第三十八話 希望 2
壊れたテーブルを挟んで大の大人が真面目をしているシュールさに、イソールは大きくため息を付いた。彼女は、更に嫌味を言おうとして、でも……確かクウが何か言っていたわ。そう、
……関係無いよね?成体もファンブルも。ねぇ、世界は枯れてしぼんでいるよ?助け合わなきゃ。
イソールは微笑む。
「そうね。私達は助け合わなきゃね。」
一文字にはイソールの態度の変化の本当の理由はわからなかったが、一文字は安心した。幼生だった頃の彼女を見るようで。一文字も微笑む。
「で、あれば、そうしょう。より緊密に全ての情報を交換しよう。首切りの事も。逐鹿様が戻られたら、すぐに皆で協議しようではないか。今はこれ以上はない。」
「わかったわ。」
するっと渦翁は流れに入り込み、本題を切り出す。
「ところで、裏町の仲間達がここ一年で随分と居なくなっているようだが、状況を聞かせてくれないか。」
訳の分からない綱引きは続く。霧街からすれば以前から認識していたジュカの滅亡よりよっぽどこちらの方が重要だ。一万人居るファンブルの一割に当たる一千人が何処かに消えているのだ。そして、何故それを裏町は放置するのか?恐らく、と渦翁は考える。
(……病死と説明するだろうな。だが、治療施設のファンブルが死んでいるのではなく、町人が失踪していることを確認している。問い正す必要は無いが、病死との説明の場合は大掛かりな調査が必要だ。金屏風も首切りの件も最悪を考慮しなくては……。)
イソールはまたため息をつき、真っ直ぐに渦翁を見据えて言った。
「医療施設で感染症が流行している……訳ではないわ。事故や怪我で、と言う訳でも無いの。私達もコントロール出来ないのよ。各人の意思で裏町を出て行くの。薄い絶望が町を覆っているわ。」
渦翁は自身の表情を読み取ったイソールが話の筋を変えた可能性を否定出来なかったが、議論好きで常に相手を言い負かす気でいるイソール独特の話し方だと判断した。一応、信じる。
「何か手を打たないのか?」
一文字が真っ直ぐに問う。その真っ直ぐさに居心地の悪さを感じながらもイソールは返す。
「そうね。手を打ちたいわ。でも、どうやって?子供が産まれない、魂を授からないことにどう戦うの?海のように巨大な貪食生物にはどんな武器で挑めば良いの?空を覆う黒い嵐にはどんな傘が良いの?私達は行き詰まっているのよ。何の手掛かりも無いのよ?鍵の守護者は消えたの。無力な私達だけで、この世界に対峙していかなくてはいけないのよ。手段も方法も分からないのに。教えて欲しいのよ。どうするべきなの?私達は。」
当然、霧街はこの問いの答えを知らない。誰も口を開かない。角が折れ右腕を失った一文字が小さく見えた。昔見た誰でも無い、一人の青年の姿が透けて見えた。大きく成長した彼はしかし、昔と変わらず、苦しみ悩んでいる。青年のままだ。彼は、世界を憂いているのだ。自分の無力さに絶望しているのだ。イソールは彼の事を可哀想に思い、世界に残された可能性について教えてあげたかった。だが、裏町には裏町の都合があるのだ。奇跡があるのだ。これは守り育てなくてはいけない。輪廻転回しない者の責任なのだ。
ゆっくりとイソールは立ち上がった。ため息はつかない。にこりと笑う。一文字は大好きだった幼生の頃のイソールの影を見た。何故彼女はファンブルして、自分は転回したのか?一文字は想う。
……逆で良かったのにな。
優雅に彼女は言う。
「ありがとう。今日は以上ね?改めて金屏風を確認しましょう。」
タフニの車椅子を押して部屋からイソールが出て行く。渦翁は感慨無く。胆月は邪魔者が居なくなる喜びの顔で。一文字は?彼は……少年の顔で見送った。僅かにイソールが振り返り、零す。
「やられたわ。私も甘いのかもね。教えて上げる。可能性は残っているから。」
「何の可能性だ?イソール。」
大きなため息。前に進みながら、微かに言葉だけを残して行く。
世界の、可能性よ……。




