第三十話 岩戸2
クウは身体中に包帯を巻き、衣服のボタンを全て留めて、手袋をしてフードを深く被ってリツザンを歩いた。真冬の装備だ。彼の周囲には陽光が降り注ぎ、気温は二十度を越えていた。それでも彼は震えていた。もう二日近く、何も食べていない。口にしたのは痺れるほど冷たい雪解け水だけだ。クウは甘くてしょっぱいコーンスープを想像した。肉汁したたるローストステーキを想像した。身体に染みこむような温泉や柔らかいベットを夢想した。でも、お腹はぐうともならず、唾液も出ない。身体は暖かさを忘れてしまったかのように冷たく凍ったままだ。既に空腹を感じることも出来ないほど体力は落ちて、彼は気力だけで歩いていた。山々の稜線は遮る物が無く、強く風が吹き、クウは何度も崖下に落ちそうになった。その度に改めて気力を振り絞り、遠くに霞む岩戸を睨み、歩き出す。低木が僅かに育つだけの高山は歩いても歩いても同じ景色が続くだけだ。緩く緩く下り、同じだけ上る。無くなった筈の体力が更にじわじわと失われていく。疲労の上に疲労が積み上げられていく。彼の最大の特徴である不屈の精神力も無尽蔵ではない、一歩一歩、一風一風に削られていく。それでも彼は歩き続けた。空腹は感じなくなっていた。喉の渇きも気にならない。とにかく、寒かった。身体の中の骨が氷になったようだ。彼の愛らしい大きな瞳は濁り、半分閉じられている。ただ、恨めしそうに彼方にある岩戸を見つめている。それでも彼は足を止めなかった。半歩ずつ進み続け、遂に岩戸のある山頂に到達した――筈だった。そこには再び下る稜線が現れ、更に上る先に岩戸が聳えている。
駄目だ――。
クウは、その場に倒れ込んだ。彼は気絶した。彼は、空腹と疲労で体温が維持できずに、でも精神力だけで歩を進めていた。だが、たどり着いた先はゴールでは無くただの通過点だった。その瞬間、彼の精神は折れたのだ。不屈のモルフ、ファンブルのクウの精神はそのブレーカーを下ろしたのだ。




