第二十二話 裏町《ナカス》。
裏街の中心街には大きな大きな建屋があった。その建屋には病院の機能もあったが、主目的は病気であったり身体が不自由なファンブルの保護だった。ファンブルは身体が欠損していたり、重い病を患っている者が多かった。彼らの生活を助ける役割がその建屋……医療施設……にはあった。施設はキリマチの援助を受けており、豪華には程遠いがしっかりとした木造建築だった。凡そ三千人が入院するこの巨大な医療施設はあさつゆの働く施設でもある。今、クウはあさつゆに連れられて施設長の部屋のドアをくぐった。広いその部屋には壁一面に本棚が設えられており、難しそうな病気の本がびっしりと並んでいた。応接用の家具の奥に大きな机とソファがあり、そこに埋もれるように年老いた女性のファンブルがいた。あさつゆを見つけて、にっこりと微笑む彼女はしかし、クウを認めて、眉をひそめた。銀縁の眼鏡の位置を直す。
「あら、変わったお客様ね。あさつゆも今日は非番じゃなかったかしら。」
透き通るような上品な声で老婆は声をかけた。もじゃもじゃの白髪がチャーミングだった。机を回り込み、二人を応接用のソファに案内する。ソファの周囲には見たことも無い鉢植えの植物で一杯だった。それらは密やかに多様性を謳歌していた。彼等は箱庭のようなその一角にあるソファに腰掛けた。あさつゆが何かを発するより早く、老婆は話し始めた。
「あなたはクウね?私はイソール。裏街の治癒者を取りまとめる白檀を務めてるわ。クウ、街一番の有名人に会えて光栄よ。でもね、クウ。私達、輪廻転回しない者達は霧街との関わりを望んではいないの。あなたは自由よ、どこにいこうとも構わないの。でも、出来れば私達をそっとしておいて欲しいのよ。わかるかしら?」
「わからないよ。」
クウは何時だって素直だ。困り眉毛で即答した。イソールは微笑む。クウは身を乗り出す。
「僕は一年前、輪廻転回の義でファンブルして成体にはなれなかった。この街のみんなと一緒。でもどうして、裏街のみんなは僕を区別するの?霧街のみんなが区別するのはわかるけど。」
クウの話しを聞いて益々、イソールは微笑む。霧街の皆がしているのは差別なのよ、クウ。
「あなたは優しいのね。あさつゆが好きになるのも無理は無いわ。」
滅茶苦茶な速度で突っ込んできた横槍にあさつゆは真っ赤になって涙目で何か言おうとしたが、イソールに他意は無く、話しは流れていった。
「でもね、クウ。あなたは違うのよ。輪廻転回しない者達では無いの。」
イソールはぴしりとクウの胸のイドを指差した。クウは黙ってオーバーオールの前を開けて、シャツをめくった。軟膏と体液で汚れた包帯を少しずらして、イソールに身体を見せた。クウの痩せた胸の中心部に、瘡蓋に覆われたイドがあった。イソールはクウに何を話すべきか少し逡巡する。彼女はクウから視線を外して立ち上がった。何事も無かったかのように、鉢植えに水をやり草花に話し掛ける。驚いたことにその草花たちはイソールの囁きに応じて顔を上げて花弁を開いた。
「百花繚乱。イソールさまの術なの。植物を育てて花開かせるの。」
クウは驚き目を見開いた。霧街の大図書館で読んだことがあるが、この零の鍵の世界に植物に関する練術は存在しないのだ。何故、この年老いた輪廻転回しない者達は鉢植えを花開かせたのだろうか。ひょっとしたら植物に働きかけているのではなく、土に働きかけているのだろうか?クウの興味はこぽこぽと溢れてくる。イソールはクウの目の輝きを見て彼の考えを理解する。
「あら、信じられないものを見た目ね。でも疑っちゃだめよ。貴方が見たのなら、それは真実なのよ。私の練術は少し珍しいのよ。でも――そうね。そっちの胆月は舞闘の役に立たない下術だと馬鹿にするけどね。」
クウは首を振る。
「すごいよ。すごいと想うんだ。それ。一体どんな験なの?」
イソールはからからと笑った。
「今は内緒よ。いつか、ね?さぁ、話しを戻しましょう――クウ、貴方は私達とは違うの。私達、輪廻転回しない者達のイドは幼生のイドと同じ。皮膚の下で薄く透けて光を持っているわ。成体のイドのような力強い輝きは無いけど、本質は変わらないわ。でも、あなたは違う。イドが閉ざされているの。私達と本質的に異なるのよ。私達は“変わらない”あなたは“閉ざされて”いるの。」
クウはふう、と溜息をついた。
(わかんないや。でも、僕は何処にも属さないんだ。なるほどね。多様性って素晴らしい、でも、僕はどこにも属さない。それだけはわかる。イドの瘡蓋が異常であることは知っている。イドが瘡蓋に覆われてるのは僕だけだ。大図書館の記録を見る限り、これまでにも居ない。僕が初めてだ。でも、どうすればいい?僕は、もう……。)
騒々しくドアが開く。施設長の執務室に計画外の来客だった。




