第四十四話 灰の山脈 18
大崩落が起こり、百年続いた氷のカマクラは埋もれて消えた。カマクラの痕跡は、直径一キロメートルの大きなクレーターとして灰色山脈に残った。氷の粉塵が陽光に虹を架けた。山祇はその虹に腰掛けて笑う。
「むははははは。素晴らしい。良くやった。」
快活に笑う山祇の下腹部に底の知られない穴は存在していなかった。山祇は本来の姿を取り戻していた。氷色の長髪に雪色の肌。水の衣をまとう長身の美女は左右に長く切れる細い瞳を輝かせて笑っていた。蔦や苔は消え失せていた。長蟲の大爆発で荒んだ山肌を掌を上にして指差した。ゆっくりと指を引き上げる。同時に崩壊した氷の大地からぐったりとしたクウが持ち上がる。クウは意識を失っており、体中から酷く出血していた。殆ど、呼吸も止まっている。山神はそのままクウを引き寄せた。彼女は側まで来たクウの足を掴み、無雑作に揺すって様子を確認した。
「むう――死ぬな、こやつ。」
山祇は冷酷に言った。
「じゃが、代償を支払わぬ不届き者には相応しい最後じゃのう。」
そういうと山祇は愉快そうにむはははと笑った。その笑いは稜線を超えて遙か西の海岸線まで届いた。そして、野生の神はその冷酷さを持ってクウを投げ捨て――。
「対価を支払わぬ不遜の者よ。僕は疲れて休息が必要なんだ――だっけ?」
クウは辛うじて片眼を僅かばかり開き、山祇の声色をまねてそう言った。にこりと笑う。山祇はつられて再び笑った。
「むはははは!その通り!最後の冒険者よ!ようゆうた!不遜は命に対する冒涜じゃ!この何の意味も持たぬ世界で本当に価値があるのはただ一つ、感恩の心だけじゃ!すべての生は、全て他を生かす為にのみ存在しておる!自らの肉を差し出して、他者を生かす。他者もまた自らの血を与える。そうやって日は夜と代わり、春は夏を迎え、秋に蝕まれて、冬に埋もれるのじゃ。そして冬の死ですら年を回す歯車でしかない。」
そこで、山祇は大きく息を吸ってお腹を膨らまし、その息吹の全てを吐き出してクウに吹きかけた。クウの血はその息吹に吹き飛ばされて、その下の裂けた肉が顕わになるが、見ている間にも肉は再生していく。クウに血色が戻り、彼の衣服ですら再生した。山祇はクウの足を離したが、クウは宙に浮いていた。クウは身体の中に感じたことの無い活力が漲るのを観じた。
「ありがとう!やまがみさま!」
「むう。構わぬ。しかし、火球はどこへやったのだ?」
そう言われて初めてクウはいつの間にか火球を見失った事に気がついた。しかし、山祇はにっこりと微笑んでいる。
「まぁ、よい。その所在は感知出来ぬが、この山脈の外にあることは間違いない。我の穴も塞がった。」
そう言う山祇の瞳は最早、苦痛に釣り上がってはおらず、優しく弧を描いていた。彼女は満足そうに、むはははと笑った。




