いやいや、比べる対象が悪すぎますよ!
「ナユタさんて、今までマスターもマネージャーもやってたんですよね?」
「マネージャーの方はそうですけれど、マスター業務の方は事実上ノータッチですよ。まともに手が回らないですし、戦闘に関しては私も素人ですから、figuraの皆さんの自主性に甘えるような形で好きにやってもらってました。
オルクスの索敵とナビゲート、消滅確認などはやってましたし、それは今後もやりますけど」
「まあ、話聞く限りじゃナユタさん完全に労働超過ですからね。とても個人の仕事量じゃないし、過労死にだけは気を付けて下さいねマジで」
「お気遣いありがとうございます。桝田さんが頑張ってくれれば私も楽になります」
うわぁ、藪蛇だった!
「うう、はい、頑張ります……」
「それでですね、マネージャー業務の引き継ぎなんですけど⸺」
業務上の連絡先、直近のスケジュール、主な活動内容、Muse!の仕事量に関する内規。そうした詳細な資料は既に手元のタブレットに送られていた。
だが色々と忙しくて、まだフォルダも開けていなかった。それを、ナユタさんに言われるままファイルを開く。
うひー、結構仕事詰まってんな。あの子たち、このスケジュールこなしながらレッスンもやって、巡回してオルクス討伐して、さらにライブまでやるのか。相当忙しいなこれ。
「短期スケジュールの管理だけでなく、彼女たちの心身の健康管理もマネージャーの業務になります。それから、現場で受けるこまごまとした営業案件はマネージャーの裁量で受けても断ってもよい事になっていますから、そちらもお任せしますね」
「えっじゃあ、プロデューサーみたいな事も?」
「そうなりますね」
…マジか。マネージャーってかほぼプロモーターじゃん、それ。
「もちろん、主たる業務はMUSEとしての街の巡回とオルクス討伐ですので、そちらに支障が出ないようお願いします」
「いやでも、アイドルとしての仕事中は……」
「ですから、全員に同時にアイドル業務を入れるようなことがなるべく無いように、ということです。最低でも二人組はオルクス対応要員として確保できるよう、スケジュール調整をお願いします」
「ああ、なるほど。そうすれば他の子たちの活動中にオルクスが出現しても、その空いてる子で現場に向かえると」
「そうです。チーム単位でなくともできれば3名、それが無理でも最低2名空いていれば出撃が可能ですので、そのように調整して下さい。ちなみに、レッスンは業務ですが扱いとしてはオフの扱いになります。いつでも中断して出撃できますから」
「分かりました」
「それと、労働基準法は必ず遵守して下さいね。特にサキちゃんとマイちゃんはまだ15歳以下なので、20時以降のアイドル業務はNGになります。レイちゃんとユウちゃん以外は18歳未満ですので22時以降がNGですね」
うう、意外とコンプライアンスしっかりしてんな……!
「まあ、芸能界は色々とあるので、違反したからといってすぐに捜査対象になるような事はないとは思いますが、私たちは仮にも国家機関ですから、上からのお叱りが来てしまうのが……」
「で、ですよね……」
「あと、現場との顔つなぎは桝田さんだけではどうにもならないので、明日から1週間は私に随行する形で『研修』という事でやっていきたいと思います。一通り現場や関係者への挨拶が済んで週間スケジュールが把握できたら、それからは桝田さんだけで頑張ってもらいますね」
「え。1週間だけ、ですか?」
そりゃちょっと厳しくないですか……?
「短いと思われるかも知れませんが、上からのお達しがそういう事になってますから、これは私や所長でもどうにもならないです。
ただ、何か困った事があればすぐ私に知らせて下さいね。出来るだけの事はしますから」
そう言われると、余計に手を煩わせるわけにいかなくなるじゃんか……。過労気味なの分かっててさらに負担かけるとか、普通に有り得ないし!
「余計な負担をかける、とか気にしなくていいですからね。これでももう1年以上はこなしてますから平気です」
「だからですよ。ぶっちゃけ俺よりもナユタさんの方が全体の要なんですから、少しでも余裕持ってもらわないと」
「ありがとうございます。⸺ふふっ、お優しいんですね」
そう言ってナユタさんは初めて笑った。
明るい栗色の瞳が細められ、艷やかな唇がふわりと柔らかく弧を描く。微笑み、という形容がこんなに似合う笑みを初めて見た気がする。
笑顔、結構可愛いな。
…じゃなくて。
「それから、桝田さんは住み込みになるので、事務所のセキュリティ管理と鍵管理もお願いしますね」
「うええ!?そうなんですか!?」
いや守衛がいるとか言ってなかった!?
「そうなんです。守衛室は基本的に領域管理だけですから、各棟の毎日の施錠管理はこちらでやることになっているんですよ」
「そ、そうなんですね……」
「はい。私や所長、あと一部の職員は個別に解除キーを持ってますけど、基本は桝田さんが朝に出入口のセキュリティを解除して、夜にセットするという形でお願いします。うっかり間違うと守衛室に通報が行っちゃうんで、注意して下さい」
「はあ、分かりました。了解です」
「セキュリティのセットの方法は……」
「あ、それはだいたい分かるんで大丈夫です」
まあ、そのあたりは昔取った杵柄というか。パネル見たら基本的な操作方法は分かるからね。
「そうなんですね。で、そのほかにも鍵が色々あるんですけど、大事なのは事務所棟の裏口と屋上、それにガレージシャッターとガレージ出入り口の鍵ですね。それらの鍵を収めるキーボックスの鍵をお渡ししておきますので、くれぐれも失くさないよう注意して下さい。
あと、外に借りてるレッスン場の施錠管理もお願いしますね」
「えっ、レッスン場ってどこにあるんですか?」
「ここから200mほど離れた雑居ビルの3階をフロアごと借り切っていて、普段は皆さんそちらでレッスンしています。基本的にはfiguraの皆さんが申請の上で各自キーボックスから鍵を持って行って、最後同じ場所に戻す形になりますが、夜遅くまでレッスンする場合もあるので、全部の鍵が毎日戻ってきているかチェックをお願いします」
「はあ。分かりました」
「ついでですから、今から案内しておきましょうね。
ちょうど駅までの途中なので」
「あ、じゃあお願いできますかね?」
「では帰り支度してきますので、少々お待ち下さい」
少し待って、ロッカーから出てきたナユタさんにキーボックスの鍵を手渡され、ボックスの中身の説明を受ける。これをしてもらっとかないと、どの鍵がどこにあるのか把握できないし。
「……あら?レッスン場、誰か使ってますね」
そう言われて見ると、確かにレッスン場の鍵だけがなかった。
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