第十七話 一乃越5。
クウは理解していた。落下傘を作って大渓谷に飛び立ち、谷底から吹き上がる突風を捉えて高く舞い上がることは、死の危険がある行為であることを。数百メートルであれば、クウの強靱な肉体は落下の衝撃に耐えるだろう。でも、それが一千メートルであれば?或いは叩き付けるような突風を伴う場合はどうだろうか。クウは理解していた。その時は、命の保証はない。それでもクウは決意したのだ。霧街を救うために数日の時間を稼ぐ為に賭に出るのだ。
クウは下調べを再開する。どこから飛び立つのが良いか。突風に周期性はあるか。対岸の状況が最も良いのはどこか。大渓谷全体の風の流れを把握できないか……少しでも確率を上げるために、一時間だけ時間を使うことにした。一時間で検討できる事を検討し、その後は落下傘を組んで、作戦を実行に移すだけだ。
そして、一時間が経過した。結局、大した情報は得られなかったクウは橋の架かっていた箇所から、飛び立つことを決意した。最後にまた、遙か遠い対岸を見つめる。目で見える距離だが、それは、果てしなく遠い。こうして事を実行せず、対岸を未練がましく見つめていること自体、クウの葛藤を表していた。クウもそのことに気付いては居たが、作戦を変えることは無かった。今度こそ最後、と気迫を込めて対岸を見つめた。振り返り、落下傘の作成に取りかかろうとしたクウは、対岸の状況に気がついた。
――しまった!
クウは心臓を鷲掴みされたような衝撃を覚えた。いつからだろうか。いつの間にそれは其処に居たのだろうか。
雲龍。
あの日、霧街の外で出会った神獣だ。その姿を見て、クウは確信した。夢の中に繰り返し現れた魔物がこの雲龍なのだ。それが対岸の橋の袂に蜷局を巻き蹲っていた。一声、号砲を上げると、雲龍はゆっくりと対岸に向かって……クウに向かって……身体を伸ばし始める。一乃越を吹き荒れる突風に動じることも無く雲龍は谷を渡る。クウは焦る。
(一乃越を渡る事ばかり考えて、神獣の気配に気づけなかった。今更、隠れる事も出来ない――。)
悠々と谷を渡る雲龍は正に神獣の風格充分だった。真っ直ぐクウを見つめて、伝説の威厳を発しながら進んでくる。雲龍は長い長い身体を伸ばして近づいてくる。クウは覚悟を決めた。今、この状態となってしまっては戦うしかない。風と供に空を飛ぶ雲龍から逃げ切ることは出来ない。雲の身体を持つ雲龍はどの様な隙間もすり抜けて追いつき、その前では何者も隠れ潜むことは出来ない。クウには、戦う以外の選択肢は残されていなかった。クウはのんびりと近づいてくる雲龍を待ち構えた。今、この状況ではどの様な策略も意味を成さない。そして、雲龍はクウの眼前に到着し、クウに向かって咆哮を上げた。




