第三十三話 岩戸5。
その瞬間、クウは目撃した。雲が、目に見えない何かにぶつかって、左右に引き裂かれるのを。雲はその存在を取り囲んで、輪郭を際立ったせた。瞬きにも劣らないような一瞬。クウは透明な山を見た。
「……雄山だ。」
クウは、ついに理解した。大喝破さまが岩戸のあるリツザンの雄山を不可視化していたのだ。山道には巡りの迷路とまやかしの岩戸を施して、全てを遠ざけていたのだ。過ぎ去る一瞬に残した雲が描き出す輪郭はクウの直ぐ側から百メートルほど細い道が続いて真の岩戸に到達する事を知らせてくれた。日が差し込む。もったりとした雲や霧は全て打ち払われて、透明で澄んだ景色が戻ってきた。そこには夢の中にだけ現れるような不確かな霧の道は存在しなかった。クウは心臓がぎゅっと痛くなった。先ほどまで雲が輪郭を示していた道は、今、日の中では見ることも出来ず、そこにはただ、断崖絶壁の空間があるだけだった。先ほどまでおぼろげに見えていた道は完全に消えて、光の粒子の一粒も無い。
(……どっち?どっちがまやかしなの?)
クウはからからの喉の奥ではなく、首筋に冷たい汗が流れるのを恨めしく思った。そして、何が正しいのか?と想った。雲に浮かび上がった透明な道か、今、日の光の元に現れた崖か。山道の先にある岩戸は偽物で、今、見えなくなった崖上の幻が本物なのだろうか。クウは、自信が無かった。普通であれば、闇の中で見た物を疑い、日の光の下にある物を信じる。普通であれば、目の前の甘い罠を疑い、遠くの苦難の先に輝く物を信じる。
(普通なら。)
クウは混乱していた。空腹で?寒さで?疲労で?……いや、違う。クウが混乱していたのは、絶望だ。繰り返し襲ってくる絶望そのものに混乱していたのだ。判断が出来ない状況に追い込まれていたのだ。みんなそうだ。万全の状況で間違う者は居ない。誰しもが間違えるのは、極限の状況下だ。そして、そこでこそ、間違いは許されない。クウは絶叫した。
「うあああああぁぁぁぁあああああああっ!!」
クウの身体の中から何もかもが吐き出された。それは、ただの悪あがきだったかも知れないし、本当の狂気がクウを覆い尽くそうとしていたのかも知れない。でも、それは山々に木霊してクウに答えを返した。そう、返るはずの無い目の前の絶景が木霊を返したのだ。クウは笑った。それは狂気の笑いでは無く、痛快さを忘れない、好奇心が引き起こす笑いだった。




