第二十九話 夜の半分 29
ラスは岩盤にめり込んだ身体を引き剥がして、黒丸に飛びかかった。全身に魂気を堅く纏い、龍脚化した巨大な脚を黒丸の胸に打ち込む。ラスの速度を捉えられない黒丸はその蹴りを躱しきれずに蛙王盾の上から蹴りを受けた。ラスはそのまま爪で黒丸を捉え、押しつぶそうと圧力を高める。しかし、ぬめりのある蛙王盾は、するりとラスの龍脚を逃れて、黒丸は圧死を免れる。
(これは不味いのう。まさかここまでとはの。蛙王盾が切れたら、勝目は無い。後、十分程か?)
怒りで平静を失っているラスに悟られないように務めながらも、黒丸は焦りの汗を流す。黒丸の舞闘の経験値が彼の身体をラスの背後に回り込ませる。無意識に身体が技を放つ。
真技金剛掌!!
再び、金剛掌がラスを岩盤にめり込ませるが、不意打ちの時とは違い、強力な魂気を纏ったラスにはどれほどのダメージも通らなかった。ラスは岩盤に身体をめり込ませたまま、顔だけを捻り、黒丸を睨む。彼の目は怒りに血走っていた。
「ほんと、むかつくねぇ。黒丸ぅ……お前さぁ、俺には勝てねぇんだからおとなしく死ねよ。こっちからしたら、このどーーーーーでも、良いような手間が一番むかつくんだよねぇ!あぁ!?」
叫び、再び黒丸に飛びかかろうとするラスを蛙王盾が覆った。崩れて飛び出した霧城の骨組みに器用に飛び移り、ラスと間合いを取った黒丸が告げる。
「そうじゃの。確かに舞闘では儂は貴様に勝てん。今の一瞬で理解できた。まぁ、しかし、儂は貴様と舞闘がしたいわけでは無い。命のやりとりをしたいんじゃよ。さて、何秒持つかのぅ。」
ラスは直ぐに気が付いた。黒丸のこの極技蛙王盾は、刃も打撃も受けつけず、光り以外の何も通さない半個体だ。空気さえも通さない。ラスは一瞬……本当に一瞬だけだったが……冷や汗を流し、直ぐに冷静を取り戻した。呼吸せずに何分持つだろうか?の問いはこの技は何分続くだろうか?の問いを呼び、その答えがラスに平静を取り戻させた。
(モルフ共が最大舞闘力を発揮できるのは僅か十五分だ。その程度であれば呼吸なんか要らないねぇ……待ってろよ黒丸ぅ。お前、この技が解けたら脊髄を引き抜いて……。)
ラスは自身の胸元を鷲掴みにした。突き刺さるような胸の痛みを感じたのだ。ラスは直ぐに気付いた。急激に酸素が枯渇して窒息寸前になっているのだ。驚きに眼を見開き黒丸の見つめる。
「毒じゃ。地味だが強力な毒でのう。身体が空気を取り込めんようになるんじゃ。十分息を止められようが、二十分息を止められようが関係ない。その毒は身体に残った酸素も活用できんようにする。十秒程で窒息するんじゃ。」
勿論、蛙王盾に封じ込められているラスには黒丸の声は届かない。しかし、体中の痺れがラスに事実を伝えていた。
(神経毒の類いか……!!)
ラスは今度こそ本当に冷や汗を流した。だが、ラスの舞闘経験も凡庸なものではなかった。反射的にラスは、古い神々の文字を呼び出し、黒丸の技を無効化しようと試みた。ラスは古い神々の文字を操り、この世の理を曲げることが出来た。それは正に神の御業と言える能力だった。物体の形を変え、天候を操り、無から有を生み出し、生命を無に返すことが出来た。ラスはその能力を用いて毒を無効化し、この腹立たしいゲル状の汚物を身体から剥ぎ取ろうとした。しかし、蛙王盾は無効化できなかった。古い神々の文字を持ってしても蛙王盾の本質を暴き出すことが出来なかった。それは既知の技ではなかった。ラスの知らない……つまり、古き神々が関与しない……論理で組み上げられた技だった。
(まさか!そんなことがあるのか?この世界は我々が作り出したものだ。そこに我々の知らない理が存在……。)
そこでラスの思考は途切れる。脱出不能の蛙王盾の中で血を吐き激しい痙攣を起こし始めた。
「悪いが死んでくれ。儂等は貴様を殺してこの世界を守るんじゃ。」
黒丸は冷酷な表情でラスが絶命する様を見守っていた。万が一に備えてしっかりと間合いを保ちながら、黒丸は油断なく監視していた。だから、突然の爆発が発生した時も素早く対応して回避できた。霧城内部から、瓦礫を吹き飛ばしてもう一人現れた。
「あのクソ餓鬼はどこに隠れたのかねぇ?」
細い身体に黒いカーディガンを優雅に羽織ったラスはしかし、その顔に怒りと焦りの表情を浮かべていた。そう、ラスは他にも居るのだ。ラスは一人では無い。




