第三幕:五種類の“アフェクトス”
“感情”は大きく分けて5色に分類される。
赤怒。
青哀。
黄喜。
緑楽。
そして紫怨。
赤青黄の3色は、いわゆる「色の三原色」というやつだ。この三原色に黒と白を加えれば、理論上全ての色を再現する事ができる。TVやタブレットなどの液晶画面のカラーの発色も、基本的にはこの5色で全てまかなわれている。
緑や紫というのは「純色」に分類される。純色とはいわゆる色の三属性、つまり明度、彩度、色相といった色の分類の中で、色相における彩度が最も高い色を言う。まあこのあたりは美術的基礎知識になってくるんだけど、ざっくり言えば、三原色体系においてはふたつの原色を同じ比率で混ぜ合わせた色が「純色」と呼ばれる。
具体的には赤と青で紫、青と黄色で緑、赤と黄色で橙。そういった色が純色になる。虹の七色を思い浮かべてもらえれば分かりやすい。藍色を除けば全て原色と純色で構成されているのが虹の色だ。
オルクスが発する感情は綺麗に5色だけ。赤、青、黄、緑、そして紫で、ほかの色は視た憶えがない。でも人間はその5色の中でさらに細分化された、様々な色の感情を発している。
これはfiguraでもそうで、それぞれの子たちが発する感情は同じ色の感情でも微妙に色相が異なる。また、シチュエーションや体調によっても発する色が違ってくる。
例えばリンの紫は、普段はバイオレットのような淡い紫色。これは今までの経験から言えば“依存”の感情の色だけど、こないだユウの胸で窒息させられた時は、普段ユウが発しているような、アメジストに似た深みのある紫を発していた。
アメジストは“妬み”の色だが、リンが発したのはユウの色とはまた微妙に違っていたから、もう少し別の感情も混じっていたはずだ。
ちなみに、どの色がどの感情なのか明確に解っているわけでもない。シチュエーションや会話の文脈などから推測して、それを積み重ねて自分で分類しているだけだ。彩度だけではなく明度も関係していて、経験上、良い感情ほど明度が上がり、悪い感情ほど明度が下がる。
だからたまに、視たこともない色を視ることもある。金色とか一度だけ視た事があるけど、あれは一体なんの感情だったのか。逆に視たことがなくても色を推測出来る感情もある。強い殺意とか恨みとかは、おそらく真っ黒に近くなるはずだ。
『感情が色として視える』とは言うものの、実際に視覚で捉えている訳でもない。感覚的に知覚しているというか、そこに“感情”があれば見なくても察知はできる。それこそ、こないだナユタさんの家にお邪魔した時みたいに、インターホン越しにだって視える。もちろん電話とかでもそう。
だからユウの胸で窒息したあの時は、意識が朦朧としつつも周りのどこに誰がいて何の色の感情を出しているか正確に把握していたし、例えば壁の向こうで聞き耳を立てられていてもある程度は知覚できる。
ただし、物理的に視界が遮られていれば、視界と併せて知覚する場合よりは把握が難しくなる。だから基本的には有視界の範囲の感情しか視ることはないし、視ようとはしない。
ついでに言えば、意識しなくても無条件・無制限に視えてしまうというわけでもない。ある程度意識して視ようとしなければ視えないものだ。ただ、普段は無意識下でも視ようとしているらしく、『視ないように』意識しなければ視えなくなることは基本的にはないけれど。
こないだ、マイにそこら中の感情を集めて注ぎ込んだ時は、感覚としては東京全域からかき集めたつもりだった。ただ実際にはどうだったろうか。自分の精神力の限界もあっただろうし、せいぜい周囲数km、といったところじゃなかっただろうか。
右手の掌を上に向けて、胸の前に持ってくると、すぐに白い鍵が現れる。『感情の鍵』と暫定的に命名した鍵だ。
この鍵に込められるのは、オルクスが発する5色だけだった。つまり、figuraの『霊核』に注入出来るのもその5色だけということになる。
5色。この数に何か意味があるのかは、分からない。鍵は今のところ3種だし、figuraたちの体内で『霊核』が代替している心臓は心房が4つだし。というか、感情の色の数よりも鍵の数と心房の数が対応してるのかも?
もしそうだとすれば、鍵も3種ではなく4種あるのかも。ただ『4つめの鍵』があるとして、それが一体何なのか、今はまだ想像もつかない。全ては推測でしかない。
「あの……マスター?」
不意にそう声をかけられて顔を上げると、ユウが怪訝そうな顔をして俺を見ていた。
そっか、夕食のあとみんなとリビングでTV見てたんだっけ。
ちょうど、小さな子供が初めてひとりでお使いに行くという、数年前に人気だった番組の特番をやっている所だった。マイが食い入るように見詰めて、ハルと一緒に応援したりハラハラしたりしながら、時々ハンカチで涙を拭いつつ夢中になっている。
「難しいお顔をして鍵を出されたりして、一体どうされたのですか?」
「ん、いや。ちょっと考え事。
鍵はまあ、無意識に出してたというか」
「あら、そうでしたか」
まあさすがに無意識には出せないけど、出そうと思って思い浮かべるだけで出せる程度には慣れてきた。ただ維持するのにはある程度の集中が必要なので、今ユウに声をかけられたことで気が逸れて消えてしまっている。
アフェクトスの注入に関しては完全に俺に一任されていて、パレス内ならいつどこで誰に注入してもよい事になっている。昨日の朝に所長室で習熟度合いを見せたため、2日に一度の制限撤廃も考えてくれるそうだ。
ただ、だからといってやり過ぎると業務に影響しかねないので、そこは自重するつもり。アフェクトスの総量も限りがあるので、誰にどれだけ入れるかは考えて行わなくてはならない。
……いや、その前にまだ考える事があるな。
この子たちの感情に、アフェクトスがどの程度の割合で影響を与えているのか、それを把握しなくては。
まだ推測、というか憶測に過ぎないけれど、彼女たちの今持っている感情はアフェクトスに大きく影響されている可能性が非常に高い。もちろん基本的には本来の感情に沿って発現している可能性が一番高いんだけど、例えばサキに紫怨を注入した時なんかは明らかに影響されていたし、リンも赤怒の影響でキレ散らかしていた。
まあ、リンの場合は元々そういう面があるんだけど、赤怒の影響で増幅されていたように感じたのは事実だ。
それも含めて、この子達のメインの感情を探らなくてはならない。というのも、彼女たちひとりひとりに親和性の高い感情があり、それが人によって異なると感じるのだ。
それを把握しておけば彼女たち個々の特長や性質に沿ったキメ細かいケアも可能になるだろうし、デビューライブ目前のマイのサポートという意味でも、新たに加わったミオやハクを支えるという意味でも重要になってくるはずだ。
まあ、ヒントになりそうなものは無くもない。例えば瞳の色とかそう。蒼い瞳のレイはおそらく青哀だし、紅い瞳のリンは赤怒だろう。琥珀色のハルは多分黄喜だし、緑の瞳のアキは緑楽だと思う。
もちろん、推測が難しい子も当然いる。焦茶の瞳のマイは全然分かんないし、薔薇色の瞳のユウだって赤怒なのか黄喜なのか。
それを確かめるためにもアフェクトスの注入を進めなくてはならないわけだが、さて、今夜は誰にしようか。
そう。今日まだ残ってる仕事というのは、このアフェクトス注入なのだ。
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次回更新は15日です。




