第十六話 この世界 3
逐鹿が旅の結論を述べた後は、そのまま六角金剛や五大極やその候補者達は、水紋の街を最短で完全に隠れ家に移すにはどうするべきか協議し始めたので、クウはつまらなくなって、天蓋の外に出た。隠れ家を出て実世界に戻る扉を開ける。空白と掌上世界を繋ぐ扉は、アマトが残した黒い短刀……黒漆と呼ばれた……で空白の障壁を切り裂くことで作ることができた。その扉は閉じると再びくっついてしまい、黒漆が無いと二度と戻れなくなるので、移住を推し進めている今は、黒漆で切り開いた入り口を開け放し、簡易的な扉をそこに設えていた。今は誰でも出入りできる状態だった。クウは、家から外出する気安さで、掌上世界へと帰った。水紋の太陽は傾きぼやけたような優しい光で、世界を惜しみなく包んでいた。クウは再興に向けて慌ただしくざわめく街を横切っていった。輪廻転回して成体になってからは再びモルフ達に話し掛けられるようになった。勿論、裏街の人達からもあれこれと話し掛けられる。
「おにいちゃん。これあげる。」
かわいい幼生がクウに話し掛けて、何の役に立つのか判らない……でも彼は大切そうにしていた……石ころをくれた。クウは嬉しくて笑う。その子の気持ちもそうだし、何よりも、もう自分が最後ではないことの証が目の前に居ることが嬉しかった。多分、世界は続くのだ。自分たちが諦めなければ。
「ありがと。素敵な石だね。大切にするよ。」
クウは笑い、幼生も微笑み返す。
「うん。その代わり、お兄ちゃんのふかふかしっぽちょうだい。」
「こっわ!だめだよ。これは取れないの!」
話を聞くと、どうもそのエイラは石と交換にクウの尻尾をもらってクッションにするつもりだったらしい。クウのまんまる尻尾が好きだと笑顔で告白してきた。しかし、尻尾をあげる訳にいかないクウは、冷や汗をかきながら逃げ出した。廃墟となった街をうろうろする内に、いつの間にか舞闘場跡地に来ていた。もう、跡形も無いが街中の皆が熱狂していたあの舞闘場があった場所だ。今は瓦礫に埋もれてしまい、巨大な舞闘場も、壁のようにそり立つ観客席も、クウの指定席だった国旗掲揚塔も無い。それでもあの場所だった。目を閉じると今でもあの熱狂が……騒音や歓声、そして自分の鼓動が……聞こえてくる。
……まだ、戦が始まる前は舞闘が大好きだったなぁ。今はもう、大嫌い。
クウは薄暮に呟く。いつの間にか辺りは薄暗くなり始めていた。あの頃はゲームとしての舞闘が大好きだった。戦で沢山の仲間が死んでいくのを目の当たりにした今となっては、以前のような熱意が無くなっているのを感じた。ふと、クウは思い出す。あの頃の疑問を。
“舞闘場では死なない”ってどう言うこと?
クウはいつも想っていた。実際に目の前で起こっている出来事であるから、皆当たり前で“ソウイウコト”として気にも留めていなかった。でも、舞闘場以外では死んでしまうのは何故だろう。烏頭鬼との戦でも沢山のモルフ達が死んだ。もう、帰って来ない。クウの兄のシキもそうだ。クウはあの頃と同じ疑問を薄暗がりに吐き出した。
「ねぇ。舞闘場で死なない事に何の意味があるの?誰がこの舞闘場を作ったの?それが出来るのなら、世界中で誰も死なないようにしてくれたらいいのに……。ねぇ。聞いてる?」
言いながらクウは何となく舞闘場は星神様ではなく大神や守護者達、神々の眷属の範疇なのかな、と想った。どこか残酷だから。
「ねぇ。沢山死んじゃったよ。ねぇ、せめて答えてよ。」
クウは刻々と深くなっていく闇に話し掛ける。
「こたえるから、ふかふかしっぽを……。」
また、クウに声が掛かった。ちょっと幼生が出歩くには遅い時間だ。クウは振り返り、その幼生を親のところまで送り届けようと……。
「……尻尾を寄越せ。まんまるあたまでもいい。一口でもいい。」
クウの目の前に居たのは、異形の王、夏至夜風だった。ゆらゆらと虚ろっている。
「舞闘場は歩む者や漂泊者を喜ばせるために鍵の守護者達が用意した……さぁ。答えたぞ。とてもお腹が空いて……あ、ぁぁぁあ。」
少しだけ、ほんの僅か強い風が吹いた瞬間、夏至夜風は実体を維持できずに霧散した。実体を維持できるほどの魂気が無いのだ。彼は空しく、荒廃した水紋の国に散り散りになって消え去ってしまった。クウは渦翁の言葉を思い出す。
(異形の王にして狭間の王でもある夏至夜風は不死だ。いずれ闇が濃くなり、彼は戻ってくる。そして、我々に舞闘を挑むだろう。或いは……彼が染みこんだモルフが大戦を起こすのだ。)
クウは夏至夜風を間近に感じて、その悪を実感したが……どこか、何かがクウの琴線に触れて、いつか舞闘しても良いかな、と彼に思わせた。後日談……それもかなり遠い後日……となるが、クウがこの夜のことを水紋の街に伝えた為、皆、風の無い夜は出歩かないようになった。




