第二話 決別2。
クウに声がかかった。
大断壁の頂上は霧城最上段にある露天風呂の屋根の上に位置していた。周囲にはこれ以上の高さは無く、足下を掬うような風が吹きすさぶ。速い雲が落とす陰に断崖の頂上は明滅している。クウは大きく息をついて、声の主を見やる。クウの表情が強ばる。意味の無い数瞬が過ぎる。クウは動かない。頂上の待ち人は堪えきれずに、言葉を漏らす。
「……久しぶり。」
あさつゆはいつも通りのワッチキャップを被っていた。非常に緊張した表情だった。クウは言葉が出なかった。彼女はクウに毒を盛り、クウの健康を奪い、従えようとした。強靱なクウの身体は何度もあさつゆの毒を克服したが、その度に彼女は毒の量を増した。遂にはクウを殺してしまう寸前まで行った。ハクが会いに来てくれたから、全ては明るみになりクウは生き延びたのだ。正直もう、会うことはないと想っていた。クウは何も言わない。ただ、あさつゆを見つめる。
「ごめんね。あたし、あなたとずっと一緒に居たかったの。ただそれだけ。あなたがどんな大変な状態になってもあたしが看病して治してあげようと想っていたの。大好きだったの。クウのことが。ねぇ?覚えてる?あたし達身長が全く同じだった。お互いに身長を計りっこしたよね。ふたりでたくさん笑ったよね。世界から見捨てられてしまったような暗い時間の中であなたと二人で過ごした。とても、楽しかったの。ほんとうにずっとあなたと一緒に居たかったの。ただそれだけだった。誤解しないで欲しいの。あたしは薬のプロだから、大丈夫だったのよ。あなたは多少は苦しむかも知れないけど、死ぬ心配は無かったのあたしが完全にコントロールしていたから。」
クウは喉がヒリついて声が出なかった。クウは聞いていた。意識不明になり生死を彷徨っていた時、身体も動かせず、声も出せず、でも、耳は聞こえていたのだ。感覚の無い暗闇の中で声だけは聞いていた。あさつゆの独白も、ハクとの言い争いも。だから、クウはあさつゆが、クウが居なくなるくらいなら死んでしまえば良いと考えていたことを知っていた。今、この期に及んで、嘘を重ねているのだ。あさつゆは知らず、話を続ける。
「ゴメンナサイ。許してとは言えないのはわかってる。でも、判って欲しいの。あなたが好きだっただけなの。価値のないあたしの人生に色をくれたの。生きる意味が出来たの。あなたの側に居たかったの。ただそれだけなの。ごめんね。許してね。」
クウは歩き出す。大断壁の頂上であさつゆに向かって。クウは歩き続けてあさつゆの横を過ぎる。その瞬間。
「許す、とは言えないよ。でも、恨まない。君が君であったことをただ、認めるだけ。それで精一杯だよ。」
あさつゆは涙をこぼした。あさつゆは知っていた。自分が自分の為だけにクウに会いに来てデタラメを言っているのを。自分は救いようのない、狂人で何の価値も無いと。虐げられ疎まれ続けて遂に自分がねじ曲がってしまったのだ。醜悪な沼地のように煮詰まって腐り、悪臭を吹き出しているのだ。彼女は、自分を理解していた。それでも泣かずには居られなかった。その涙もどうしようも無い自分に向けた涙だった。変われない自分を哀れんだ、涙。クウは歩き去った。あさつゆはただ、そこに残った。
「満足したか?」
霧城の屋根の上に黒い影があった。いつからそこに居たのだろうか。あさゆつはその黒い影に頷く。もう、どうしようも無いのだ。自分は変われない。クウとは一緒に居られないのだ。黒い影は屋根から降りて、黒化を解く。
「では、帰ろう。貴様はそれでも我らの仲間だ。」
五大極シキは、あさつゆに告げた。シキはクウの動向を確認して、霧城頂上に到着することを確認した上で、あさつゆを連れてきたのだ。それはあさつゆが希望したからというのも勿論だが、クウの為を想って、この時間を作った。シキはこの先、クウが進んでいく為には、ヒトを愛することを諦めずに生きていく為には、このあさつゆを乗り越える必要があると考えたのだ。勿論、それが正しいのかは判らない。余計なお世話なのかも知れない。だが、シキはこれが必要と考えて、実行した。ただ、クウが健やかに……そして可能ならあさつゆにも何かの光が差すきっかけになればと……考えていた。役目を果たしたシキは、少し間をおいて、念珠を使いもう一人の見届け人に告げる。
「……後はよろしく頼みます。まだ、合流場所は先ですが、黒丸さんからもよろしく言われています。我々は、最後の決戦の準備をするので。では、また。」




