第十五話 神獣《フィア》
真夜中に号砲が轟いた。クウは慌てて飛び起きる。彼が出立してから三日目の出来事だった。今日は少し体調が良くて、粉薬を我慢出来た。だから、いつものような沼底の眠りではなく、外界と繋がったまま眠る事が出来ていた。クウはその咆哮を聞き取り目覚めた。反射的に焚き火を消す。闇が降りて月が降った。青い闇の色と月影の色だけが世界を構成している。でも、静寂は戻らない。数百メートルの距離で咆哮が響いている。クウは判断する。何かが興奮して争っている。逃げるべきか……いや、
確認しなきゃ。
クウは闇の一番深い場所を選んで、飛び込み、飛び移り進んで行った。枯れ木と死にかけた岩々が転がる荒れ地を進んだ。最後に森の際に辿り着いたクウは、それを見つけた。強い銀色が降り注ぐ月の下でそれは争っていた。敵対種達だ。一方は大虎。口内に収まらない巨大な牙を持つ体長10メートルの虎だ。相対するのは……
「初めて見た……なんだこれ。」
クウは目を見開いた。瞳は月影を反射する。クウは興奮していた。彼が見たのは神獣だった。実在する事すら知らなかった。
神獣。それは神々が自身に似せてモルフ《擬人種》を生み出す遥か前から存在していた、超生物のことだ。今、月光の下で暴れているのは“雲龍”だった。真っ白で巨大な龍だ。その身体は雲で出来ていて、風のように飛び、雨を降らし、嵐を呼ぶ超常の生物だ。クウが畏怖の念に動けない間に雲龍は大虎を引き裂き丸呑みにした。大量の血飛沫が辺りを覆った。全てを飲み込んだ雲龍は舌舐め擦りをしてから、ゆっくりと顔をクウに向けた。真円の瞳がクウを捉える。クウはそれでも気付かれないように慎重に後ずさりをする。が、再び咆哮が響いた。
「やばっ!」
クウは疲労困憊した体に鞭打って、全力でその場を脱出しようと試みたが、雲龍は素早くクウの周りに蜷局を巻き、逃げ場を奪った。長い身体で蜷局を巻きクウを囲った。唯一の開放空間……クウの頭上だ……の先には“雲龍”の頭部が存在した。それは、クウを見下ろす。雲が煙り、霧が漂う。光が降り注ぎ虹が零れる。神以外に従わないとされる、恐ろしい神獣の筈だが、虹を振りまく雲龍はどこか愛嬌があった。しかし、神獣である事には変わりはない。それは恐怖の対象だ。クウは直感した。最近、霧街の大事な家畜を食い荒らしているのはこいつだ。クウは腑に落ちた。今まで様々な敵対種と対峙してきた黒丸達、狩猟隊がその姿すら掴めなかったのは相手が神獣だったからだ。神にしか従わない狂獣だ。黒丸達が血眼になって探し回っても捕獲出来ていない訳だ。だが、クウは怯まない。精一杯を振り絞り、蜷局を駆け上り、雲龍の口へ飛び込む。雲龍は驚いて口を閉じる。クウは……。
オーロウ!
全てを抜けて、クウは雲龍の牢獄から脱した。中空で吠える。
「消えろ!雲龍!僕は怯まない!僕は諦めない!僕は不屈のモルフ!クウだ!」
立派な角を優雅に靡かせて、雲龍はクウを振り返り咆哮を轟かせた。クウは吹き飛ぶ。雲龍は蜷局を解き、クウに向かって飛び立つ。が、クウの横をすり抜けて飛び去って行った。すれ違いざまクウは雲龍と目があった。クウは驚く。
……笑っ、た?
クウは枯木の森に落ちて、落ち葉に埋もれた。初めて見た神獣は美しく恐ろしく……そしてどこか、愛おしくもあった。見上げる空には蒼銀の月影だけが浮かんでいた。




