第五話 霧街に隠されたモノ1。
「……東区画と中央を繋ぐ内門を閉じろ。東区画内堀の油に火を放て。正門の第一師団、西大門の第五師団も呼び戻せ。籠城する。霧城で最後の戦いを行う。」
霧城最奥の金剛議場で渦翁は静かに命令した。八掌の癒やしを受けながらもまだ、完全回復できていないセイテンはしかし、傷の痛みでは無い、苦痛の呻き漏らした。
六角金剛の一人、胆月は死んだ。
三面六臂の塵輪――鬼の頭部に蜘蛛の身体を持つ――との闘いの中で命を落としたのだ。本当に彼に止めを刺した者が別に居るのだが、皆、知るよしも無い。胆月を失った六角金剛や部下達の悲しみや絶望も深いものだったが、それと供に烏頭鬼との戦いで最大戦力を任されていた胆月の第一師団が壊滅したことが渦翁の背筋に重く深い絶望を差し込んだ。追い込むように、評議長のフラウが釘を刺す。
「渦翁、理解している?貴方の指示は我々の退路を絶つことを意味しているわ。失敗は許されないわ。本当に勝算はあるの?」
一切の実行力もなく、ただ口を挟むだけの評議会に少し苛立ちを覚えながらも、渦翁は揺らがない。他に手立てなど無いのだ。
「他に手段はない。これが最善だ。」
渦翁はフラウに短く返しただけで議論はしなかった。彼は仲間への指示を続ける。
「我々は奴らの半分は殺した。だが、未だにジズ川対岸から奴らは現れ続けている。数が減ったかすら疑問だ。我々は、土地も建屋も諦めて我らの命だけを守ろう。霧城に戦力を集中し、敵を引きつけて最も困難な敵から倒すのだ。雑魚に消耗している場合ではない。」
念珠を通した全軍会議は誰の異論も出ず、この渦翁の言葉で締めくくられた。誰も意見は持ちあせていなかった。何をどうすれば良いのか?何がどうなってしまったのか?思考を維持している者など誰も居なかった。消滅したと考えている闇穴が別に存在している可能性についての議論すらなされなかった。モルフ達の中にはすでに諦めてしまったものも多く居た。最早命令など、何でも同じなのだ。何れ、皆、死ぬ。その空気が重く全軍会議を覆っていた。いつの間にか六角金剛は渦翁と一文字の二名になっていた。皆離れて、死んでいった。物思いに耽る二人を残して、金剛議場からモルフ達は去って行った。低く斜めに差し込む光が昏い。
「我々の舞闘力は烏頭鬼のそれを遙かに超えている。」
一文字が口走った。渦翁には判っていた。一文字は何か希望が持てることを話そうとして、意味不明にも思える個々の舞闘力の話をしてしまったのだ。確かにそれは間違いではない。だが、問題は個々ではなく、軍としての舞闘力だ。烏頭鬼の軍勢は死を恐れず、無尽蔵に補強され続ける。一方で水紋軍は徐々に恐怖し、消耗していく。裏町を奪われ、東大門を落とされ、今、霧城に籠城しようとしている状況を見れば、明らかだ。霧街は負け戦と知りながら、逃げ込む先が無く、消去法で戦闘を継続しているだけなのだ。一文字は自身の愚かさにあきれてため息をついた。愚かさついでに苦笑いしながら、渦翁に告げる。
「……ラスにも協力を仰ぐか。」
渦翁がぎくりと身体を硬直させて、一文字を睨んだ。
「確かに、彼は異形を掌握している。しかも、彼の舞闘力は恐らく、霧街で最大だ。だが、彼は味方ではない。彼は敵だ。彼を頼るなら、投獄しているサカゲやグワイガを解放した方がいい。」
「だが、それでは評議会やラスは納得しないだろう。ファンブルに肩入れをして暴れているのは彼らなのだから。そんなことをすれば、評議会と我ら六角金剛で、霧街を割る争いになる……なぁ、本当に“渦”を巻いたのか?」
渦翁は素早く周囲の気配を探り、一文字に目配せをした。ラスの気配は無いが、用心に越したことはない。“渦”に関しては明確に話すべきではないのだ。
「間違いない。我々全員が一瞬だった。この話は蒸し返すな。注意すればいいのだ。」
一文字は裏町から帰還した後、渦翁が語った“渦”についての話を思い出した。渦翁の緩く巻いた角を見つめる。闇穴を攻める前、裏町でファンブル達の反目に合うまでは、彼の角はぐるりと渦を巻いていた。一文字は、親友の言葉を疑うことはしない。
「済まない。少々、混乱しているのだ。忘れてくれ。」
それ以上、会話は続かず、日が落ちた。




