第二十話 別れ。
例えば――人生を賭けた試験に失敗した時、大好きな人を傷つけた時、助けたかった人が助けられなかった時。応えられなかった期待。希望からの絶望。その時、自分はどんな顔をしていただろうか。彼はどんな顔をするのだろうか――?
その幼生はゆっくりと目覚め周囲を確認し、小さな異形を確認した。一瞬で状況を思い出し、身構えるが自身の胸を見て表情が凍る。
「あ。ファ……。」
自身が失敗したこと知ったシキの表情を見て、ロネスは昏い感情が爆発するのを感じ、全身が泡立つのを感じた。堪らなかった。イキそうだった。
「泣くのか?お?それとも叫ぶ?茫然自失か?何でも良い。お前の絶望を見せてくれ。お前はもう取り返しが付かない。ファンブルしたんだ。人生の終わりだ。さぁ!お前の絶望を!」
ロネスは快感の波に呑まれその継ぎ接ぎの小さな身体を精一杯広げてシキの絶望を抱きしめるような仕草を見せた。荒れ地に澄んだ風が吹き抜けた。シキは渾身の力を振り絞って、ロネスに突進した。全力の膝蹴りでロネスの顎を砕く。ロネスは何が起こったかも判らないまま悲鳴を上げて血を吐き、逃げ惑う。シキは逃さない。ロネスが落とした短剣を拾い上げて投げる。短剣はロネスの肩に刺さり、継ぎ接ぎの異形は血まみれで荒れ地に倒れこんだ。
「不撓不屈。俺の座右の銘だ。成体に成れなかったのは残念だが、それは過去の希望だ。俺は次に行く。別のルートで目的地を目指す。まずはお前を倒す。」
シキは光を失った胸のイドに手を当てて、胸元を握りしめた。眼光は鋭い。ロネスは理解出来なかった。ファンブルはモルフ最大のミスだ。それをきっかけに自死するモルフもいる。この先は惨めな敗北者の人生があるだけだ。当然、舞闘だって成体に勝てない。ロネスは四つん這いになりながら振り返り、この新しいファンブルを見つめた。
「俺は諦めない。現状の全てを使って舞踏してお前を倒す。俺はシキ。不撓不屈。それが俺だ。」
言い終わると供にシキはロネスの懐に飛び込んで、強力な膝を打ち込んだ。それはロネスの肋骨を砕き、ロネスを吹き飛ばした。ロネスは悲鳴を上げながらも恐怖と怒りに突き動かされて、シキに反撃し始める。最凶の異形である七忌には及ばないがロネスも舞闘の実力者で、その辺の雑兵に負ける舞闘力ではなかった。しかし、ロネスはシキの気迫に押されて、実力を発揮できないまま――ロネスは気づいた。このファンブルの瞳が湛えている光を。
(泣いてんのか?)
そうだ。シキは泣いていた。辛く悲しかった。絶望したし、恥ずかしかった。彼は泣いていた。世界を救う?誰が?それは望みの無い夢であるように感じられた。ロネスはシキのその感情に気づき、高揚し、しかし平静を取り戻した。笑いながら、シキに反撃し、少しずつ形勢を塗り替えていく。数回の攻防を経て、ロネスは優勢になった。短刀でシキを切り刻み始めた。逆にシキは抑えきれなかった感情に飲み込まれて冷静さを欠いていた。シキに勝算は無かった。ロネスもそれを感じ取り、このパーティーを仕上げの段階へと進めることにした。
「まぁ、そろそろ……ね?」
舞闘を舞いながらロネスはシキの耳元で囁き――彼の脇腹に深く短刀を突き刺した。シキは血を吐いて倒れこんだ。
「ねぇ?どう?失敗した気持ちは?ねぇ?不撓不屈の意味を教えてよ。ねぇねぇ!」
ロネスは倒れこんだシキに突き立てた短剣を出し入れしながら、ネチネチと彼の耳元で囁いた。シキは呻き、泣いて血を吐いた。ロネスは爆笑する。最高だった。生意気な位有望で、しかも若いモルフが失敗して絶望して死にかけている。目の前で血を吐き痙攣している。最高だった。快感にロネスは震えた。ロネスはこのファンブルの死期が近いことを読み取った。ロネスは彼の腹を割いて中身を見せてあげることにした。突き刺した短剣を引き上げて、彼の腹を――。
「解け。」
背後で声がして、ロネスは振り返ろうとしたが、出来なかった。人化、半獣化、獣化状態でパッチワークとなっている彼の身体の接合面が解けて、ばらばらになったのだ。かれの生首が荒れ地に落ちて更に何分割にも分かれた。ロネスは自身を見下ろす者の正体を確認できないまま、絶命した。シキは消えゆく意識の中でそれを見た。それは世界の終わりに現れるとされる――空の眼と貪食生物の猛威の後に現れる――髑髏モルフだった。終末の死神だった。それは虚ろの眼窩でシキをただ、見つめていた。




