第二十九話 死にゆく世界。
ロイは立ち尽くした。
……何が起こって居るんだろうか?水紋以外の国は滅んだと聞く。空の眼や流動する闇に侵されて。水紋の国も、この霧街もそうなるのだろうか?
彼の目の前にはゾウガメモルフの大鬚が倒れていた。クビが無い。ロイは一瞬、引っ込めているだけだろ?と言い掛けて絶望して引きつった笑いを浮かべた。大きな血溜まりが出来ていた。背中の甲羅には昔、ロイがふざけて付けてしまった大きな傷が残っていた。そうだ。ふざけて後ろから頭突きをして大鬚を怪我させたのだ。ひどい怪我をさせたのだ。いつも怒りっぽい彼は怒らなかった。そうだ。彼は怒らなかった。ロイが事の大きさに怯えて泣いていたからだ。オオヒゲは優しいモルフだった。
ああ……何が起きて居るんだろうか?この街に。
ロイは思わず、大鬚に尋ねた。
「ねぇ?何がおきてるんだ?」
首が切断され頭部を失った大鬚からは、当然、答えは無い。優しいおじいちゃんだった。死んでいる。血が固まっている。昨夜のどこかで殺されたのだ。
……昨日は何していた?
ロイは自分に問いかける。
(ああ。そうだ。一向に解決しないこの首切りの問題に嫌気がさして、ハクに会いに行った。誰にもばれないように鎧を外して、ローの姿で。霧宮でハクと下らない話しをしていた。夜が更けるまで。いつもなら夜中に見回りに行くのだが、昨日は疲れて寝てしまった。)
……ああ。
(何かがおかしい。何かがずれてしまった。昨日見回りに出ていれば、大鬚は死なずに済んだのかな?)
混乱するロイは、心臓が止まってしまったかのように静かだな、と思った。実際は恐ろしく速く駆けているのに。
(これは自分のせいなのだろうか?まだ、何の手掛かりもつかめていない自分のせいなのだろうか?昨夜、恋に浮かれていた自分のせいなのだろうか?)
……ああ。
ロイは腹の底から何かが膨れ上がり沸きだそうとしているのに気が付いた。
……ああ。ああ。
遠くから地鳴りのように響いてくる。
……あああああああああああ。
ロイは知っていた。それは自分の悲鳴だと言う事に。だが止められなかった。津波のように膨れ上がり正体の無い速度で湧き上がる悲鳴を感じながらしかし、ロイはどうする事も出来なかった。多分、それが到達すれば、心は折れてねじ曲がり、最早修復することは出来ないのだ。そして、それは。
「ロイ?」
ハクの声。その一言で、ロイは夢から覚めるように冷静になった。
「来るな。首切りの犠牲者だ。君は見る必要は無い。八掌に連絡してくれないか?」
ハクはロイに従った。ハクが跳ねて消えるとロイは再び遠くに不穏な地鳴りを聞く。大鬚の無くなった頭部が遠くで叫んでいるのだろうか?まさか。いや、でも、きっとそうだ。ロイは確信した。今、耳の奥で薄く響いているのは犠牲者達の悲鳴だ。無能な施政者達に怒りと苦痛の悲鳴を送っているのだ。そうだ。間違いない。そしてこれは決して、
「終わる事はないんだ。」
ごぼり、と不気味な音を立てて涙の塊が彼の瞳から溢れ落ちた。




