第四十七話 夜の半分 47
「貴様ぁ!!!」
ニチリンは叫びその美しい顔を歪めた。ラスはその表情に満足して笑う。ニチリンは三祇九鼎を最大効力で放つ。ニチリンの大きな瞳が恐怖で更に開かれる。
死は怖くなかった。彼女はもう失うものが一つしか無かったから。彼女が恐れたのは自身の全てとも言えるこの零鍵世界を失うことだった。彼女はこの世界を自身の全てよりも優先させて育て、護ってきた。この世界を失う訳にはいかなかった。この世界は彼女の愛の全てだった。彼女が本当に恐れていたのは、この世界を失うこと。この世界で生きる新しい命、モルフ達を失うことが恐怖だった。ラスの打ち出した禍はニチリンでは無く、霧街に向かっていた。それを止めるべく、ニチリンは最大限の三祇九鼎を発したが、全てを排除出来そうにも無い。ニチリンはその美しい身体を翻して、盾として使った。女神の血飛沫が霧街に注ぐ。天上は大爆発に包まれて世界が揺らぐ。モルフ達は死を覚悟して我が身と愛する人の身体を守ったが、その爆発は地上に届くことは無かった。ただニチリンの血飛沫が赤い雨として地上に降り注いだ。爆炎は天上だけを覆い、神々の争いの顛末を隠す。
「あまあぁぁぁい、ねぇ……。」
そのラスの声と供に天空の爆炎は取り除かれて、ニチリンが現れた。禍で切り刻まれて、闇雲の剣で貫かれていた。女神の血飛沫は霧雨からスコールに変わり霧街を覆う。ニチリンは目を閉じる。闇雲の剣は解除されて、ニチリンは支えを失い落下する。ニチリンの顕現は解除され、大きく美しい彼女の身体は縮小し、モルフ達のサイズになる。そのまま音も無く落下を続けて、地上に激突した。ラスは顕現を解除して地上に降り立つ。何もなくなってしまった元は霧街だった荒野に二人の守護者が降り立った。ニチリンにはもう、発現出来る魂気がない。彼女には、打つ手は残されていない。
「と、いうことで、後は好きにさせて貰うよ。」
長身で痩せた髑髏烏の仮面を被るラスはヘラヘラと告げる。血だらけで両膝を着きしかし、まだ眼光鋭いニチリンは告げる。まあるい胸の間の炎の穴はいよいよ大きく、彼女の全身に広がろうとその脈動を早めている。
「……焼き……が、回っ……たか、俺も。」
「おおー。意外。諦めが良いねぇ。おとなしくするなら完全世界に連れて帰るけど?」
「ありがとう。断るよ。」
ニチリンはぎいい、と笑う。ラスの笑みは消える。
「あ、そ。じゃ、ここまでだねぇ。」
ごぼり、とニチリンは血を吐いた。彼女の美しい身体は炎の穴に浸食されて身体の中心部から再び血も肉もない骨だけの存在に戻ろうとしている。髪が抜け、身体の丸みは失われて干からびていく。それに伴い、沈みかけた夕日の輝きが戻り始める。陽の魂気が還元されているのだ。徐々に夕闇を取り戻す零鍵世界で、血まみれの歯を見せつけるようにニチリンは笑い、告げる。
「……ああ。ここまでだ。だが、俺はここに留まる。最後の札を切るよ。」
「あ?」
この期に及んでまだ、何か画策するニチリンに苛立ち、ラスは止めを刺すことにした。
「そか。じゃ……死ねよ。」
そして、ラスが闇雲の剣を突き出……すより早く世界が揺らいだ。
……彼岸。




