第三十二話 灰の山脈 6
「我はこれ以上は近づくことができぬ。」
山祇は悔しそうに顔を紅潮させている。つり上がった目が益々、引き上げられる。クウはふふふと笑った。
「任せといてよ。」
そう言って胸を張るクウは、黒い岩山の正面にある亀裂の上に居た。それは元々この灰色山脈に存在する巨大な亀裂のように見受けられた。山祇からは深く奥に向かって拡がっている亀裂だと教えられた。
「その昔、この灰の山脈の東側は完全な白銀の世界で、一点の曇りも無い氷に覆われておった。ある時、この灰の山脈上空を空よりも大きいオオクジラが通り過ぎて……小さな火球が落ちたのじゃ。それは、氷壁に一瞬で大きな穴を作り、気付いた時にはこの巨大なカマクラが出来上がっておった――。」
山の守護者である山祇の身体は灰の山脈と繋がっており、山祇の身体が病に犯されれば山もまた枯れて、山が荒れれば山祇の身体もまた朽ちる。彼女たちは異心同体だった。灰の山脈には大きなカマクラが出来、山祇の下腹部には深い穴が開いた。山祇は灰の山脈を護るためにこの氷のカマクラに潜り込んだ。更に氷壁を溶解させてカマクラが巨大化しているのを見た山祇は、火球の熱気がこれ以上、灰の山脈に悪気を与えないようにこの氷のカマクラを封魂の術で覆った。封魂の術は全ての魂気を封陣の中に閉じ込める術で、その効果範囲内から外に出ることも出来ない――精々で手を少し範囲外に伸ばせる程度だ――し、外から内部を察知する事も出来ない。強力な術の効力で火球の影響は拡がることは無くなったが、代わりに山祇は魂気を大きく消耗した。更に内部にこもる火球の魂気にあてられて、体力を失い、術を解除することも氷上に戻ることもできなくなった。そうして自身の封魂の術に閉じ込められたまま、何十年かが過ぎて、今日、クウが現れたのだ。
「我はもう魂力を失いすぎた。何もできぬのじゃ。貴様に頼みたい。その亀裂の奥に我と我が命である山を蝕む、火球が存在しておる。氷を司る我には近づくことさえできぬ。じゃが貴様であれば問題ない。陽の加護を持つモルフよ。」
「陽の加護?そうかな。ミントには何も言われなかったけど。でも確かに属性は天と火だし、そうなのかもね。」
くいっと口の端を引き上げてクウは笑った。垂直につり上がった目を持つ山祇はクウの笑顔につられて笑った。
「我はここで待とうぞ。期待してる。最後の冒険者よ。」
クウは山祇の贈る言葉を聞き終わらない内に、勝手に頷いて亀裂に飛び込んだ。それは、とても暗い、亀裂だった。




