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「天恵」 ~零の鍵の世界~  作者: ゆうわ
第六章 リツザン。
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第三十二話 岩戸4。



 クウは漸く気がついた。理由はわからない。でも、霧街の皆は口々に言ってなかっただろうか?


 ……大喝破さまはお隠れになった……。


 裏町ナカスでも住人達が口々に噂していた。大喝破さまはその死期が近づいて岩戸の奥に引き籠もった、長く長く生きた大喝破さまは、誰にも看取られたく無いのだ、と。余りにも長い間、皆と供に生きてきたので、最後くらいは独りになりたいのだとそう、皆は想像していた。何れにしても大喝破さまは、誰にも会いたく無いのだ。彼の式神は全て死んで居なくなり、念珠の交信にも答えを返さない。岩戸の奥に引き籠もって、外界を拒絶しているのだ。


 (もし、大喝破さまが本気で隠れようとしているのであれば、どうするかな?)


 答えは単純だ。寝床の場所を変えるか、寝床を隠すか。でも、場所を変えることは出来ないだろう。称名池は魂気マイトが濃く溢れ出す、特別な霊地だ。その霊地を守ることは彼の人生そのものなのだ。だとすれば、大喝破さまの取るべき行動は一つになる。岩戸を隠すこと。クウは遙か先に浮かぶ岩戸を見つめた。風が吹き荒んで岩戸は揺らいでいた。歩いても歩いても辿り着かない岩戸だ。クウは漸く理解した。


 ……あれは幻だ。


 そうだ。あれは魔力が描いた幻に過ぎないのだ。あれを追い続けて歩いても決して辿り着くことは無い。岩戸は別の場所にあるのだ。但し、ここからどこかそう遠くない場所だ。クウは周囲を見渡す。風が凪いでいた。高山の低木はそよりともしない。だが、上空では雲は時間を切り裂くように早く走る。クウは雲や低木の動きから風の吹くはずの方角を見やった。名も無い峠の頂で倒れ込んでいたクウの左手から風が吹いているはずだった。だが無風だった。クウの周囲でそこだけが無風だった。まるで、目に見えない壁があるように。そして、突然、大きな雲がクウを飲み込んだ。白い闇がクウを覆い、彼の視界から何もかもを奪った。後、一歩で、後、数瞬でクウは答えを見つけられると感じていた。でも、今はもう、何も見えない。音さえも消える。


 (駄目だ。ほんとに。)


 クウは何故か笑い出しそうになるのを堪えて、仰向けに転がった。今、ここで笑い出してしまえば、狂気に捕らわれて笑いながら、飢えと寒さで死ぬのだろうと理解できた。もう、結末が近いのだ。クウは死ぬしかない。世界は滅びるしか無くて、誰も助からないのだ。クウは目を閉じようとした。でも、出来なかった。目の前を踊るように過ぎていく雲の流れが美しかったのだ。濃密な雲が表現する風の流れの美しさにその瞳を閉じることが出来なかった。信じられないことにそれは清流の流れにも炎の揺らめきにも似た美しさを内包していた。クウは、想った。


 (悪くないかも。)


 人生の終わりに世界の終わりに瀕して、奇跡のような美しさに出会えた事を、そして、その奇跡を迎え入れることが出来た自分の好奇心に感謝した。楽しいことも、嫌なことも沢山あった。嫌いな人も、大好きな人も沢山いた。本当は救ってあげたかった。この死にかけた世界を蘇らせて、皆で死ぬまで幸せに暮らしたかった。


 (でも、それも、もう……。)


 うねる雲の濃淡に見とれながら、クウは命の火が消えていくのを感じていた。結局、自分は幸せだったと想った。例えここで、誰にも看取られずに死ぬとしても。沢山、戦った。仲間とも、敵対種クリーチャーとも、ウカミの皆とも、ファンブルしたこの身体とも……もう、充分に戦って自分は眠る資格があるんだとクウは想った。そして、クウはその瞳を閉じ……無かった。最後に、改めて世界を見渡した。幸運は準備を怠らない人の元にだけ訪れる。本当だろうか?でも、この時はそうだった。クウは雲が周囲を通り過ぎるのを目撃した。そして、全てが消え去るその間際に――クウは見た。


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